Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

福居伸宏「zipcode1360073」@ CAPSULE

2017年5月27日(土)〜6月25日(日)
土日のみ開廊 12:00 - 19:00
東京都世田谷区池尻2-7-12 B1F
03-6413-8055 (SUNDAY)
http://www.capsule-gallery.jp/
[小山藝術計画 KOYAMA ART PROJECTS]http://j.mp/2qMNju0
[Tomio Koyama Gallery 小山登美夫ギャラリーhttp://j.mp/2qMZXJv



▽ List of Works
https://www.facebook.com/nobuhiro.fukui/posts/1359742167448988
[PDF] http://xfs.jp/Fq2Cyz


▽ Some Installation Views and Works
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10213089753777626&id=1207085097
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10213099918871747&id=1207085097
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https://twitter.com/mmmnnm1230/status/868438776535699458
https://twitter.com/nakashima001/status/868419531621806083
https://twitter.com/fightpanda/status/868848132037124096
https://twitter.com/ugasu/status/869345522162610176
https://twitter.com/shikakun/status/868767848205889537
https://twitter.com/hamuzou/status/870075140519772161




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2092年春,あるテキストデータがサルベージされた.
デコードされ,そこに現れた文字列は,いくぶん古風な日本語だったが,それが《筆者の表現スタイルによるもの》なのか,エンコード方式自体の使用年代や文体から時代が特定され,《補助的に自動解釈がなされたため》なのかは判然としない.


内容は次のようなものだった.


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「怒りを歌ってください 女神よ」(イーリアス 紀元前八世紀頃)
Μῆνιν ἄειδε, θεά, Πηληιάδεω Ἀχιλῆος


「鷄が鳴いていますと女が言う まだ夜は明けんよと男が言う」(詩経 紀元前十一世紀以降)
女曰雞鳴 士曰昧旦 子興視夜 明星有爛 將翱將翔 弋鳧與雁



西⇄東



【極東についての極私的反芻あるいは覚え書】


◼︎我が国、日本は、「西」の文化を摂り入れ「西」に倣い「西」を目指すことで近代化を図り、「東」の海での敗退ののちに、「西」が西漸した果てに生まれた「西」の文化に完全に制圧されることによって「西」側となり、二十世紀後半には一時的な繁栄と爛熟を手にすることができたのだった。


◼︎我が国、日本は、二十一世紀に入って再び大きな災厄を経験し、首都、東京は「東」の地からの電力供給を絶たれる。津波が押し寄せた東北地方太平洋沿岸部は深刻な被害を被り、過酷事故を起こした電力供給施設は未だに手の施しようのない状態にある。もちろんその収束の見込みは立っていない。


◼︎そんな最中、首都、東京での、二度目の夏期五輪開催が決定する。実に五十六年ぶりのことだ。かつてがそうであったように、五輪を目前にひかえ、この都市は何度目かの大きな変貌を遂げようとしている。予め計画され、意図された忘却によって。


◼︎夏期五輪に向けた都市基盤の整備に膨大な資本が投下される一方、「西」の海では、古来よりその文化を輸入し取り込んできた国々との緊張関係が再び高まっている。前世紀に信じられてきたような価値や理念、それらは崩壊あるいは揮発し、時計の針は逆さまに回り続けているかのようだ。


◼︎巨きなものが動くことによって生じる、様々な兆候は、周縁部そして細部に顕れる。先の震災後に転居した「私」の住む街であっても、それは同じことのように思われる。昭和初期には「城東區」と呼ばれた、この土地、この地域も、変化の速度は増大し、ふた時代前ほどの趣きを残す雑多な街並みは、姿を消すべく順番待ちをしている。


◼︎この東京の「東」、江東区の「東」を、抽象的な過程を通して考察しながら、「私」はある一群の断片を採集することにした。もちろんしかし、これらもまた、起源の定かならぬ、模造のような記憶の底に、やがては追いやられてしまうのかもしれないのだが。結局のところ、意図された忘却によって。


◼︎「西」の空から焔の矢が降り注ぐ、なんてことが本当にあるのかどうかなど、「私」にはわかりはしないし、もちろん誰にだってわかりなどしない。紛争、戦争、我が国からは遠く無関係だと思っていたものが、また極東で、


◼︎自分の信じている通りになれば想定内、その通りにならなければ想定外だ。故に、想定外は想定しなくともよい。確実だと信じられるものや、真実といったものは、すでに、


◼︎無関心が、見えるものを、


◼︎本当だろうか。


◼︎沈殿する記憶は


◼︎常夜灯、


◼︎どこか遠くで目覚ましの音が


◼︎


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