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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

阿頼耶識 - Wikipedia

阿頼耶識(あらやしき、Skt: ālaya-vijñāna आलयविज्ञान)は、大乗仏教の用語。
サンスクリット ālaya आलय の音写と、vijñāna विज्ञान の意訳「識」との合成語。旧訳では「阿羅耶識」、「阿梨耶識(ありやしき)」。また、「蔵識」(藏識)、「無没識(むもつしき)」とも訳し、「頼耶識」、「頼耶」等と略されることもある。
唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識のうち第8番目で、人間存在の根本にある識であると考えられている。ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。「無没識(むもつしき)」と訳される場合もあるが、これは ālaya の類音語 alaya に由来する異形語である。法相宗では、心は阿頼耶識までの八識とする。天台宗では阿摩羅識を加えて九識、真言宗ではさらに乾栗陀耶識を加えて十識とする。

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◇ 阿摩羅識 - Wikipedia

阿摩羅識(あまらしき、梵:amala-vijñāna、菴摩羅識とも)は、大乗仏教の論の一つ。
唯識思想(法相宗)では、八識を説く。 すべては阿頼耶識より縁起するとし、主に迷いの世界であるが悟りも阿頼耶識より生じるとする。 一方、心は本来清浄であるとする如来蔵思想があった。
これらの思想を止揚するため、天台宗華厳宗などの法性(ほっしょう)宗は、この阿摩羅識を加えて新たに九識を立てた。天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である。

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