Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui http://fknb291.info/

商業パンクの開祖マルコム・マクラーレンの死、T・J・クラークとの接点、そして『シミュレーショニズム』と『シチュアシオン』。

◇ パンクの父、マルコム・マクラーレン死去。 | ファッション - VOGUE.COM

セックス・ピストルズの元マネジャーであり、ヴィヴィアン・ウエストウッドと共にパンクファッションブームを仕掛けたマルコム・マクラーレンが8日、中皮種によりスイスの病院で死亡した。享年64歳だった。

http://www.vogue.co.jp/fashion/news/2010-04/09/malcom
タイトルを本文と同様に「パンク・ファッションの父」とするか、
あるいは、「ファッション・パンクの父」としないと正確ではないのでは?


◇ 【訃報】パンクの父マルコム・マクラーレン中皮腫によりスイスの病院で死去 - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100409_malcolm_mclaren_passed/


◇ 英音楽界随一の策略家、マルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)が死去 - CDJournal.com ニュース
http://www.cdjournal.com/main/news/malcolm-mclaren/30358
毀誉褒貶あった人物だということは知っていますが、
私はどちらかというと「毀」と「貶」の面でこの人物を見てきました。


◇ ▼さよなら、くたばれ、マルコム - イルコモンズのふた。

ピストルズのファンからも、ハードアコアなパンクスからも、そして音楽批評家からも(さらにはシチュアシオニストたちからも)「インチキ野郎!」「イカサマ師!」と罵られ、疎まれ続けてきたマルコム。でも、そのインチキくささとイカサマ師ぶりがよかった。もうこれからは誰も「くたばれ、マルコム!」と云えなくなってしまったので、残念だろう。ヒップホップとワールド・ミュージックは、トレヴァー・ホーンとの共作「ダック・ロック」で知った。どちらもフェイクだったが、そこがよかった。2007年ロンドン市長選に立候補したときの選挙公約は「マリファナの全面解禁」だった。こんなふうに、どこでなにをやっても(そういえばオペラもやった)決して一流にもリアルにも本格的にもならず、ちゃんとインチキくささや胡散臭さをぷんぷん臭わせることができるというのは、ある意味、奇特な才能だと思うし、それが「ポップ」ということだと思う。

http://illcomm.exblog.jp/10947436/
肯定とも否定ともとれるような記述ですが、
小田マサノリさんはどちらかというと肯定派だと思います(ギー・ドゥボール的に彼の言動を転用して)。
シチュアショニストに否定された「プロシチュ」という反転の作法については、私はよくわかってませんけども。。。


◇ 菅付雅信: マルコム・マクラーレンが死んだとの報。セックス・ピス ... - Twitter

マルコム・マクラーレンが死んだとの報。セックス・ピストルズ仕掛人であり、ヴィヴィアンの元旦那であり、ヒップホップを白人マーケットに広めた張本人。彼はポップ・カルチャーの偉大な詐欺師であり、世のひんしゅくを買うことが最高のパブリシティだと教えてくれた。R.I.P.

http://twitter.com/MASAMEGURO/status/11839199703
菅付雅信さん(http://www.sugatsuke.com/)のツイッターより。


◇ 楠見清 Kiyoshi Kusumi: マルコム・マクラーレン死亡の報。ポップの形骸化とその ... - Twitter

マルコム・マクラーレン死亡の報。ポップの形骸化とその禅的「無」についてある原稿でちょうどいま書き上げたところなので感無量。言葉も無い。http://bit.ly/dlJgFc

http://twitter.com/docta/status/11854718445
楠見清さん(id:donburaco)のツイッターより。


◇ ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル (映画) - Wikipedia

ピストルズ・ヒストリーではあるものの実際は、マネージャーのマルコム・マクラーレンが語り手となって、いかにして、ロックンロール・インダストリーのトップの座を騙し取ったかが得々と語られる内容となっている。 マルコムの奇妙な語り口とその存在感は圧巻で、当時のピストルズの未公開映像やアニメーションなども織り交ぜられたこの映画は、ロックミュージシャンのムービーの中ではひときわ異彩を放つものとなった。

「混乱から金を」「実際、演奏ができるよりはできない方がよいのだ」「音楽性はともかく、ジェネレーションギャップを創り出す方が肝心」「ピストルズを有名にするためにはあらゆる競争を避けた。」「音楽にはまったく興味のない弁護士を雇え」「ジョニー・ロットンは最終的には敵側(アメリカ)に身を売ったコラボレーター(対独協力者)」等々、マルコム独自のマネジメント哲学が語られており、彼の状況主義者的スタンスが鮮明になっている。

映画タイトルのナンバー「ザ・グレート・ロックンロール・スウィンドル」の演奏シーンでは、「誰でもピストルズになれる・ガキのオーディション」と銘打ち、そこらへんのガキたちに代わる代わるボーカルを取らせており、ピストルズの虚構ぶりを強調している。

ただし、この内容は「事実無根のでたらめ」とジョニー・ロットンらの怒りを買い、2001年「ノー・フューチャー」という新たなピストルズドキュメンタリーが、同じテンプル監督によって、旧メンバー全面協力のもと作られることになった。

リアルなピストルズストーリーとしては、「ノー・フューチャー」の方が正しい内容である。ただ、「グレート・ロックンロール・スウィンドル」は、マルコム・マクラーレンという稀代の詐欺師を強く印象づけ、彼自身を新たなスター、それも一流のトリックスターたらしめるきっかけとなった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB
「マルコム独自のマネジメント哲学が語られており、彼の状況主義者的スタンスが鮮明になっている」???


マルコム・マクラーレン - goo 音楽

マルコム・マクラーレンと音楽シーンの関わりは、71年にテディボーイ・ファッションのブティック(『LET IT ROCK』)を、ヴィヴィアン・ウエストウッドと共にオープンしたことから始まる。その後74〜75年にかけオカマ化粧のグラム・バンド、ニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めるが解雇という憂き目に。やがて、『SEDITIONARIES』と名を変えた前述のブティックの宣伝のため、ロック・グループ結成を思いつく。そう、それがあのセックス・ピストルズ--つまり、パンク生みの親はマルコムなのである。ピストルズの過激なロック・スピリッツでイギリス中を恐怖のどん底に叩き落としたマルコムは、敏腕(悪徳)マネージャーとしての名声を獲得。ピストルズが短命で去ったあとも、ボロ(ホーボー)・ファッション+ジャングル・ビートのバウ・ワウ・ワウ、パイレーツ・ルック+海賊ダンス・ビートのアダム・アンド・ジ・アンツらを送り出し、それらどれもで成功を収めていく。そして83年、マルコムは次なるプロジェクトとして自身のソロ・デビュー・アルバム『ダック・ロック』を発表。当時はまだ、黒人だけの音楽とされていたヒップホップ/スクラッチをふんだんに導入し、さらにワールド・ミュージックのエッセンスをも加えたこのアルバムは、今日のクラブ・ミュージックの先駆けと言える斬新な作品に仕上がった。また、ウォール・ペインティング風なグラフィティ/キース・ヘリングのポップ・アート/ブレイク・ダンス/ダブル・ダッチ(アクロバティックな縄跳び)など、N.Y.のストリート・カルチャーをジャケットやプロモーション・ビデオに絡め、流行に敏感な人たちのアンテナをビンビンと刺激した。

http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD23231/index.html
「流行に敏感な人たちのアンテナをビンビンと刺激した」という表現が何とも味わい深いです。
ところで、過激で破滅的な生き方という意味で言えば、
ジャズの世界にはとっくの昔からヤバイ人材(それこそパンクそのものと言えるような)がごろごろしてたはずです。
黒人音楽ではなく、白人音楽だったというのもポイントでしょうか。


◇ UKAWA NAOHIRO (DOMMUNE) on Twitter

DOMMUNEのコンセプトの10%はマルコム・マクラーレン思想に裏打ちされている!そんな僕にとってはLET IT ROCKもSEXもSEDITIONARIESも断じてヴィヴィアン・ではなく、マルコム味噌が熟成した成果だったのだと考える.R>I>P Malcolm #dommune

#dommuneからのレクイエムDEATH!!安らかにNxOxFUTURE!! 「Malcolm McLaren - Madame Butterfly」 http://www.youtube.com/watch?v=H2Drw2_HmK0&feature=related

http://twitter.com/dommune
DOMMUNE (ドミューン)→http://www.dommune.com/


長谷川町蔵 (machizo3000) on Twitter

マルコム・マクラレンが中皮ガンで亡くなったそうです。享年64歳。最初のソロアルバム「Duck Rock」は最も衝撃を受けたレコードのひとつ。R.I.P.

マルコムはフランスかぶれで美大時代にフランス風学生運動を展開しようとするも学生内の多数派であるヒッピーに潰された。その怨念がピストルズに結実した。ロンドンパンクの新左翼っぽさはマルコムの資質だったのかもしれない。

ちなみにジョン・ライドンは元々クスリをキメてクラウトロックを聞くのが大好きな人だったのでヒッピー的といえなくもない。最初からPILみたいな音楽を指向していたのだ。

@junne 70年代のヴァージンはプログレのイメージが強かったので本当はマルコムはピストルズを契約させたくなかった。一方ライドン先生は乗り気だったらしいですね。

Bow Wow Wow /Chihuahua http://youtu.be/N54K6JOIzo0 ピストルズ以外にも良い仕事はあったよね、マルコム・マクラレン。

http://twitter.com/machizo3000
長谷川町蔵さん(http://machizo3000.blogspot.com/)のツイッターより。


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◇ Rock_history7 - Rocker Room

3.パンクの女王
 パンクが最初に大きく注目され出したのは、ニューヨークで起きていたこういった状況を、すべて間近で体験していた元MC5のフレッド・スミスの夫人で、女流詩人でもあるパティ・スミスがデビューしてからのことだった。
 小さい頃から虚弱体質だったパティは、毎日本を読んで暮らす生活を送っていたが、その後ニューヨークの書店で働くうちに、若き日の有名写真家ロバート・メイプルソープと出逢い同棲生活を始める。メイプルソープは多くの芸術家と交流があり、ヴェルヴェド・アンダーグラウンドのプロデューサーであった画家のアンディ・ウォーホール、脚本家のサム・シェパード(写真左)や、ブルー・オイスター・カルトのアラン・レイニアー(key)、トッド・ラングレンなど、さまざまなアーチスト達とこの時期に親しくなる。それと同時に、自らも自作の詩にバック・ミュージックを付け、人前で朗読するようになり、74年ついにはバック・バンドを従えシングル・デビューを果たす。このシングルには、当時恋人であったテレヴィジョンのトム・ヴァーレイン(vo,g)も参加していた。75年にはアルバム・デビューも果たすのだが、元ヴェルヴェッド・アンダーグラウンドジョン・ケール(b,key,vo)をプロデュサーに迎え、トム・ヴァーレインやアラン・レイニアーも参加。加えてジャケットはメイプルソープによるポートレイトという、すごい陣容のアルバムである。これら全ての要素がいっぱい詰まったこの「ホーセズ」は全米47位まであがるヒットとなり、パンク時代の到来を告げた。

4.ニューヨーク・パンク
 パンク発祥の地であるニューヨーク周辺からは、同時期にテレヴィジョン、トーキング・ヘッズ(右写真)、ラモーンズ、ブロンディなどが続々と注目されはじめ、その知的でシンプルで破壊的なサウンドとみすぼらしいファッションは、しだいにパンクと呼ばれるようになっていった。
 パンク=PUNKとは直訳すると「若い浮浪者」「よたもの」「不健康な」という意味があるが、ニューヨークのパンクはどこか芸術運動のような側面も持ち合わせ、イギリスで広まったパンクとは少し趣を異にしていた。

5.ロンドン・パンク
 イギリスでアートスクールに通っていた、マルコム・マクラレンは、アメリカへ渡り、ニューヨーク・ドールズのマネージャー兼準メンバーとして活動した後、テレヴィジョンを脱退したばかりのリチャード・ヘル(b,vo)を誘い、イギリスでバンドを組ませようと画策した。しかし、リチャードはこの誘いに乗らなかったため、マルコムがロンドンで経営する、アートスクール時代の仲間、ヴィヴィアン・ウエストウッド(女性ファッション・デザイナー)のブティック「SEX」に出入りしていた街のチンピラ達を集め、リチャードのファッション(破れたシャツ、逆立てた短髪、安全ピン・ルックなど)を真似て、75年セックス・ピストルズとして結成させた。彼らはろくに演奏もできなかったが、そのファッションと傍若無人な振る舞い、暴言がすぐにイギリス中の大きな話題となった。
 その後、それを見て影響されたクラッシュやザ・ジャムストラングラーズなども現れ、ロンドン・パンクはニューヨーク・パンク以上の話題を集めることになる。しかし、こういったスタイルだけのロンドン・パンク・ブームは短命で終わり、以降高度な音楽性を持ったニュー・ウェイヴ系のアーチスト達によって、表面上のスタイルだけが受け継がれてゆくことになる。
ピストルズのリード・シンガーであったジョニー・ロットン(左写真)自身も早々にバンドを脱退し、ジョン・ライドンと名前を変え、ニューウェイヴ路線へ転向する。

http://rock.princess.cc/RockerRoom/Rock_history7.html
いわゆる「パンク・ファッション」のルーツは、リチャード・ヘルのファッションだった説。


◇ US 70年代パンク/ニューヨークパンク - パンク・ロック入門/年表で見るパンクロックの歴史

パンクのルーツとなった1960〜70年代ガレージロックと、ニューヨークパンク(オリジナルパンク)の主なバンドの一覧。 (現役バンド及びアーティストを含む。)


▼60〜70年代/パンクのルーツ
Iggy Pop & the Stooges  (イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ
MC5(エム・シー・ファイヴ)
●New York Dolls (ニューヨーク・ドールズ
Velvet Underground (ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

http://bit.ly/aY3ef8


◇ 1974年 世界最初のパンクバンド誕生 - パンク・ロック入門/年表で見るパンクロックの歴史
http://bit.ly/a15zqD
1974年2月、ラモーンズ結成。


◇ 1975年/ロンドンパンクの始まり - パンク・ロック入門/年表で見るパンクロックの歴史
http://bit.ly/crHGi0
1975年4月、ニューヨーク・ドールズからジョニー・サンダース、ジェリー・ノーランが脱退。
7月、ニューヨーク・ドールズ解散。マルコム・マクラーレン、ロンドンに戻る。


◇ 第20回 ─ NY PUNK - bounce.com 連載

NYという都市と、そこに生活する若者たちの軋轢から生まれたロックンロール・ルネッサンス〈NYパンク〉は、永遠の衝撃だ!

文/ヤマダナ オヒロ、米田 貴弘

http://www.bounce.com/article/article.php/1002/ALL/
ディスクガイド。


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佐藤守弘 SATOW, Morihiro (bmonkey1966) on Twitter

美術史のT・J・クラークはイギリス人でシチュアシオニストのイギリス支部のメンバーだった。マルコム・マクラーレンと交流があったりしていたら面白いなぁ。http://j.mp/dj8plJ ちなみにクラークの方が3歳上。

交流あったんじゃないか。クラークがメンバーだったというシチュアシオニスト系反芸術グループ、キング・モブにマルコムも関わっていたらしい。http://en.wikipedia.org/wiki/King_Mob もうちょっと調べてみよう。

キング・モブ面白そう。1970年代に、シチュアシオニストストリート・ギャングの混淆のような感じで、グラフィティや、相当破壊的なパフォーマンスなどをやっていたらしい。以下で連中の作ったポスターを見ることが出来る。http://j.mp/a2JV8o

訂正。キング・モブの活動は60年代終わり頃。明らかにマルコム&ジェイミー・リードによるピストルズの視覚的戦術は、ここから来ていると思う。

(註)T・J・クラークは、シチュアシオニスト/キング・モブの後、コートールド研究所で博士号を取得。美術史にマルクス主義的視点を持ち込んで、ニュー・アート・ヒストリーの中心人物の一人となる。確か『オクトーバー』で、シチュアシオニストについて書いていたことがあったような気が。

有名なのはこの本。http://j.mp/c1gjaf というか、実はこれしか読んでません。最近はプッサンについて書いているらしい。なぜマルコム訃報からクラークを思い出したかというと、この本で鉄道表象に関する記述があったような気がして、読み返さなきゃと思っていたから。

テクストあった。T・J・クラーク、ドナルド・ニコルソン=スミス「なぜアートはシチュアシオニスト・インターナショナルを殺せないのか」『オクトーバー』79、1997年冬。http://www.notbored.org/why-art.html

冒頭でマルコム・マクラーレンシチュアシオニスト(英語だから「シチュエーショニスト」について語っている映像。http://www.youtube.com/watch?v=2SvdWk8zRrI

さっきツイートしたシチュアシオニスト紹介映像(http://j.mp/csw31F)、なかなかよく出来ている。マルコムのあとに喋っているインテリっぽい人、誰かなと思ったら、グリール・マーカスだった。

シチュアシオニストが何故コミックスをその表象手段のひとつに選んだのか、当時のBDとの関係はどういうものだったのか、その辺りを研究してくれる若手マンガ研究者が出てきたら嬉しいな。

さっきの映像のPt. 2。初期のシチュアシオニストの、まだぎりぎり「アート」の枠内に留まっている頃の展示風景が! 貴重。http://www.youtube.com/watch?v=yN8TcEBhxY0

ところでシチュアシオニストについて書いている人は、連中に倣って著作権を放棄しているんだろうか?

その3でマルコム再登場。http://www.youtube.com/watch?v=R78CYo2a0Qg 五月革命での学生たちのストリートでの行為に感銘を受けたこと、その後どのように自らの人生を再=設計するかについて考えたことについて語っている。

http://twitter.com/bmonkey1966
佐藤守弘さん(id:morohiro_s http://web.kyoto-inet.or.jp/people/b-monkey/)のツイッターより。


◇ シチュとアメリカのパンク - TEAM KATHY FAN FUN CLUB

シチュアシオニスト・インターナショナル(Situationist International 以下、SI)〉。このとてもストレスのたまるシチュアシオニストという単語。まず、滑舌の悪い自分にはとにかく読みにくく、なんで英語からカタカナ表記にするときにも「シチュエーショニスト」ではなく「シチュアシオニスト」とフランス語のままなのかわからない。それに意味があるのかもしれないが、「アンテルナシオナル」は「インターナショナル」になっているのに・・・。

なんでこんな話題をするかというと、80年代中頃に『マキシマムロックンロール(Maximum Rocknroll)』誌の手紙コーナーで起こったSIの利用法をめぐる論争があったと知って気になっていたから。論争の登場人物はフィーダーズ(Feederz)というSIに影響を受けたアリゾナ出身のパンク・バンドと、SIについてのジン『ノット・ボアード(Not Bored)』を作っているビル・ブラウン。それで最近、シチュアシオニストとパンクのコネクションについて調べていたら、これがまた「○○はSIを理解しているかどうか」みたいな肩のこる話ばかりで、そろいもそろって抽象的でむずかしい。ビル・ブラウンはまさに典型的な理論家で、すっごく神経質でシチュエーショニストと書いたら怒られそうな感じの人。

セックスピストルズを裏で操っていたマルコム・マクラレンとジェイミー・リードが出版に関与したとされる、クリストファー・グレイ翻訳の英語ではじめて出版されたシチュ本。SIに関しては当時のアメリカのパンク・シーンではほぼ無名に等しく、初期NYパンクスはおおむね伝統的なボヘミアの伝統によっているとも言われているが(パティ・スミストーキング・ヘッズがまさに)、セックスピストルズに関しても、プロデューサーたちが「ポップ・シチュエーショニズム」(SIの理論では「状況主義」と主義にしてはいけない考え方らしく「シチュエーショニズム」は誤字なんだそうです)だとさわいだだけで、ジョニー・ロットン他メンバーにとっては、そんなよくわからん話されて迷惑がっていたのは事実。

パンク・シーンでシチュについて直接口にするようになったのは、セックスピストルズよりちょっとあとのリーズのバンド、ギャング・オブ・フォーやミーコンズあたりから。これらのバンド・メンバーが70年代中頃からリーズ大学に在籍していたT・J・クラークという美術史家(かつてシチュのイギリス支部に関わっていた)の教え子だったことによる。

http://team-kathy.blogspot.com/2008/12/blog-post.html


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◇ 「02ハウスミュージック——03快楽のための消費と滅裂」より

 高度に発達した資本主義の流通空間のただなかで、ロックはいつの頃からかある種の風景を獲得し、いまやその風景の再生産機能しか果たしえなくなっている。「イカ天」を見れば、そこに登場するインディーズ・ロッカーたちが、毎週放送されるその驚くべきバンドの数にもかかわらず、「風景」としては信じがたいほどまでに互いに類似していることに気づくだろう。[略]

[略]ベースとギターとドラムスをバックに人類の前に姿を現したときに聴衆が感じたであろう、あの異常な感覚、精神病理学でいうところの「プレコックス感」ともいうべきものは完全に失われてしまっている。共同体内予定調和的な役割分担と時間制限にもとづく「演劇ロック」——これがロックのすべてだ。いまやこれがロックのありさまなのだということをいさぎよく認めよう。ロックにはもはやなんら特筆すべき可能性はない。

椹木野衣『増補 シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫 2001年)所収
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086358/
洋泉社から単行本『シミュレーショニズム——ハウス・ミュージックと盗用芸術』が刊行されたのは1991年。


◇ 「03ポスト・ヤルタ体制下の反美学——02ポップの死滅」より

 パンクとは、非常に保守的な運動であると考えて間違いない。真に革命的だったのはニューヨーク・パンクだけである。スーザン・ソンタグによってアントナン・アルトーにも比されたリチャード・ヘルヴェルレーヌをもじった名前を持つ詩人トム・ヴァーラインフーゴー・バルのような朗読者パティ・スミス。今考えてみれば、しかしあれは、どこか文学的なムーヴメントだった、そういう気もする。もっとも最良の文学だけが持つ底なしの地獄が、ただそれが音楽であるというだけで、ほんとうに明朗なものとして現象してしまっていた。そんな奇怪なものが長く続くはずがないではないか。予想どおり、それはその奇怪な化けの皮を「ノー・ニューヨーク」——これはほんとうに信じられない瞬間をいくつももっている。もし聞いてないならば、どんなことをしても耳にする必要がある——によってあからさまに示し、消滅した。
 ロンドン・パンクは違った。彼らがもっとも恐れていたものこそが、彼らの意図的に演出し、装っていた当のものだった。彼らは安全ピンを肌につき刺したが、それはとんでもないことをしてしまわないためにつねに自覚していればよい基準のような痛みだった[略]それは第一にマルコム・マクラーレンの仕掛けだった。[略]マルコム・マクラーレンは、ニューヨーク・パンクのリアル・タイムの目撃者でもあった。彼の主なる目論見は、この真正のアナキズムをどうすればていのよい商品に化けさせられるかということだった。[略]

 この臆病者たちをアナキズムそのものに仕立てるための仕掛け——そのためにマルコムが思いついたのはダダの衣装だった。マルコム・マクラーレンはダダには十分通じている人物だったし、チューリヒ、ニューヨーク、ベルリン、ハノーヴァー、ケルン、パリと飛び火し、ついにイギリスに上陸することのなかったこの運動をつねに羨望のまなざしで見ていたことは間違いない。彼はロンドンに数十年遅れのダダを招き入れたかったのだ。[略]ピストルズのイメージ制御のために使ったジェイミー・リードのコラージュは、もちろん、クルト・シュヴィッタースを凡例とするものだ。ジェイミー・リードはのちに、あの一連のコラージュは、自身のものではなくマルコムのコンセプトであったことを認めている。本来のジェイミー・リードはケルト文化を信奉する素朴なクラフトマンといった感が強い。
 見え見えの詐欺にもかかわらず、それはロンドンの貧民に消えぬ火を付けた。ピストルズのコンサートは「ポゴ・ダンス」と呼ばれる他人などお構いなしの痙攣ダンスと暴動ともいえるノリによってほとんど殺人的な様相を呈した。[略]

椹木野衣『増補 シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫 2001年)所収
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086358/
いわゆる「パンク・ファッション」のルーツは、ダダ説。
改めて読み直してみると、
ロンドン・パンクはくだらない偽物、ニューヨーク・パンクこそが本物。
……というふうな私の価値観は、椹木野衣さんのこの本とソニック・ユース
そしてノー・ウェーブによってインプリンティングされたものだと考えられます。


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◇ 自分のことを棚に上げるな。難しいけど。〜上野俊哉著「シチュアシオン〜ポップの政治学」(作品社、1996) (1998.12.13) - ただおん

この本の狙いは、60年代フランスの政治運動の底流をなした「シチュアシオニスム」の展開と、それが70年代後半のパンク・ムーブメントにどのように「転用」されたかの分析を中心に、政治運動や思想のアイコンを「ポップ」として流通させることの戦略的な効用を肯定的に構築することだ、と言えるだろう。

椹木との大きな違いは、こうした転用と市場経済的な複製・増殖効果を、積極的に戦略として意識して語っている点だろう。上野は朝日新聞で書評を担当した当時も、自身が紹介する書籍の選択とその書評を、ある一貫した戦略的スタンスから行っていたと思われるし、筆者が上野を評価する点はまさにそこだと言える。

にもかかわらず、彼は自身の依って立つバックグラウンドについては、とんと無自覚的と言わざるを得ないのだ。これは奇妙である。上記の「自覚的な戦略性」は言ってみれば最近脚光を浴びているカルチュラル・スタディーズ(CS)の基本的なスタンスであり、それは自らの依って立つ背景すらも自ら相対化して、その上で敢えて取られるべき立場だと思うのだが、彼の場合はそうではない。(この点については増田聡氏の優れた書評があるので、そちらを参照されたい。またCSに関しては01さんのサイトが有用。)

例えば、上野はセックス・ピストルズを取り上げているが、これは単なる世代的なこだわりに過ぎないのではないか、という疑念が彼自身にはまるで感じられないのだ。彼より3年ほど遅れて来た世代の筆者から見ると、ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」を、たとえば同年生まれの相原コージが「コージ苑」で好んで扱っていたのは、あながち偶然とは思えない。なぜなら、結局彼らより後からポップ・ミュージックの世界に「入って来た」我々には、ピストルズは「歴史上の何か」以上のものではないからだ。本当にパンクにおけるシチュアニスト・アイコンの転用は有効だったのか。あの時代の熱気を内側から感じたことのない者にそれを示すだけの説得力が、この本にはない。

「転用の戦略」を実践するに当たってのいい加減さ、いかがわしさと言ったものを敢えて肯定的に捉える。マルコム・マクラレンの「シチュアシオニスト・アイコン転用戦略」に上野が一定の評価を与える視線はそれに基づく。しかしそれは、「いい加減さ」こそが、既存のシステムの文脈への回収という事態の、あまりによくある契機であるということを踏まえての発言だろうか。読んだ限りではそうは思えない。彼の議論は、「だってぼくが好きだから」という個人的嗜好を拠り所にする「オタク的言説」と大差なく、結局は制度の言説に埋没してしまうものにしか見えないのだ。

戦略をいい加減に運用することで、その活動が臨界速度を超えてある種のトランス状態に至ることを目指す、というのなら、判らなくはないのだ。それは、筆者のように音楽を作り奏でるのが好きでたまらない奴が、「できれば、ただのべつ音楽をやり続けていたい」と抜かすことと基本的には同じである。しかし、ただやり続けている、ということは裏を返せば、その周囲に生じている事態---言い換えるなら、そうやって何かをやり続けている自分自身に働く力と、自分自身が意図するかせざるかに関わらず及ぼしている力---に対して、鈍感であり続けるということではないか。それは常に他者の言説に包摂される卑小な「自己満足」に陥る危険をはらんでいる。

http://www.ne.jp/asahi/hyo/tadaon/situation.html


◇ これは「カルチュラル・スタディーズ」ではない 『シチュアシオン − ポップの政治学上野俊哉著(作品社/1996年/2800円) - 場所:増田

 スペクタクル(見せ物)社会批判を目したシチュアシオニズムの運動と理論が、70年代末にパンク・ロック仕掛人、マルコム・マクラレンによって、資本主義ゲームの操作術として流用されてゆく過程を描きつつ、上野はパンク/ニューウェーヴ現代思想とのあいだに連結線を引く。さらにゲイ・ポップ、フェミニズムとロック、マルチ・メディア(60年代のサンフランシスコ・サイケデリック・ロックの、ライトショーを交えたコンサートから生じた語であるという)、現代美術、第三世界のロックといった多様な主題を経由しつつ彼は、文化の正統/傍流のヒエラルキーの転倒、現代文化と政治(運動)との密接なかかわり、そして現代資本主義文化における「漂流の美学」を描きだそうと奮闘するのである。
 しかし、その「CSの試み」は説得的なかたちをもって成功しているとは言いがたい。なぜならCS運動の核心ともいえる、自己の立場と視線自体に対する文脈的関心と反省がここにはぽっかりと欠けているからだ。

 本著で上野が主な対象としているパンク/ニューウェーヴ英米ロックは、確かに英米圏の論者たちにとっては自文化における「ポピュラー」であり、支配的階層にとっての下層文化に相当する。ゆえに彼らにとっては、これらの対象を「真面目に」取り上げることが既成の学問制度に対する異議申立として機能しよう。一方で日本社会における我々や上野にとっては、これらの「カッコいい」英米のロック文化は明らかに「サブカルチャー・エリート」による「高級」文化としての意味をもつ。日本の若者文化にとっては、上野の好むポール・ウェラーもバッハも、「外国からやってきた日本のエリート文化」としては全く等価な文物なのだ(例えば雑誌『スタジオボイス』などを覗けば、そこには日本社会において「サブカルチャー・エリート」を気取るために知っておくべき「教養」が溢れているのを見ることができる。それらが日本の現在の学問制度の文化的価値基準には沿っていないにしろ、「エリート」の教養であることには変わりない)。いくら上野がポール・ウェラーを称揚し、その政治性を強調し、文化的価値のヒエラルキーの転覆を狙ったところで、我々の現在住まう社会にとっては、サブカルチャー・エリートによる「文脈を欠いた言説」(宮台真司)以上の意味はない。所詮新手のポップ・カルチャー批評にとどまってしまうのだ。

 上野は言う。「マルクスは知っていても、マルコムは知らない、フロイトは読んでも、ギターに触ったこともないカルチュラル・スタディーズなんてたかが知れてる」。けだし名文句だが、私ならこう言おう。「マルコムは知っていても、「やおい」は知らない、ギターは弾いても、スポーツ新聞は読まない日本のカルチュラル・スタディーズなんてたかが知れてる」と。

『読書探検』15号(96-04)

http://homepage3.nifty.com/MASUDA/syohyou/rvsituation.html
最後は、書評×2(今やほとんど見かけなくなった懐かしいデザインのテキストサイトから)にて締め。
上野俊哉さんの『シチュアシオン——ポップの政治学』は→http://www.amazon.co.jp/dp/4878932465
でもやっぱり、私的にはニューヨーク・パンク >>>>> ロンドン・パンクですね。