Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui http://fknb291.info/

[資料 2019-03-18]藤井光+安岐理加「暗唱の家」上映会 @ blanClassに関連して

◇ 2月4日(日)藤井 光+安岐理加「暗唱の家」上映会 - blanClass+column
https://blanclass.hatenablog.com/entry/20180131/1517396903


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2018年02月05日 - Twilog

藤井さんがディスカッションの終盤に語っていた「記憶の身体化」というキーワードには、とても興味あり。記録すなわちドキュメントが、いかに身体的に記憶として個々人の中に結晶化するのか、という問題。その場では、そういったことについてはスチルではなくムービーの方が有利なのかな?と思ったり

したものの、その件については、もう少し細かく考え直す必要がありそうです。安岐さんの誠実な語り口や佇まいも印象的。プロジェクト・ベースの作家といってもシリアスな方々もいれば、季節労働者的に渡り歩いている系(良く言えばノマド?)の方々もいるな、と素朴ながらもそんなことを思ったりとか。

豊島とツーリズム、その導線という話から、港(家浦港?)から見える看板の話(現在、豊島を訪れる旅行客がそれに気づくかどうか?)は、次を。http://full-mediaitem.img.mixi.jp/media/file/fulltime/2e8bfaeb5a27c0a2b18ba3f314499a540713c725_6_791638690_247_large.jpg http://www.archipelago.or.jp/archives/007/201507/55951a0a5addb.jpg ※こちらは港付近ではないかもしれませんが、一応こんな画像も。http://tomoyo.cocolog-nifty.com/blog/images/2010/09/10/20100908152506s.jpg

実家が四国ということもあり、子供の頃の新聞やテレビの報道で記憶していた事件ですが、その後もTBS「噂の!東京マガジン」か何かの番組でリマインドしていた事柄。【豊島事件(産廃不法投棄)- Wikipediahttp://j.mp/2nHBG7S 【豊島事件の経緯 | 豊島・島の学校】http://www.teshima-school.jp/struggle/history/

藤井光さんの「暗唱の家」の終盤に出てくる赤ちゃんが浜辺ではいはいしているショットに映っていた家並みは、上映終了後にうかがってみたところ、やはりバブル期に建設された(バブル期に計画されたものが、その後リアライズされるまでにかけてのものも含む)瀬戸内のリゾート開発時のものだった模様。

日本の戦後と高度成長、そしてその後のバブル時代という意味では、瀬戸内のリゾート開発も、個人的にはセットで考えたい問題。これも子供の頃の記憶と、2000年ごろに八重山小浜島ヤマハが開発)で体験して考えたことと関係あり。【瀬戸内 リゾート 乱開発 - Google 検索】http://j.mp/2nJ34SX

藤井さんの話では、第二水俣病あるいは新潟水俣病(私の世代は教科書で阿賀野川有機水銀中毒と習いました。もちろん、佐藤真『阿賀に生きる』の話題も)が住民運動側が勝訴を勝ち取ったケース(正確な言い方は違ったのかもしれません)ということでしたが。【四大公害の比較】http://www2.toyo.ac.jp/~seki_k/kankyo/pollution/4big.html

しかしもっと細かいニュアンスの話だったのかもしれません。訴訟自体は未だに継続中。第二水俣病と豊島事件の重なり合う部分とそうでない部分についてはもう少し伺いたかった事柄。【新潟水俣病:9人全員認定 東京高裁「1審判断は抽象的」 - 毎日新聞(2017年11月29日)】
https://mainichi.jp/articles/20171130/k00/00m/040/135000c

安岐さんから出た話では、絵画や古くは絵巻物がどのように歴史的な事象を記録し伝達するのか?といった話題が興味深く、まずやはり中村宏ルポルタージュ絵画「砂川五番」を思い浮かべたりとか。ディスカッション後に安岐さんから伺った、藤井さんの映像作品と一遍上人の絵巻物に共通するものを感じる

という話もとても興味深いものでした。藤井さんの今回の撮影スタイルとしては、ドリーというか正確にはトラックショット?の緩やかな横移動の多さが印象的で、そういった撮影スタイル(トラックショットの多用。もちろん藤井さんとは異なるのですが)と“かつて=ここで=なにか=あった”現場を

静かな語り口で撮るという意味では、主題的にもdOCUMENTA (13)のウィリー・ドハティ(Wilie Doherty)のことを想起したりとか(確かドイツ国内某所の河川の汚染を扱っていたはず。ネットで確認する気力は現状ではなしなので記憶違いの可能性もあり)。わずか20分の映像作品の中に、おそらくは多様な

味と意図を、職人的な撮影・編集技術で、全編に渡って細かく散りばめていたのは、やはり藤井さん的で流石だなと思いました。ただ、今回のディスカッションでは、(ツーリストのための導線と比して、映像作品がつくり上げる導線の話を持ち出したの私ですが)映像作品がもつ力と裏表の権力性(固定化の

作用等々)について、あまり掘り下げることができなかったのは、ちょっと残念なポイントなのかもしれません。そうしたツッコミに対しての、“うまいかわしかた”も、藤井さんは手馴れていて、今回の告知文の件についてなどは、もっと細かく、みんなでディスカッションできると、より良かったのかなと。

そんなこんなで芸術生産の話で言えば、例えば、藤井光さんや安岐理加さんとは、ファイン・アートの世界では大局的な存在だと認識されるであろう村上隆さんの近年のトークをここ最近視聴した経験のことを何となく思い出したりとか。MCA https://youtu.be/5R4cYGqqq0s 横浜美術館 https://youtu.be/LM-dbklV5pg

正:対極的な存在
誤:大局的な存在

いずれにも、ファイン・アートの芸術生産における、ある真実があり、あるリアリティーがあるといったふうな意味です。Museum of Contemporary Art Chicagoの初期作についての村上隆さんのコメントも興味深いものです。

藤井光さんの「暗唱の家」は、もちろん福島第一原子力発電所事故以降のコンディションに対するコメンタリーであり、そうしたコンディションを準備した日本の戦後に対するコメンタリーである作品となっていると思います。ということで、時間がある方は火曜日の上映会にぜひ。http://ira.tokyo/event/3226/

誤記訂正:私の世代は教科書で阿賀野川水銀中毒と習いました。

阿賀野川水銀中毒事件(あがのがわすいぎんちゅうどくじけん)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E8%B3%80%E9%87%8E%E5%B7%9D%E6%B0%B4%E9%8A%80%E4%B8%AD%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6-1498790

【【特集】20年目の『阿賀に生きる』(佐藤真監督) | neoneo web】http://webneo.org/archives/5974 【映画『阿賀に生きる』予告篇(20周年リバイバル上映版) - YouTubehttps://youtu.be/c68rDTGNqJ4

https://twilog.org/n291/date-180205/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2018年02月06日 - Twilog

日曜日のディスカッションでは、藤井さんの奥さんと2人の息子さんも参加したりとか(そこには藤井さんの強い意向と意図があるのでしょう)、藤井さんの口からは「耕す」という言葉が発せられたりとか(すなわちcultivate、そしてcultureにも通ずる。記憶を身体化する文化が日本という国には、あるのか

どうか問題とも関連してくる話題でもあり)。藤井光さんは、そういったことをゆるがせにするような方ではないので、そういった態度にも刺激を受けたりとか。それでいえば、この痩せ細った“我が国”(一応、括弧付きとしておきましょう)の土地(ground)を未来に向けて耕すほかないのが現状だという。

https://twilog.org/n291/date-180206/allasc