山手線に乗ると、「マイクロダイエット」というダイエット補助剤の広告がよくかかっている。
車内に液晶モニターが付いていてひたすら動画が流れている
音声はない。
広告のメインは、この手の商品の常として「私はこれでこんなに痩せました」という体験談だ。
「before」→「after」の形式に則っている。
「へぇ」と思ったのは、この企業、ダイエット効果を促進するために「マイクロダイエットグランプリ」というイベントを企画していることだ。
グランプリ賞金は300万円。
グランプリ参加者は、「私はこれでこんなに痩せました。痩せたら良いことがありました」を報告する。
へぇ。
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写真関係のメセナというのは、要は「これ」なんだ、と納得した。
継続的な購買意欲を掻き立てる為に設けられた賞金付きイベント。
ダイエット商品に比べて賞金が安いのは、原価と開発費の問題なのだろう。
入賞者には賞金とそれなりの自負が与えられる。
しかし、そこは「ダイエット商品」と同じことで、それで終りになる。
「プロダイエッター」という職業がないように、「プロ写真家」もあり得ない。
必要とされているのは、ひたすら消費する人だ。
利潤は、営利法人の取り分だ。
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「ダイエット専門学校」というのはどうだろう?
もしくは大学の「ダイエット学科」。
講師は、マイクロダイエットグランプリ(他の企業もやっているのかもしれないが)保持者を揃える。
ダイエット商品とエクササイズの抱合せでカリキュラムを組む。
写真の学校や美術の大学とは違い、学校の充実度が、卒業式を見れば、一目で分かる。
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2008年に18歳人口が大学募集人数を下まわるそうだが、この学校/学部は、その手の不安とは無関係だろう。
「名誉毀損」とかいう便利な遁辞が跋扈する以上、特別の名指しは危険だろう。
魯迅の中国、或いは花田清輝の「戦中」の如き警戒でもって、あてこすりを書き綴るのが、正しいやり方のようだ。
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「公募展応募は間違っている。メセナの利用は卑しい。本質を求める美術家(本当は写真家なのだがそこまで狭めるといくらなんでも物悲しいので美術家にしておく)は、自費で展示をすべきだ」という主張を時々見かける。
今日も見た。
目的のために本質を見失うのは最低だそうだ。
「さイテェーっ!」
発言者に、セイラー服を着せ三つ編みにしてメガネをかけさせてやりたい衝動を覚えるが、まあいい。
気になるのは、「そんなつもりはないと言っても、そこに応募することはそのシステムを少なくとも機能させることに繋がる・・・。」という主張だ。
その主張が、「そんなつもりはないと言っても、そこに応募しないこともそのシステムの機能になんの支障も生じさせない。よってシステム存続を支持してしまう」ということについて鈍感な点だ。
また、方々で開かれている「自費展覧会」というシステム存続の問題についてもまた鈍感なようだ。
とてもじゃないが、問題のない十全なシステムには見えない。
大体からして「メセナ」というシステムのヘゲモニーからしてもう既に崩壊しているだろう。
「セゾン文化」の消滅がなにかのシボライズしているし、「写真新世紀」は1/2になっているし、なんの影響力も持てていない。
「目的のための応募」なら、「メセナ」にはなんの期待もよせないがよい。
「ただあるから使う」「安価だから使う」。
その程度のものだ。
「本質」?
「本質規定に先立つ実存的活動として製作をするのが美術家だ。故にメセナだろうが利用すべきだ。なぜならリーズナブルだから」とでも言っておこうか?
「実存」というのだから、当然のことながら「目的」とも無縁だ。
詳しくはサルトルを参照していただこう。
おそらくは、この三つ編み君は「メセナ失墜」をよくよく知った上で、まだそんなものに希望を見い出している「野心的な若者」を見下しているのだろう。
「時代は貸しギャラリー、自費こそ本質」と。
サイテーな奴は、こいつだ。
「メセナ失墜」に気付いてすらいないというなら、ただのバカだ。
http://www1.odn.ne.jp/~caa31720/note_book_12.html
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