051208
浅田:では、旧社会主義圏の崩壊後、他にどのような理論が提出されているか。一つの例として、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが『帝国』と『マルチチュード』で展開している理論があります。いまやグローバル資本主義の下でアメリカ一国を超えた世界大の「帝国」が成立しているが、その「帝国」の権力とは、即、「マルチチュード」(群集=多数者)の力能にほかならない、と。しかし、あれも実は古いマルクス主義と同じく生産と労働の場面に定位して、「万国の労働者よ団結せよ」というかわりに「世界の有象無象(マルチチュード)よ一緒にだらけよう」といっているに過ぎないと思うんです。
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浅田:(・・・・・)マルチチュードというのは「内なる移民」のようなものです。現実の移民もそうだし、いわゆるフリーター的な人たちもそうです。「外なる第三世界」は確かになくなったけれども、国内でも正規の雇用関係にある労働者の下に有象無象がいて「内なる第三世界」を成している、という図式。しかし、そういうものに革命の担い手を求めるのは間違いだというのが柄谷さんの主張でしょう。
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大澤:「マルチチュード」といっていた人たちが、9.11が起きたときに、テロリストを「偉い」「立派だ」と誉めでもすれば、まだ少しは尊敬できたかもしれませんが、そこまでの勇気をもっている人はほとんどいなかった。
(座談会「来るべきアソシエーショニズム」/柄谷行人「近代文学の終り」(2005) 所収)
051206
「写真新世紀」展の下のフロアでやってた横須賀○○(名前忘れた)の展示について、松岡正剛が天才がどうこう、エロスとナタトスがどうこう書いてた。
あの人が天才ならば、荒木経惟が「天才天才」と自称していたのはなんの問題もない発言だったのだろう。
すくなくとも荒木は「エロス」の現場たる性愛行為を実写することに執念は燃やしていたから。
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「よく恥ずかしくないよな」とも思うが、松岡正剛も写真美術館もはなんの恥じらいも感じてないようなので、「エロスとタナトス」という言葉で写真を語ってしまっていいのだろう。
使わせてもらう。
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「写真新世紀2005」の選抜にはだいぶ不満があった。
「優秀作」より「佳作」の面々の方が面白かったからだ。
しかし、まあこれは大体いつものことだから、まあいい。
まあいいとしながらも、「佳作」の方が面白かったのには、やはり訳がある。
「優秀作」になくて、「佳作」の方にあったもの、これが、「エロスとタナトス」の「タナトス」の部分だ。
端的に「死」ということだ。
日本の現状に於いて隠し切れなく「死」とか「衰弱」とかいうことが噴出してきている。
そのことを取り上げていたのが、「佳作」の作家たちだった。
勿論、はっきり言って、「なにを今さら」観もある。
95年にははっきりと顕在化してきており、他メディアでも写真に於いても再三主題化されてきている主題だ。
ようやく写真家を志す人たちも気付いて来たに過ぎないが、まあ気付き出したのはいいことだ。
しかし、まだなぜ「死」をめぐって作品を組織しなければならないのかが確信できていないようだ。
無論、もの珍しいから「屍体」やら「屍骸」やらを撮るという部分もある。
90年代末頃に「屍体」の写真を掲載していた雑誌はそちらの部分ばかりを強調していた。
だから「公序良俗」っぽい路線(飽くまでも「ぽい」だ!)で、メセナや美術館等が拒否し得た。
確かに露悪的に(筒井康隆的に)、「面白いから撮るんだ、何が悪い?」と居直りたい部分もある。
が、悪いがそれだけのことで、屍骸やら屍体やらうんこやらげろやら生ゴミやらを撮り続けることなぞ出来る訳がない。
他の根拠があるのだ。
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1) 確実にそうだろうと思われるのは、否認しようもなく僕らが「衰弱」の中を生活しているから、ということがある。
「いきいきと悦ばしいエロス? どこにあんだよ? そんなもん? あ?!」という感覚だ。
余暇も有給もあり得ず、家族を組織することさえ、楽しみやら希望たり得ないのが若年層の現状だ。
これは竹中平蔵経済財政担当相でさえ指摘している事実だ。
年をとるとは、役立たずになることしか意味しない。
これは「警視庁発表 自殺者数の統計」をみれば知れる。
虐殺とか惨殺とかいったスキャンダラスな死ではなく、「downer」の行き着く先としての衰弱的な「死」が、僕らのごく近しいものとしてある。
ひところ流行った「癒し」とは、「downer」の謂いだ。
生きる力を低下させながら、まったりだらだら生き延びようが、下降していく先には、「死」が待ち受けている。
ニート? フリーター? 望んでなるものではない。
「downer」な現状を生き延びるためにとる擬態だ。
しかし先に待ち受けているのは、「死」だ。
それも大した先ではない。
失職の先には「死」ぐらいしか残っていないし、50歳を過ぎれば仕事はなくなる。
「美」とも「尊厳」とも「英雄死」とも無縁な無惨な「死」が、すぐ先にある。
「美しく死にたい? あほか。自殺っていうのはこういうことなんだよ」と、「屍体」の写真は諭している。
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2) さて「downer」な進行をしている00年代だが、だからといって放棄できる訳もない。
チェーホフではないが「生きていかなくっちゃね」と言い聞かせて生きていくしかない。
「しかない」。
そして、そのような「生」、エロティックで生き生きしたものとは無縁な耐え難い「生」を生き抜くためには、「死」と向かいあうしかない。
「しかない」。
フロイトも書いている。
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そしてそもそも、人生に堪えることは、生きとし生ける者の第一の義務なのではないか。
幻想は、この耐えることを妨げるかぎりにおいて、無価値となるのだ。
われわれは古い格言を思い出す。Si vis paracem, pare bellum. 平和を保とうと欲するなら、戦いに備えよ、と。
この格言を修正することは時宜を得ていよう。 Si vis vitam, para mortem. 生に耐えようと欲するならば、死に備えよ、と。
(フロイト「戦争と死に関する時評」/柄谷行人「死とナショナリズム」より重引)
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耐え難く耐え抜くようなものとして「生」がある以上、「死」に備え、「死後」の有り様たる「屍体」をも直視せざるを得ない。
051205
ジョン・フォード「アパッチ砦」(1948)を観た。
「凄い!」
単純なストーリーの中に複雑な要素が綺麗に納まっている。
侵略戦争の問題、ポスト・コロニアルの問題、プライドという難物と紙一重の矜持という問題、解消し切らないアメリカ内戦という問題・・・・。
これら複雑な要素を馬群が奔走するリズムでもって、全部一気にたたみかける!
然もこの話の題材、アメリカ建国神話なのだろうが、「敗戦」の話。
1948年という十五年戦争終結から三年、朝鮮戦争開戦まで二年という時期。
アメリカ軍の常勝が信じられていたことだろうに。
また、1948年はトルーマンが大統領になった年だが、その共和党大統領予備選には、ダグラス・マッカーサー将軍が出馬して、敗北している。
狙いすませて、元・将軍が意固地なプライド故に暴走する話を作ったのだろうか?
いや、単に「わかった」のだ、そうに決まっていることぐらい「知っていた」のだ。
その程度のことは「わかる」才能でなければ、あんな離れ業が出来る訳もない。
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1950年、マッカーシズムの最中、紛糾しまくったハリウッド映画関係者の会議を、一言で鎮めたという伝説があるが、なるほど、フォードなら可能だっただろう。
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いずれにせよ、ギルドの緊急総会は一九五〇年十月十五日の日曜日に、ビヴァリー・ヒルズ・ホテルで開催される。開会の演説の中で、マンキーウィッツはブラック・リストにも忠誠の宣誓にも反対の意志を表明し、デミルとの応酬が始まる。ジョージ・スティーヴンスが介入し、議論は果てしなく続く。真夜中を過ぎたころ、それまでパイプをくゆらせて黙っていた一人の男が立ち上がる。
「私の名前はジョン・フォード、ウェスタンを撮っている者です。アメリカの観客全員がデミルをどれほど深く愛しているかはよく存じている。だが今夜のデミルの振舞いは気に入らない。私としてはマンキーウィッツに信任の一票を投じたい。そして家に帰って眠ろうじゃないか。みんな明日には撮影をひかえているんだろう。」
この一言でデミルの宣誓路線は破れさる。
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???ジョゼフ・マンキーウィッツかデミルかどちらかを選出しなければならなかった、例の映画監督協会の集会には、出席していましたか?
出席していた。
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あの日、何人かの監督が立って発言した。彼らはそれぞれ、ジョーに賛成の、あるいはデミルに賛成の演説をした。(・・・・・)それからジョン・フォードが彼の人気を奪った。「わたしの名前はジョン・フォード。西部劇を作っている」と彼は言った。(・・・・)誰もがフォードと彼の作品を愛していた。彼がデミルをほめ讃えたとき、リベラル派の人たちの心は張り裂けそうだった。デミルについて彼は言った、「われわれがデミルに負っているものは大きい。」 これは本当のことだ。デミルは初めて意識的に映画を作った人なんだから。自分が使ったスターたちの名前よりも彼自身の名前の方が有名なのは、その映画の作り方からすれば、当然のことだったんだ。デミルはそこにいた。フォードがいたのは、そこからほんの数メートルのところだ。いいことだと思ったのは、まさにそれだよ。フォードはその場にいない人のことをしゃべっていたわけじゃない。彼は続けた、「だが・・わたしは彼の映画が好きではない、いかにもこれ見よがしだ。それから、彼の政治的意見も気に入らない。」 そして、ジョー・マンキーウィッツが会長に選ばれるべきだと、結論した。