藤原新也氏の慎重な対応(http://www.fujiwarashinya.com/talk/)からも
わかるように、 この問題の根は思いのほか深そうです。
広告業界も少なからずからんでますし。
私自身、いろいろと多方面の方々から新風舎の裏事情を聞いています。
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出版は文化事業である──
という基本理念が、苛烈な経済原理によって形骸化し、
すでにお題目となってしまって久しいと思いますが、
それにしても、この新風舎という出版社(?)の内実はじつに酷い状況のようです。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061126#p6
※この件について、感情にまかせて不用意な日記をアップしている何人かの写真家
(いくつになっても写真学生? オープンな場だということを意識し、
それなりの覚悟をもって書いているのならいいが。
書くんなら山田大輔さん並の、というか、それはさすがにムリだから、
その半分くらいは「芸のあるテクスト」を書いてほしい)がいますが、
そういう方々はおそらく街で痴漢を見つけても、見て見ぬふりをするのでしょう。
「痴漢の被害に遭うほうが悪い」のだと。
※あと、説明が長くなるので省きますが、「自己責任」ではなく「自己決定」の問題であり、
「自己決定」のための適正なインフォメーションが存在し、
決定主体がそのインフォメーションにアクセスしやすい状況にあるかどうかという問題です。
さらに付け加えておくと、「ものづくりをしている人」や
「ものづくりをしている人がつくったものを世に送り出している人々」を、
あまりナメないでいただきたい。
※某写真家(上記の写真学生たち?ではない)は、新風舎の出版システムと
ある種の「貸し画廊システム」との類似を指摘していました。