Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

新天地は京都造形芸術大 浅田彰さん - YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 だが、勝ち残った資本主義がグローバル化を進展させる一方で、フリーターやニートなど不安定な生活を送るプレカリアートと呼ばれる若者は増えた。「脆弱(ぜいじゃく)な条件で若者は確かに働いている。ただ単に『資本主義/プレカリアート』と新たな二項対立で物事を考えては過去の反復になる。さらなる脱構築が必要だ」と語る。「両極端に人々が振れるのを躊躇(ちゅうちょ)させる、哲学の役割は高まっている」
 では、社会を善くするにはどうすれば良いか。「『道徳的にこうだ』と強調するより『倫理的に格好悪いことはしない方がいい』とスタイルで訴えた方が、現実的に人々の心に届くだろう」と可能性を示した。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080430bk07.htm
京都造形芸術大学教授・大学院長に就任した浅田彰さんのコメント。




◇ EV.Cafe - 読書ノート

浅田 例えば僕なんかがスキゾ的逃走を唱えるとき、それに対する反発があるのは非常によくわかるし、それはそれでいいわけ。つまり、そんなチャラチャラしたことでは困る。俺は二本の足を地につけて生きていくのであって、うわついた逃走なんてとんでもないと。これはたいへん結構なんですよ。そうですか、勝手にがんばってくださいっていう感じね。ところがそうじゃないやつ、気持のわるい誤解に基づいて僕の本をもてはやすやつがいるわけ。

 ひとつには、一定の根拠に基づいて一貫したシステムをつくり世界を解釈するとか、それと現実との落差をテコに現実を変革していくという、その段階までまだ到達していないようなガキが、ママの手で柔かく囲い込まれたモラトリアム空間の中でさまざまな知的意匠の断片と適当に戯れていればいいんだ、そういうやわなモラトリアム状況をジャスティファイ(正当化)してくれる理論ができたという格好で、僕の本を受け入れるわけね。それこそ冗談じゃないわけ。

 それからもう一つは、若い頃そういう根拠や一貫性の追及を一度はやってみたものの、痛い目にあって挫折したおじさんたちというのがいっぱいいるわけ。そのおじさんたちが中年になってデップリしてきたおなかを突き出して安楽イスにふんぞりかえって言うわけさ、「若いときは根拠とか一貫性とか言うけれども、世の中そう単純なものではなくて、実際には多様な価値が複雑に浸透しあいながら共存している、それをそのまま受け入れて適当にやりすごしていくのが成熟した大人というものだよ、ワッハハハ」とかね。そういう連中が僕の本を手にして、いわば豊かな成熟社会にふさわしい大人の考え方というのがついに現れたとかって、また歓迎するわけ。これも冗談じゃないわけよ。

 そういうのはいってみればルースにやりすごしていけばいいんだという、言わばソフトな相対主義なんだけど、僕はそんなことを言ってるわけじゃないんですよね。むしろ、根拠や一貫性をとことん追及する、絶対的に突き詰めていくっていうことが、極限において、根拠だの一貫性だのがもはやなりたたないような底抜けの状況につながらざるを得ないというパラドックスを問題にしているわけで、それ以前のところでフワフワしてもらったんじゃ話にならない。

http://www.kaimei.org/note/book_in/ev_cafe.html


>>>22〜23年前のニューアカ鼎談集(http://www.amazon.co.jp/dp/4061843591
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080504#p3




浅田彰(1) 千住博浅田彰黒川紀章の鼎談「美の王道」 - ART TOUCH 美術展評
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-121.html
例の「王道のアート/覇道のアート」発言ほか@国立新美術館について。