Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

他山の石書評雑記より2題

◇ 終わってしまった情況の中で - 他山の石書評雑記

[雑記][ジャーナリズム]さすがにライターはやめないけれど:ジャーナリズムの危機と希望

 最近、「ゲラを見せろ」と言われることが多い。取材した殆どの人から言われる。本当は編集権の関係から見せてはいけない(ジャーナリズムのルール上そうなっている)のだが、好意的に取材した側からも言われる。批判的意図を持って取材したならそう言われるのは分からなくもないのだが、正面から好意的に取材してそう言われると、理解の範疇を超える。企業や役所ならともかく、市民団体などからも言われる。しかもその運動に共感し、好意的に取り上げようとしてもだ。同業者にこの話をすると、「ゲラは見せてはいけないのがルールなんだよ」と言われる。しかしその同業者も、そういう目に遭っている。その人たちも取材先に言われるとのことだ。広告記事を書かせようとする企業などならともかく、そうではない人たちが事前チェックを要求する。要求される時に「それはルール違反です」と言えないことに、我が無力を感じる。

 ある人はご自身がSLAPPに遭遇しているだけではなく、取材源に対しても訴訟を仕掛けられた。取材源に対して攻撃を仕掛けてくるようでは、誰も取材に応じてくれなくなる。そして社会には問題がはびこり、解決は遠ざかる。

 またある雑誌では取材に応えた派遣労働者を企業が雇い止めにするという件が発生しており、しかもその上雑誌には何も言ってこない。これでは、取材ジャーナリズムはもうやりようがない。

 ある雑誌は、取材した人に購読の要請の電話をかけるという。これをされると、取材対象者と今後深い関係になり継続して取材する際の障害になる。雑誌に取り上げたからという理由で購読してほしいというのでは、総会屋雑誌である。もっとも、叩かない代わりに購読したり広告を出したりして欲しい、というのよりはいいのだが。

http://d.hatena.ne.jp/tazan/20090423#1240481329


◇ 衰退する報道、繁栄する批評 - 他山の石書評雑記

[雑記][ジャーナリズム][書籍][大学]この先、社会に向かって訴えるには?

 この先、問題意識を持って社会に何かを訴えて行こうという人が出てきても、報道はその受け皿にはなりえない。あからさまなことを言うと、東京大学大学院(三流大学の大学院では世間が認めない!)で博士号を取得して、問題意識を抱いて研究したものを世に問うた方が早いのである。例えば本田由紀のように、若者の苦境を教育社会学的に研究して発表する。あるいは白井聡のように、一橋大学大学院でレーニン思想の研究をする(彼が白井克彦の息子であることはブラックユーモアだろうか)。他にも佐藤俊樹内藤朝雄、吉川徹……。新書の書き手は学者ばかりだ。

 問題意識を持ち、それを世に問うには、報道に受け皿がなくなってしまった。学術研究で何とか生きながらえることができているに過ぎない。この状況では、フリーランス・ジャーナリズムは生きるに厳しい。その証拠に若いフリーは殆どいない。及川健二は消えてしまった。私か小林美希が幕を引くのだろうか。

 今時問題意識を持つ人も少なかろう。だが持ってしまったからには仕方がない。そういう人は、東大の大学院の人文社会研究科社会学専攻(総合文化研究科の相関社会科学でも教育学研究科の教育社会学でもいいけど)にでも行って、トレーニングを受けるしかない。そして社会調査で博士論文を書く。その上で評論の書き手としてメディアに認知してもらう。現に『朝日ジャーナル』には、本田由紀が書いている。評論にしか問題意識の行き先はないのだろうか。あるいは社会学の質的調査でしか社会の問題を取り上げられないのだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/tazan/20090417