Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

橋本一径さん(id:kazumichi_h)のはてなダイアリーより2題

◇ デジタル・イメージの改変不可能性について - FIGURALIA

DVDやブルーレイ・ディスクの「コピーガード」機能のように、デジタル技術というのは複製や改変を困難にする方向に進化していくものである。(ガードをくぐりぬける技術もまた進化するので、いたちごっこが続くのはもちろんだが。)デジタル写真についても、それが修整や複製を容易にする技術であるとだけ考えるのは、一面的にすぎるだろう。

いつどこで撮られたのかがGPSによって記録され、修整されたものでもないことがデジタル技術によって証明されるようになったとしたら、それこそが写真のイメージにとっての根本的に新たな事態なのだとは言えないだろうか。写真はこれまでも、「かつて・あった」ものを物理的に「指し示す」とされてきたが、写真が表象するとされるそのような「真実」は、デジタルで証明されるような「真実」と、はたして同じものだったのか、あるいはまったく別のものなのか?

http://d.hatena.ne.jp/kazumichi_h/20081225


◇ 2008-12-26 - FIGURALIA

前川さんのところで紹介されていた以下の本が届き、さっそく
トム・ガニング、ジェニファー・タッカーあたりから読み始める。
しかしどうもあまり面白くない。そもそも「不可視/可視」という
二分法があまり有効ではないような気がする。写真に写るものは
たいてい見た目とは違うのだから、お化けやバクテリアでなくても、
ほとんどすべての写真には「不可視」のものが写っているのだと
言うことだってできてしまうのではないか。
(追記:つまり「不可視」を問うには、「可視」とはそもそも何なのかを
問う必要があると思うのだが、Corey Kellerの巻頭論文はそういった
問題意識を持ちつつ、天文写真から顕微鏡写真、レントゲン写真までを
概説してあり、なかなか勉強になった。)

http://d.hatena.ne.jp/kazumichi_h/20081226


>>>見えるもの/と/見えないもの
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090720#p15