Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

「解説──徒労と求道と」福田和也より

 僕たちが、初めて酒場に足を踏み入れた頃、まだ、辛うじて、神話時代の残骸の、埃のように微かな名残りが漂っていた。疲労した表情を隠さずに押し黙った遊び人たちが、溜池の歩道に乗り上げたアメリカ車を乱暴に取り回して、女も連れずに走り去るのを呆然として眺めていた夜明けから、僕たちはその名残りに頬を叩かれるようにして、遊びとは何かを仕込まれる、長い、終わることのない修業時代に入った。西麻布のバーで、何が悪いのか解らない裡に、友達と二人、横に座っていた客に酷く殴られて起き上がれなくなった。ディオンヌ・ワーウィックが唄う、バート・バカラックの、『雨にぬれても』が流れていた。子供独特の無謀さで、同じ店に数日してから行き、酒の頼み方がなっていないと殴られたのだと、ぼそぼそした喋り方をする暗い顔をしたバーテンに聞いた。何を、何時、頼んだのが悪かったのか、全然解らなかった。今でも解らない。ただ、解ったのは、酒には呑み方と云うものがあって、それを違えると膝が震える程殴られるというような事が、世の中にはあるのだ、と云うことだけだ。

『テニスボーイの憂鬱』が、小説として圧倒的に優れているのは、私たちが課せられている倦怠を、克明かつ容赦なく描き出しながら、そこからしか出発しえない世界の認識と、一つのスタイル、あるいは倫理の如きものを抽出しているという事にある。倦怠は、無為からは来ない。そのような無為は、無力か不惑の別名にすぎまい。倦怠は寧ろ、絶え間のない歓喜と興奮の中からやって来る。その倦怠において、私たちは、歓喜が権利ではなく、義務であることを知らされる。ある者たちにとっては。楽しいから、遊ぶのではない。遊ばなければならないから遊ぶのだ。

村上龍『テニスボーイの憂鬱』(幻冬舎文庫)所収
http://www.gentosha.co.jp/search/book.php?ID=200148


◇ テニスボーイの憂鬱 - Google ブックス
http://books.google.com/books?id=g25Q1xD-J4sC&pg=PA170&dq=%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%86%82%E9%AC%B1+%E3%80%80%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A9&as_brr=3&hl=ja#v=onepage&q=&f=false
キラキラ。。。
ちなみに初出は、雑誌『ブルータス』の連載(1982〜1983年)。