■エドワード・バーティンスキー(Edward Burtynsky)に対する違和感
◇ 「いま ここにある風景」 - ◆ mkb : foto & more
<未整理>
産業がもたらす風景を扱うカナダの作家Edward Burtynskyの中国における制作をベースとしたドキュメンタリ。
・北米文化に育った作家・監督が中国を扱っている側面
・中国批判と環境問題の格好の材料
・環境問題に意識がないとは口が裂けてもいえない状況を加速させる
・50年前の日本
・数百年かけて工業化した国と、数年で工業化しようとしている国
・作家として恵まれている
・環境問題とどう結びつけるか(土壌汚染・温暖化そのものは別の問題)
・2006年に制作された国際的な映画が、2008年の夏に日本で公開される
・洞爺湖サミット、北京オリンピック、真夏というタイミングを考慮するおぞましさ
・氏の制作・作品についての批評性がない、政治的な訴えを意識しているという彼の姿勢は難なく了解されるべきもの?
・中国の家電製品組立工場、中国のコンピュータ基盤からのレアメタル収集、中国のダム工事、バングラデシュのタンカー解体作業、バングラデシュの原油処理、中国の石炭置場を一つの映画で同列に扱うことへの違和感
・環境が危機的状況にあるからといって、局所的な場面を取り上げて騒いでも何も解決しないのでは
・環境プロパガンダ映画
・作家としては環境に訴えるよりも、「工場萌え」的なウケをめざしているに違いないのでないか
・異なる撮影時期、様々な手法(モノクロ・静止画・長回し)
・作家の活動を全面的に正しいものとして描いている
・子どもや老人や女性を優先的に扱っている
・映画を無批判にこぞって取り上げる名だたるメディア、そもそも彼らが成し遂げるべき対象・仕事であるはず
http://d.hatena.ne.jp/azure2004azure/20080715#p3
映画はまだ観ていませんが、ほぼ同感です。
……ということもあって、エドワード・バーティンスキーは、以前から苦手な作家です。
取り巻きが良くないだけなのかもしれませんが。。。
彼の写真に頻出する非常にイージーな広角&フォールの使い方がすべてを物語っていますが、
「崇高さ」を醸し出すことを狙ったあのお手軽手法は、はっきり言って最悪だと思っています。
グルスキー、ミズラック、バジリコ、スタンフェルド etc.etc. といった作家からの影響はべつにいいんですが、
その消化の仕方が微妙です(イイとこ取りにしてもまだやり方が……)。
ところで、中国で撮ったこの写真(http://www.new-york-art.com/burtynsky-5-Manufacturing.jpg)は、
グルスキーみたいにクレーンを使って撮ってる可能性もあるとみていますが、
実際のところどうなんでしょう。メガホンで指示してたりして。ジェフ・ウォール、クリュードソン風に。
いずれにしても、映画も写真も込み込みで、エコに乗っかって
のちのち手広く展開していくことを考えて
中国に撮りに行ってますね。彼らは。
たとえば、Cao Fei(ツァオ・フェイ)の「Whose Utopia」に比べれば、
バーティンスキーの写真は、その10分の1も価値のないものに思えてしまいます。私にとっては。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080326#p3
あと、ある種のドキュメンタリー写真(サルガド?)や芸術写真を遠まわしに牽制するかのような、
サイモン・スターリング(Simon Starling)の「One Ton, II」(南アフリカのプラチナ鉱山を撮影した写真。
タイトルは、展示された5点のプラチナプリントを作るのに、1トンのプラチナがかかったという意味)と、
バーティンスキーの写真の違いについて考えてみてもいいかもしれません。
http://www.icp.org/site/c.dnJGKJNsFqG/b.2041633/k.97B6/Simon_Starling.htm
そういえば、サルガドの金山と『ポワカッツィ』の金山ってかぶっていたような。
『いま ここにある風景 エドワード・バーティンスキー:マニュファクチャード・ランドスケープ「CHINA」より』
を観る時間があるのなら、ゴッドフリー・レジオの『コヤニスカッツィ』と『ポワカッツィ』を観ることをオススメします。
>>>たまには見比べてみよう
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060307#p7
>>>マイヤーウィッツ? マイヤーヴィッツ? メイエロウィッツ? の新しい写真集
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060830#p5
>>>1か月前のこと
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070613#p6