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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

試写室だより『LOOK』 監視映画というジャンル 金子遊(映画批評家) - 映画芸術

 「監視映画」の歴史は、映画史とほぼ同時に幕を開けたといっていい。世界初の実写映画といわれるリュミエール兄弟の『工場の出口』(1895)は、リヨン近郊の建物から一日の労働を終えた人々が出てくる姿をとらえた、50秒ほどの映画であった。この映画におけるカメラのまなざしには、工場主が労働者を観察する「監視の視線」がレトリカルに重ねられていたという指摘がある。

 また、テレビもない時代にチャップリンの『モダン・タイムス』(‘33) は、資本家がモニターで工場労働者を監視するシーンを描いた。実際に世界最初の監視カメラが生まれたのは後年の1942年のことで、ナチスが開発した弾道ミサイル「V2ロケット」の打ち上げを観測したときであったというから、チャップリンの先見性には驚かされる。
 早い時期から映画のつくり手たちは、映画撮影というテクノロジーのなかに、権力者によって一般人が監視化される危険性を見ていたのである。

 その一方で、映画は「監視の視線」を物語のナラティブへと貪欲に取りこんでいくこともした。ヘンリー・ハサウェイの『出獄』(‘48)には、イリノイ州のステイトビル州刑務所でロケ撮影した、パノプティコン(全展望監視施設)の姿が記録されている。
 これは中央部の監視塔のまわりに、円周状の監獄を配置した監獄建築であり、看守に常に監視されていることを囚人の心理に内在化させて秩序を保つものだ。監視社会のあり方として隠喩的に使われるモデルであり、映画ではジェームズ・スチュワートが刑務所内を歩くシーンで効果的に見せている。

 メディア文化研究のトーマス・Y・レヴィンは共著書『監視の修辞学』のなかで、フリッツ・ラングの『ドクトル・マブゼ』(‘22)やヒッチコックの『裏窓』(‘54)、マイケル・パウエルの『血を吸うカメラ』(‘60)を例にとりながら、カメラが持つ「監視の視線」が映画の演出において、洗練された形で使われていったことを明らかにする。
 レヴィンによれば、登場人物を監視するカメラの視線、反対に登場人物とともに誰かを覗き見をするカメラの視線には、ひとしく観客とカメラを一体化させる効果があり、観客が本来的に持つ窃視症的な欲望を満たすところがあるという。そのように考えてくると、アダム・リフキンの『LOOK』(‘07)という映画は、観客とカメラアイが同期する原理をうまく利用し、全編を監視カメラの映像だけで構成した野心的なフィクションだといえそうだ。

http://eigageijutsu.com/article/105271950.html


>>>アダム・リフキン監督作品『LOOK』公開
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080911#p3


>>>監視カメラと表現
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080824#p12


>>>時間・空間を再編成する - short hope
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090203#p6


>>>倉石信乃「監視の現在+ウォーカー・エヴァンズの超越」より+α
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080824#p9


>>>監視映像論8 - はてなStereo Diary
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070619#p2


※過去の「監視」関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%b4%c6%bb%eb