Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

Nikon Salon juna21 金川晋吾「father」@新宿ニコンサロン

2月23日(火)〜3月1日(月)

<写真展内容>
これは作者が父親を撮った作品である。
ある日突然いなくなり、数ヶ月間姿が見えなくなる。そのような「蒸発」を繰り返し続けることで、作者の父は何もない人間になった。財産も、他人との関係性も、自分の考えも、何もない。
何もない人間になること。それはおそらく父自身が望んだことだ。何もない人間になれば、自分のことについても、自分のことを考えてくれる他人についても、考える必要がなくなるのだから。
ある作家が次のようなことを書いていた。
「もし他人のことをほんのわずかでも知ることができるとしたら、それはその他人が自分を知られることを拒まない限りにおいてだ。もし寒いときに、『寒い』と言うことも震えることもしない人間がいたとしたら、私たちはその人間を外から観察するしかない。ただし、その観察から何か意味が見出せるかどうかはまた別の問題だが」
作者は、父親は寒いときに震えることはすると思う。だが、「なぜ震えているのか」と尋ねられても、父親は「わからない」と答えるだろう。本当にわからないのか、それともただ考えたくないのか、それは他人からはわからない。おそらく、本人もわかっていない。カラー40点。


<作者のプロフィール>
金川 晋吾(カナガワ シンゴ)
1981年京都府生まれ。神戸大学卒業。現在東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程在籍。

http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2010/02_shinjyuku.htm#03
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/
本日オープニングです。


◇ 23日オープニング 新宿ニコンサロン - 金川晋吾の日記

ニコンのページでのテキスト、なぜか微妙な改変が加えられています。
以下が本来のテキストです。


「father」
ある日突然いなくなり、数ヶ月間姿が見えなくなる。そのような「蒸発」を繰り返し続けることで、私の父は何もない人間になった。
何もない人間になること。それはおそらく父自身が望んだことだ。何もない人間になれば、自分のことについても、自分のことを考えてくれる他人についても、考える必要がなくなるのだから。
ある作家が次のようなことを書いていた。
「もし他人のことをほんのわずかでも知ることができるとしたら、それはその他人が自分を知られることを拒まない限りにおいてだ。
もし寒いときに、『寒い』と言うことも震えることもしない人間がいたとしたら、私たちはその人間を外から観察するしかない。ただし、その観察から何か意味が見出せるかどうかはまた別の問題だが」
私の父は寒いときに震えることはすると思う。だが、「なぜ震えているのか」と尋ねられても、父は「わからない」と答えるだろう。
本当にわからないのか、それともただ考えたくないのか、それは他人からはわからない。おそらく、本人もわかっていない。

http://d.hatena.ne.jp/kanagawashingo/20100217

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金川晋吾の写真1
http://d.hatena.ne.jp/kanagawa1/


金川晋吾の写真2
http://d.hatena.ne.jp/kanagawa2/


※過去の金川晋吾さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%B6%E2%C0%EE%BF%B8%B8%E3