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提灯記事も困るけど、評価してるんだかしてないんだかわからない、ただ自分の言葉づかいに酔っているだけ、つまり単にきれいにまとまっているだけの文章もまた同じくらい困る。
研究者と作家のやりとりがもっと行われれば面白いと思うんだけど、なぜこうもお互い断裂してるんだろう。興味ないのかな。
美術史が面白いのは、それを勉強していなかったらあの時のあの場所について知ることはなかったし、そのことをきっかけに、ゆかりの地に行きたいなんて思わないだろうな、というところ。歴史を知れば知るほど、行きたい場所が沢山できる、ということがとても嬉しい。
DVD化、待ってました!!「大野一雄 花/天空散華 いけばな作家中川幸夫の挑戦」http://www.imagef.jp/commodity/d_1197.html
思えば、学生時代美術史の困難さを最も感じたのはそこだった。つまり、その作家の「すべて」にアクセスできないという厳然たる事実。若冲も、新資料の発見で「実務に疎い引きこもり画家」ではなく「勤勉な実業家」だ。美術史家の作品からの「想像」など、「一次資料」の前に無惨にも破れ散る。
おそらくしていないだろう。というか、できない。結局研究者は、「重要と考えられる作品」や「資料」をもとにその全体を想像するしかない。しかし、「今や誰の目にも触れていない作品」の中に「重要と考えられる作品」がある可能性は十分ある。だから作家研究は難しい。
注視している作家の作品を見逃すなんて、研究者としては決定的にダメである。けれども、すべての作品を見ること、というのははたして可能なのだろうか。寡作ならともかく、多作な作家の場合。たとえば岡本太郎研究者はその膨大な作品全てを見た上で研究しているか。
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