Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ウィリアム・エグルストンとアレックス・チルトンの話題(福田和也さんのツイッターより)

◇ TONKATUOOJI (TONKATUOOJI) on Twitter

など、と云っていたら、アレックス・チルトンの訃報が飛び込んできた。

こりゃ、仕事にならねぇな。って云っても、日本ではほぼ無名だって事になるんだろう。

ワタクシだって、ディス・モータル・コイルのカバー集で、はじめて「ホロコースト」を聞いたのだからエバれない。そこから、ボックス・トップス時代に遡って聴いた。

来日は、一度だけだと思う。あれ、なぜか『新潮』矢野と行ったんだよ。渋谷のオン・エアーだっけ。九十五年ぐらいだったと思う。もっと後かな。

いま調べたら、94年でした。多くの聴衆が期待していたであろう、BIGStarの3rdアルバムからの楽曲−Holocaust,Kangaroo−は、まったく演奏されなかった。

いまのところ唯一のChiltonがらみの著作、『BigStar』Rob Jovanvicによれば、日本ツアーは、"Their biggest trip"だったそうな。悲しい。たしかに、Bigstarとしては、二百回くらいしかステージに立ってないんだから、日本で六回ばでかい。

Chiltonは、ルー・リードイギー・ポップと並ぶ、ヒーローだけど、その存在感がいよいよ大きいのは。彼とEgglestonとの関係、というか絆。当時のメンフィスでは、この二人が一番厄介な酔っぱらいだった。

Egglestonの代表作とされる写真の多くが、Chiltonのジャケット用に撮影されたもの。有名なディスコの天井の電球の写真は、3rdのジャケット写真だし、三輪車は、コンピレーションのジャケット。

昨年だっけ、グッゲンハイムで、Egglestonの回顧展が行われたけれど、あのカタログのカバー写真もChiltonのソロ Like Files On Sherbetのジャケットに使われたもの。

でも、日本の評論家って、ニューカラーがどうのこうの云う割には、Chiltonの事は全然知らない。あの写真は、Chiltonとの無軌道極まりない生活からしか出てこないものなのに。

前述のJovanvicの著作では、Egglestonの事を「a major hell raiser」と記してある。

とりあえずBigStarの3rdを聴いてみてください。R.E.M.のPeter Buckが、「これだけの作品は到底作れない」と嘆いています。

http://twitter.com/TONKATUOOJI
アレックス・チルトン追悼ツイート。
以前、『週刊SPA!』の連載「これでいいのだ!」でも少しふれられていた話の
拡張版といった内容です(福田和也さんは去年メンフィスを訪問してます)。
ウィリアム・エグルストンがキャリアをスタートさせた初期の頃は、商業写真も撮っていたようですが、
“Egglestonの代表作とされる写真の多くが、Chiltonのジャケット用に撮影されたもの。”
については検証が必要かと思われます。


◇ アン・セリーヌ・イエガー『写真のエッセンス―プロフェッショナル28人が語る写真作法』(PIE BOOKS)より

依頼を受けて写真を撮ったことはありますか?
私は依頼に逆らうことはありません。自分では考えつかないようなプロジェクトが依頼されると、それはチャレンジのようなもので、その写真がどうなるのかを見たいと思います。ちょうど The New York Magazine から、ハシジロキツツキという、とっくに絶滅したと考えられていた鳥を撮影する仕事を頼まれたところです。私はいままで鳥の写真を撮ったことがないですし、見つけられるかどうかもわかりません。誰もその鳥を1000年間見たことがないんですから。


コマーシャルの仕事についてはどうでしょう?
丁重に断っていますね。興味がないんです。

http://www.piebooks.com/search/detail.php?ID=1013
http://www.amazon.co.jp/dp/4894446626
翻訳者は小林美香さん(http://www.mikakobayashi.com/)。


◇ 小久保彰『ニューヨーク・アート・スケッチ—写真の視覚から』(筑摩書房 1995年刊)より

[略]一九七六年にニューヨークの近代美術館で開催されたウィリアム・エグルストンの個展からである。このカラー写真の到来を急激に広めた仕掛人は、近代美術館の写真ディレクター、ジョン・シャーカフスキーであった。[略]この近代美術館の個展の展示は一階の二部屋が会場にあてられ、作品総数八十点、同時に同美術館から『ウィリアム・エグルストンのガイド』が刊行された。この大規模な個展は巨匠クラスの待遇で、三十八歳の無名に等しい写真家の個展としては異例であった。さらにシャーカフスキーは「エグルストンによってシリアス・カラー写真は発明された」とインパクトの強い言葉で批評している。

 ここまで書いてきたところで、エグルストンの写真が『カメラ毎日』一九七四年十二月号に掲載されていることを知った。驚くほど早い掲載である。この「今月号の作品」の紹介欄で、「表紙にもなっている現代アメリカの作家シリーズのウィリアム・エグルストンの『赤い天井』には今春ニューヨークの近代美術館の展示室で出会いました」と記されている。しかし、現時点で見ると、表紙になっている「赤い天井」はエグルストンの作品の中では傍系に属する写真である。この作品は、『ウィリアム・エグルストンのガイド』には収録されていない。

http://www.amazon.co.jp/dp/4480872566
『William Eggleston's Guide』は→http://www.egglestontrust.com/monographs.html
Essay by John Szarkowski も読むことができます。


◇ 日高優『現代アメリカ写真を読む――デモクラシーの眺望』(青弓社

 繰り返せば、カラー写真の「登場」は鮮烈だった。というのも、一九七〇年代に入るまで、シリアス・フォトグラフィはもっぱらモノクロームで、カラーは恣意的な着色で目立とうとする商品広告やファッション写真などのコマーシャル系の写真、もしくはアマチュア写真家の趣味でと、基本的には明確にすみ分けられていたからである。もう少し子細に確認すれば、ネイチャー・フォトグラフィなどの個別領域では五十年代からすでに「ナショナル・ジオグラフィック」で活躍したエリオット・ポーターやエルンスト・ハースなどのカラー写真家が登場しているのだが、シリアス・フォトグラフィの主流は七十年代に入るまでカラー写真を黙殺し続けてきた。[略]エグルストンは商業写真家として写真を撮りながらもほとんど無名で、個人的な作品としてシリアス・カラーを探求している写真家だった。シャーカフスキーはいち早くカラー写真の可能性を見出して、この写真家にMoMAという写真の殿堂の重い扉を押し開いたのである。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090624#p2
シリアス・フォトグラフィについては→http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060220#p8


◇ 再び、アン・セリーヌ・イエガー『写真のエッセンス―プロフェッショナル28人が語る写真作法』(PIE BOOKS)より

ニューヨーク近代美術館で開催された歴史的な展覧会の経緯を話していただけますか?
多くの友人が、私の写真をジョン・シャーカフスキーに見せるべきだとすすめてくれたんです。当時彼はニューヨーク近代美術館で写真のキュレーターをしていました。ですから、私はニューヨークに行くとすぐに電話をかけて、そちらへ立ち寄るから写真を見てもらえないかと尋ねました。彼と私は長い時間をかけてとても親しい友人になりました。私がもってきた写真をほとんど毎日のように見て作業をしていきました。数年をかけて、何千枚もの写真から選び出した写真があの重要な展覧会と写真集というかたちにまとめられたのです。


写真を撮り始めたころ、写真についてお互いに話ができるような相手はいましたか?
私が1957年に写真を撮り始めたころ、私がやってみたいと思うような写真を撮っている写真家はほとんどいませんでした。リー・フリードランダーやゲイリー・ウィノグランド、ダイアン・アーバスなどの仲間のような写真家のことは、お互いによく知っていました。お互いのことを信じ合う秘密結社にいるような感じでした。彼らとはまったく違う種類の写真を撮っていましたが、お互いの作品を見るだけで、批判することはありませんでした。私たちは皆何かを学び、お互いから何かを借りていた——もちろん、それは作品の意図する部分をくみとるということで、模倣ではありません。

ある写真が別の写真より際立って見えるとしたら、その理由は何でしょうか?
私には特に気に入っている写真というものがありません。写真を民主的に見ています。私には写真はみな等価なんです。私が見せたいと思っても、チャンスがなかった写真もまだたくさんあります。また、非常に有名になった写真の中には、私が決して気に入ったものとして取り上げなかったものもあります。例えば、赤い天井の写真です。何かを考えて撮った写真ではありません。私はミシシッピ州の小さな町にいて、友人と一緒にベッドの上に寝っ転がっていました。その友人は、それぞれの部屋を異なった色のペンキで塗るという奇妙な習慣をもっていて、私たちはただ彼と一緒にベッドに寝っ転がっていて、彼の妻と話をしていました。天井の方を眺めていると、電球がありどこもかしこも赤かったんです。私はすぐに写真を撮りました。写真集や展覧会のために私以外の人が写真を選ぶ場合であっても、少しも煩わしいと思うことはありません。たいていの場合はその人にまかせます。ガイドラインのようなものも与えないんです。通常は私が知っていて尊敬している人がやってくれるからです。トーマス・ウェスキやジョン・シャーカフスキーのような人です。

http://www.piebooks.com/search/detail.php?ID=1013
ひょっとすると、「その友人」がアレックス・チルトンなんでしょうか?
トーマス・ウェスキ(Thomas Weski)については↓を。
http://www.goethe.de/ins/id/lp/prj/aco/kur/wes/enindex.htm
http://www.egglestontrust.com/hasselblad_weski.html
http://www.egglestontrust.com/los_alamos_weski.html


◇ Big Star『Radio City

CD (2009/9/8)
オリジナル盤発売日: 1974

http://www.amazon.co.jp/Radio-City-Big-Star/dp/B002GCJW8Q
ウィキペディア情報では、1974年1月(または2月)発売のようです。


◇ Alex Chilton『Like Flies on Sherbert』

CD (2000/3/28)
オリジナル盤発売日: 1979

http://www.amazon.co.jp/Like-Flies-Sherbert-Alex-Chilton/dp/B00000G5GU


◇ William Eggleston's (Album Cover) Guide - B

Eggleston's first cover was the classic Big Star album Radio City released in 1974. Lead singer Alex Chilton knew Eggleston from the Memphis arts scene and was an early champion of his work. Although the photograph (Greenwood, Mississippi, 1973) has since become very well known, it was relatively obscure at the time. Eggleston hadn't had his MOMA show yet, color was still vulgar, and the choice of photo was fairly radical.

http://blakeandrews.blogspot.com/2009/07/william-egglestons-album-cover-guide.html


アレックス・チルトンが死んだ - mrbq(松永 良平 blog Q)

アレックス・チルトンが死んだ。


現地時間の3月17日で

死因は心不全

59歳だった。

オースティンのロック・バンド

スプーンの新作「トランスファレンス」の

ジャケット写真が素晴らしいと見とれていたら、

あれはウィリアム・エグルストンの作品なのだと教えてもらった。


メンフィス在住の写真家

ウィリアム・エグルストンの作品で

現代のロックファンにもっとも有名なのは

ビッグ・スターのセカンド「レディオ・シティ」のジャケットだろう。

http://d.hatena.ne.jp/mrbq/20100318


◇ Spoon『Transference』
http://www.amazon.co.jp/Transference-Spoon/dp/B002VDZIIS


◇ William Eggleston - Wikipedia, the free encyclopedia

The earliest commercial use of Eggleston's art was in the album covers for the Memphis group Big Star who used the famous Red Ceiling image on their album Radio City. Later records also had other Eggleston images, including the dolls on a Cadillac hood featured on the cover of the classic Alex Chilton album Like Flies on Sherbert. The Primal Scream album Give out But Don't Give Up features a cropped photograph of a neon confederate flag and a palm tree by Eggleston. In 1994, Eggleston allowed his long-time friend and fellow photographer Terry Manning to use two Eggleston photographs for the front and back covers of the CD release of Christopher Idylls, an album of ethereal acoustic guitar music produced by Manning and performed by another Eggleston friend, Gimmer Nicholson.

In 2006, a William Eggleston image was coincidentally used as both the cover to Primal Scream's single "Country Girl" and the paperback edition of Ali Smith's novel The Accidental. The same picture had already been used on the cover of Chuck Prophet's Age of Miracles album in 2004.

In 2001, William Eggleston's photograph "Memphis (1968)" was used as the cover of Jimmy Eat World's top-selling album Bleed American. Eggleston's photos also appear on Tanglewood Numbers by the Silver Jews, Joanna Newsom and the Ys Street Band by Joanna Newsom and Transference by Spoon.

http://en.wikipedia.org/wiki/William_Eggleston


◎ WILLIAM EGGLESTON
http://www.egglestontrust.com/


YouTube - Big Star "Kangaroo"
http://www.youtube.com/watch?v=fP2t6flTmyY


YouTube - Alex Chilton Holocaust
http://www.youtube.com/watch?v=rbJj5bISAKs

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>>>「ニュー・カラー」−「ニュー」=「カラー」
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090721#p4


>>>ポール・アウターブリッジ[Paul Outerbridge]の(ニュー・)カラー
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090721#p5