◇ 「リアル」という名の病−−清水穣 - 光子力研究所
「リアル」という名の病−−清水穣
リアル脳炎は、写真に写真以外のもの(リアルなもの)を求めようとして罹る病である。なぜ写真以外のものを求めるかといえば、すでに巷には膨大な量の写真があふれ、世界は撮り尽くされているから「もはや写真に撮るべきものはない」「撮り尽くされた写真の外に出なければならない」と思うからである(初期症状)。
ここから、写真の外部としての「リアル」と、写真という表象の世界という二項対立が現れ、前者の項に「他者」「無意識」「外部」「自然」「写真性」「アナログ」「女」といった概念が入ると、後者の項では「自己」「意識」「内部」「人為」「絵画性」「デジタル」「男」がそれぞれ対応するようになる(重症化)。この段階になると、患者は写真から「リアル」をしようとして写真そのものを見ないようになり、それとともに両極間で弁証法的な往復運動(リアルと見せてフェイク、とみせてリアル:抽象と見えて現実風景:絵を描いて写真に撮って、それを絵に描いてまた写真に撮る・・・など)が始まる、さらに往復運動自体がマニエリスティックに自己目的化してそこから出られなくなる。(フォトグラフィカ2009 winter vol.17 P111)
http://hosakanorihisa.tumblr.com/post/256297239
◇ 「リアル」という名の病−−清水穣 続き - 光子力研究所
「リアル」という名の病−−清水穣 続き
写真自体を見なくなった患者たちの眼に「リアル」は大きく分けてポジとネガ、二通りの現れ方をするようである。このとき女性患者をポジ、男性患者はネガの「リアル」を好む傾向にある、ポジのリアルとは何らかの意味で印象的な、記憶に残る画像効果(強いコントラスト、逆光、鮮やかな色、血、精液、死体といった衝撃的な被写体)である。ネガのリアルとは意味の不在、空虚、空白(何でもない日常、無人風景、無表現性)のことである。(フォトグラフィカ2009 winter vol.17 P111)
http://hosakanorihisa.tumblr.com/post/256304403
これは掲載誌の全文を読んでみても、かなり意味のとりづらい文章になっていたと思います。
たとえ、清水穣さんの過去の著作をすべて読んでいたとしてもです。
なので、保坂昇寿さんがツイッター上ではしゃいでいたような受け取り方で、
すらすらと理解できてしまうほうが、ちょっとヘンなんじゃないか? という気がします。
ひょっとすると、清水穣さんは何か大きな病気にでも罹っているとでも診断されたんでしょうか?
……と、心配になるような内容だったと記憶しています(筆が荒れている感じです)。
それとも、編集の方がノーチェックで入稿してしまったとか。。。
◇ コラージュって何? - Heliograph(太陽の描く絵)
http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20091125/1259171235
◇ 2009年を回顧する|清水穣 - Heliograph(太陽の描く絵)
http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100203/1265220297
清水穣さんが使っているコラージュ概念については、
柴田敏雄さんの作品集『For Grey』か『a View』の
巻末に掲載されているテキストを読むことをおすすめします。