Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

のむけんさん(id:nomrakenta)のはてなダイアリーよりギャビン・ブライヤーズについて

◇ 素晴らしいアフォリスムの豊かなばらまき、それと即興からの距離:ギャビン・ブライヤーズ初期実験音楽集:Gavin Bryars『The Marvellous Aphorism of Gavin Bryars The Early Years』 - みみのまばたき

現代音楽ですとか実験音楽というのは、基本的に前世紀にその役目を終えた、みたいな位置づけが優勢というか常識であって、ノスタルジー以外の目的で、「なぜあんたはそういう類の音楽を聴くのか」と時々訊ねられることがありますが、そういうときは、詩人の小笠原鳥類氏が「いん/あうと」で書いていた文章のなかの「詩」や「言語」といった言葉を「音楽」あるいは「音」と置換したような意味のことを言ってみることにしています。

なぜ詩を読むのか。という問いに対してはいろいろな答えがあるだろうけれど、答えの1つとして「変な言葉を読みたいから」があると思う。変な語彙、変な文法、変な文章が次々に登場するのを見たいのである。そこで面白い面白い、楽しい、ということを言いたいのである。特徴のある言語が、奇妙な装飾の多い置物のように、あるいは怪物のように、そこにあるのを見て喜んでいたい、ということである。まともでまっすぐな言語ばかりが集められた詩集を読んでも、そういう喜びはない。独特な、特徴のある言語、そこで何かが起こっているということを感じさせる言語を、重視したいのである。

    • 小笠原鳥類【過剰に大量にいろいろなことが起こっているので、白い詩集】

http://po-m.com/inout/id135.htm

ブライヤーズで最も有名なのは『タイタニック号の沈没』だったそうですが、少なくとも自分にとってはブライヤーズは、感動的な『イエスの血は決して私を見捨てたことはない』(トム・ウェイツは年老いた浮浪者が歌うオリジナルバージョンを深夜ラジオで聴いて号泣、1993年の同曲リメイクでのボーカル参加を熱望したらしいです)の作曲家として、それと、作曲家として本格的活動する以前の1960年代にデレク・ベイリー、トニー・オクスリーらと組んでいた世界初のフリー・インプロヴィゼーション・トリオ「Joseph Holbrooke」での活動、このふたつが個人的な関心ごとでした。

ちなみに冒頭の『イエスの血・・・』もオリジナルは1971年なので時期的にはまさに同時期。しかも興味深いことに、ループ手法を駆使しながら極めてシステマティックで、作品の「基底材」がしっかりした(というか基底材が音楽作品となる)『イエスの血・・・』と真逆に、本CD収録の4作品は、モンティ・パイソンの如き(って、あんまり知らないのですが)ナンセンスなパワーで、音楽の素地を「脱臼」させていく(ように聴こえる)。そのためのプログラムとしての「作曲行為」。ブライヤーズが参加していたポーツマスシンフォニアも斯くやと言わんばかりの、いってしまえばフルクサス風味満載なCDとなっています。

1970年代からのブライヤーズが、なぜ「即興」を捨てて現代音楽の、しかも因習破壊的な実験音楽へとシフトしていったのか、その辺りがとてもおもしろいので、ちょっと書きます。


旧友デレク・ベイリーの著書『インプロヴィゼーション』に収められた当時を振り返るインタビューの中で、ブライヤーズはあるベース奏者(ブライヤーズもまたスコット・ラ・ファロに影響を受けたベース奏者でした)があきらかに自分が何をしているか全く自覚することなく「ノリノリ」で演奏している様子があまりにも道化ていて、それに幻滅してまったくベースを弾かなくなった、と回想します。

http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20080203/1202042713
とにかく全文読むことをオススメします。