Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

「PP HEADLINE1/写真の極意は印象派の名画から学ぶ!」(『PHaT PHOTO』2010年9-10月号より)

PHaT PHOTO(ファットフォト)は、撮り続ける人のための写真雑誌です: pp59最新号紹介

PHaT PHOTO 最新号のご紹介

2010年9-10月号は2010年8月20日発売!

http://www.phatphoto.jp/z04.html
いきなり巻頭3ページ目に「PP HEADLINE」という企画のトップで
「写真の極意は印象派の名画から学ぶ!」というページが掲載されていました。
ライターは「Hiroyasu Yamauchi」とクレジットされていたので
おそらくは山内宏泰さんでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%BB%B3%C6%E2%B9%A8%C2%D9


立ち読みでササッと目を通しただけですが、
フランスのノルマンディー地方ルーアン美術館で開催中の「印象派の町:ルーアンのモネ、ピサロゴーギャン」展
(Une ville pour l’impressionnisme : Monet, Pissarro et Gauguin à Rouen http://www.unevillepourlimpressionnisme.fr/)と、
横浜美術館で開催中のドガ展(http://www.degas2010.com/)を見て「写真の極意(!?)」を学ぼう!
……と、いうふうな趣旨の記事でした。


記事のディテールはよくおぼえていませんが、
印象派と決定的瞬間が、、、
モネの「ルーアン大聖堂」のように写真で、、、
写真をよく下絵に使ったドガのように大胆な構図で、、、
みたいなことが書かれていたように思います。


印象派と写真の結びつきについてはさておき、
ノルマンディー印象派フェスティバル(Festival Normandie Impressionniste)や
9月22日からパリのグラン・パレで開催されている
クロード・モネの30年ぶりの大回顧展についてはふれられていませんでした。


>>>飯沢耕太郎『写真美術館へようこそ』(1996年)よりエドガー・ドガについての記述+α

◇ taniguchimiyabi » Blog Archive » ドガと写真 - 谷口雅 写真とことばと日々

ドガと写真について繰り返し語られ続けてきたことが20年以上前に根拠無しという結論となっていたことを知った。

70年代にドガと写真ということが話題になって、その頃に語られたことで時間が止まっていた。まことしやかに語られその面白さに納得し、疑うことなど全くなかった。手品のような見事さで、事実関係の検証などどこかにすっ飛んでいたのだろう。我々の後の写真関係者ではその定説が否定されていたことが常識になっていたのかもしれない。

http://myb-jp.com/?p=2762
谷口雅さんのブログより。
ドガ展@横浜美術館のカタログは、要チェック。


ドガ ― 作られたまなざし(一橋大学教授 喜多崎親) - 一橋フォーラム21 58期 - 一橋フォーラム21

 ところが1980年代ぐらいから、「それは本当にそうなのか」という検証が行われるようになりました。先ず「ドガがそういう構図を作り出している頃、スナップ・ショット的な写真があったのか」ということが疑問視されます。先程も言いましたように、当時はシャッター・スピードが長く掛かるのです。ということは、モネのようなボケる画面を作ることになり、逆にいうと、通過していく物があるとすればぼんやりとボケた形でしか撮られないわけです。したがって、スナップ・ショットを作ろうとしても、画面の端にきちっと人物が通過する姿が切り取られるということはなくて、それはボヤボヤの影になってしまうのではないか。そして、実際にドガがそういった構図を作り始める1870年代の写真では、そうしたスナップ・ショット的なものを作ることは未だできなかったんです。

 もっと面白いのは、写真が持っているそういった特性、写真独自と考えられるスナップ・ショット的な構図は、実は絵画が伝統的に持っている遠近法の問題と同じなのではないかということです。これは難しい問題になりますが、ルネサンスに成立した線的遠近法と言われるものも、額なら額の中に、だんだん物が遠くにいくにしたがって小さくなっていく、そして最終的には奥に向かっていく線が全部集中して1点に集まり、仮想の空間を作り、それで遠近感を出す方法なのです。

 これはまさしく額の中に3次元の空間を作ることで、額なら額を一つの窓と見て、そこから一定の距離に立って見ているという視点で捉えるものなので、写真のフレームとまったく同じような原理で絵を描いていたのです。したがって、絵の方が先にあって、それと同じ方法に則って後から写真が出てきたのであり、ドガがやったことは絵画の問題として出てきたとも考えられる。こうしてシャッター・スピードのことだけを考えても、ドガがスナップ・ショット的に偶然捉えるのを写真から学んだのではないのではないかと言われるようになりました。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/kita3/main.html

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100930#p6