Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

メモ

◇ 瀧浦秀雄「東京物産」(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

やや個人的な感想ではあるが、瀧浦の写真を見ていると「きのこ狩り」によく似ているのではないかと思った。「きのこ狩り」も経験を積んで「きのこ目」ができてこないと、なかなか大物は見つからない。カメラを手にした禁欲的な歩行の積み重ねによって、普通の人なら何気なく見過ごしてしまう光景の中から「東京物産」がすっと浮かび上がって見えてくるのだろう。そういえば、ある特定の「物」が増殖して、そこら中に生え広がっているような写真がけっこうたくさんある。そのあたりも、どこかきのこに似ているようだ。

http://artscape.jp/report/review/1220692_1735.html


尾仲浩二「馬とサボテン」(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

尾仲浩二のような旅の達人になると、日本全国どこに出かけても、安定した水準で写真を撮影し作品化することができる。それどころか、その揺るぎないポジション取りと巧みな画面構成力は、外国でもまったく変わりがない。写真集『フランスの犬』(蒼穹舎, 2008)は、1992年のフランスへの旅の写真で構成されているし、EMON PHOTO GALLERYでは2007年に続く2回目の作品発表になる今回の「馬とサボテン」は、同年のメキシコへの旅がテーマだ。それでも、それぞれのシリーズに新しい試みを取り入れることで、彼なりに旅の新鮮さを保とうとしているようだ。それが今回は、パノラマカメラを使った写真群ということになるだろう。時には普通は横位置で使うカメラを縦位置にして、前景から後景までをダイナミックにつかみ取るような効果を生み出そうとしている。
その試みはなかなかうまくいっているのだが、基本的には日本でも外国でも被写体との距離の取り方がほぼ同一なので、安心して見ることができる反面、驚きや衝撃には乏しい。もっとも、尾仲のようなキャリアを積んだ写真家に、それを求めても仕方がないだろう。むしろそのカメラワークの名人芸を愉しめば、それでいいのではないだろうか。展示では、これまた名人芸といえるカラープリントのコントロールの巧さも目についた。メキシコには「尾仲カラー」とでもいうべき渋い煉瓦の色味の被写体がたくさんある。まるで闘牛場の牛のように、彼がその赤っぽい色にエキサイトしてシャッターを切っている様子が、微笑ましくも伝わってきた。

http://artscape.jp/report/review/1220697_1735.html


長島有里枝「SWISS+」(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

同じ白石コンテンポラリーアートの2F会場では、長島有里枝の新作展が開催されていた。「2007年に滞在したスイスのVillage Nomadeで撮影した花の写真とインスタレーションによる小さな展覧会」である。「インスタレーション」というのは、銀紙を壁に貼付けて「紙製の鏡」を作り出したもので、そこに観客の顔がぼんやりと映り、横に貼られたプリントと共鳴して面白い効果をあげていた。ほかにもゲルハルト・リヒターの写真が掲載された展覧会カタログに花をあしらった「リヒターの少女と野生の花」、祖母が遺した薔薇の写真をモチーフにした「祖母の花の写真とコンセントのインスタレーション」といった作品もあり、単純なスナップというよりも視覚的な体験の再構築という側面が強まってきている。そのことを、どのように評価していけばいいのかは、もう少し様子を見ないと分からないが、以前のストレートな長島の写真のスタイルとはかなり異質な印象を受けるのはたしかだ。

http://artscape.jp/report/review/1218207_1735.html


ウィリアム・エグルストン「21th Century」(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

その絶妙なバランス感覚は、今回の近作展でも充分に発揮されていた。作品を見ながら気づいたのは、かつてのような主題となる被写体が画面の中心におかれているのではなく、より希薄に分散する傾向が強まっていること。壁、窓、地面などが大きな割合を占めていて、何を狙ったのか判然としない写真がけっこう多い。だがそれが逆に写真につきまとう「ノスタルジア」を中和し、リアルな皮膚感覚を呼びさますことにつながっている。その徹底した事物の表層へのこだわりは、おそらく日本の若い写真家たちにも強い影響を及ぼしていくのではないだろうか。とはいえ、エグルストンはひとりいればいいわけで、むしろ別種の視覚的システムの構築をめざしていくべきだろう。

http://artscape.jp/report/review/1218206_1735.html


オノデラユキ「写真の迷宮へ」(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

だがこれら日常の事物の断片が、彼女のイマジネーションの中で熟成し、発酵していくなかで、奇妙に謎めいた「迷路」として再構築されていくことになる。この悪意と官能性とユーモアとをブレンドした「ひねり」の過程こそが、オノデラの真骨頂と言うべきだろう。そのことによって、ヨーロッパのとある国のホテルで起きた失踪事件が、ちょうどその地点から見て地球の反対側の島で18世紀に起きた「予言者が西欧人の来訪を告げる」という出来事と結びつくといった、普通ならとても考えられないような発想の作品(「オルフェスの下方へ」)が生まれてくるのだ。とはいえ、その「ひねり」は決してわざとらしいものとは感じられない。普通なら複雑骨折しそうな思考の過程を、軽やかに、ナチュラルに、どこか懐かしささえ感じさせるやり方でやってのけるのが、オノデラの作品が多くの観客を引きつける理由でもあるのだろう。この人の繊細で丁寧な手作りの工芸品を思わせる作品は、杉本博司、米田知子、木村友紀などとともに日本人による現代写真に独特の感触を備えているように見える。

http://artscape.jp/report/review/1218213_1735.html


◇ スティーブン・ギル「Coming up for Air」(飯沢耕太郎) - artscapeレビュー/プレビュー|美術館・アート情報 artscape

このような日常感覚、どこか真綿にじわじわとくるみ込まれていくようなうっとうしさから浮上して「息継ぎ」をしたいという思いは、日本の若い写真家たちも共有しているように思う。ギルの方がセンスのよさと勘所を抑える的確さを持ちあわせている分、現代日本の空気感をきっちりと捉えることができた。だが、むろんどうしようもないほどの高みにある表現ではない。日本の若い写真家たちも、もっと思い切りよく、一歩でも前へと踏み出していってほしいと思う。

http://artscape.jp/report/review/1220700_1735.html