Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ツイッターより

◇ Yutaka Fujimura (yfvelocity) on Twitter

モードな服を着ていて、時折「こう振る舞いなさい」的堅苦しさを覚える。しかしよく考えてみると、モードって、結局はVanity Fairな移ろいやすいモノ。表象の世界であり、責任が伴わない軽さが支配する。知恵ではなくイメージが物言う世界。鷲田清一氏の表現を想起すると、堅苦しさは融解。

「モードの体系」の中でロラン・バルトが表現していた、モードに対するシニカルさにも「ホッ」とさせられる。曰く「モードはこうして、≪みずからせっかく豪奢につくりあげた意味を裏切ることを唯一の目的とする意味体系≫というぜいたくな逆説をたくらむのだ」。私はこの無秩序な秩序を楽しむのだ。

http://twitter.com/yfvelocity


◇ Morihiro Harano 原野守弘 (I_am_Mori) on Twitter

DDBの自社広告「Do This or Die.」たぶん60年代の広告。 http://billbernbach.files.wordpress.com/2007/05/doordie.jpg 以下、西尾忠久氏による訳から抜粋。

私たちは、知的水準の高い国民です。そして、ほとんどの広告が知的な人びとを無視しているがゆえに、ほとんどの知的な人びとがほとんどの広告を無視してしまうということになるのです。

そこで私たちは、仲間うちでの話をするのです。媒体とメッセージについてとどまるところを知らない議論がそれです。ナンセンスです。広告のメッセージはそれ自身がメッセージなのですから。何も書いてない紙面にしても、何も映していないテレビのスクリーンにしても、同じことです。

私たちがそれらの紙面やテレビの画面にのせるメッセージは、真実でなければなりません。もし、真実を曲げて伝えれば、私たちには死が待っているのです。さて、コインのもう一面についてお話ししましょう。〜

〜製品について真実を述べるには、真実を述べるに足るだけの製品が必要だということです。ところが悲しいことに、多くの製品はそうではないのです。あまりにも多くの製品が、改良の努力を怠っています。特長もありません。〜

〜もし私たちがこのトリックを用いるなら、死ななければなりません。なぜなら、広告というものは、悪い製品が早くダメになっていくのを一層促進するものだからです。

もし改革がないならば、そのうちに、消費者の無関心という大波が、広告され、製造されているたわごとの山を襲うでしょう。その日こそ、私たちの最後です。私たちは私たちの市場で死ぬのです。〜

〜私たちの商品棚の上で、空虚な約束を記した美しいパッケージの中で。物音もなく、すすり泣きもされず。しかし、それは私たち自身のきたない手が引き起こしたことなのです。

DDBの自社広告「Do This or Die. 」 http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_33_01_03.pdf に全文訳が掲載されています。最後の方に。

広告代理店の価値はインテリジェンスやインサイトにあるが、あまりにもそれに欠けるツイートが多く、その広告代理店の価値を毀損している。

http://twitter.com/I_am_Mori