Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

後藤明生『挟み撃ち』(講談社文芸文庫)より

わたしはゴーゴリの『外套』を翻訳中の露文和訳者でもない。しかし、あのカーキ色の陸軍歩兵の外套を着て、九州筑前の田舎町から東京へ出て来て以来ずっと二十年間の間、外套、外套、外套と考え続けてきた人間だった。たとえ真似であっても構わない。何としてでも、わたしの『外套』を書きたいものだと、考え続けて来た人間だった。つまりわたしは、わたしである。言葉本来の意味における、わたしである。
 にもかかわらず、わたしはあの外套の行方をどうしても思い出すことができない。というより、その行方不明となった外套の行方を、考えてみること自体を忘れていたのだった。いったいわたしは、いままで何を考えてきたのだろう? もちろん生きている以上、さまざまなことを考えてはきた。あの外套の行方を考えることを忘れていたのは、たぶんそのためだろう。これは大いなる矛盾である。しかし、なにしろ外套、外套、外套と考えるだけでは、生きていくことができなかったからだ。当然のことだが、矛盾がわたしを生きながらえさせたのである。

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P25−26