Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ヘンリー・ピーチ・ロビンソン×ピーター・ヘンリー・エマーソン論争

◇ P. H. Emerson と H. P. Robinson の写真論論争(豊原正智 犬伏雅一) - 大阪芸術大学 藝術研究所

 1889 年エマソンは、以前から反発していたロビンソン流の
ネガ合成プリントによる写真作品を論難する書、『自然主義
写真』(1)を上梓した。この本は、エマソンとスティーグリッ
ツの親密な関係のために結果的にストレートフォトグラフィ
ーの宣言書とでもいうべき役割を果たし、ボーモント・ニュ
ーホールによって写真史研究の基本図書と見なされているも
である(2)。エマソンは、写真芸術を確固たる科学的土台に基
礎づけたという自信に溢れ、ドイツ留学中のアルフレッド・
スティーグリッツにこのマニフェストの翻訳を依頼している。
ところが、エマソンは出版から2 年を経ずして「自然主義
写真」に自ら一方的に引導を渡して、写真の芸術性をほぼ否
定してしまうのである(3)。彼はその後も写真について論じた
し、自らの写真集の刊行は続けるが(4)、程なく芸術としての
写真に関わることはなくなる。一方、エマソンの批判に応酬
したロビンソンはこの後リンクト・リングの創設メンバーと
なり、ピクトリアリズム運動を先導し、またアルフレッド・
スティーグリッツはアメリカにおけるこの運動の核となって
いく。エマソンとロビンソンが戦わせた写真論論争の意味を
従来等閑に付されてきたロビンソンの側にも光りを当て解き
明かすことが本稿の課題である(5)。

http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou23/kiyou23_13.pdf
http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/