■[新春企画]アート・ヴュー 2008|写真/深川雅文 - artscape
2007年に記憶に残った書物、論文、発言など
──大山顕+石井哲『工場萌え』(東京書籍、2007)
「萌え」が「工場」という公の建築物にまで広がりを見せ、写真というかたちでウェブでリンクを重ねた末に生まれた写真集。しかも、掲載されているイメージは80年代のニュートポグラフィックス風そのもの。そのルーツのひとつであるベルント・ベッヒャーが2007年に逝去した。しかし、翻ってみるとベッヒャーも「工場」を愛していたことはたしかである。「萌え」とは別の仕方で。
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/enq2008_13.html
「しかも、」「掲載されているイメージ」「は」「80年代の」「ニュートポグラフィックス」「風」「そのもの」「。」
■写真とアーカイヴ――ドイツ写真の現在展を見る――Between Image and Reality(神戸大学文学部 芸術学准教授 前川修)
まず、複数の極の間でドイツ写真を考える必要がある。ドイツ写真の70年代以降の成功には実は、先にあげたシュミットらが活動したベルリンの写真状況、そしてエッセンのフォルクヴァンクシューレを拠点とした主観主義写真、この二つが必要不可欠であった。とくに後者は、主観主義写真全盛のもとでベッヒャーが孤立して活動していた50-60年代とは対照的に、ほとんど省みられることがないのが現状である。また、ドイツ写真における同時代のアメリカ写真の影響(例えばニュー・トポグラフィックス等)も言及されることの少ない問題のひとつである。そして、先に指摘したように、写真が美術、とくに絵画というメディアとどのような関係を取り結んでいるのかという問題、それは、デュッセルドルフ芸術アカデミーという文脈ばかりでなく、――写真が美術として認知されるのが比較的遅かった――ドイツという文脈を考えるうえで不可欠の補助線であろう。
最後にもうひとつだけ、本展のテーマと緊密に関わる観点として、アーカイヴという問題を挙げておきたい。ベッヒャー夫妻の膨大な写真アーカイヴ、そして彼らが撮影の際に同時に調査していた工場写真のアーカイヴ、あるいはグルスキー、シュミット、デマンドが直接的、間接的に流用するメディアにおける写真、さらにはティルマンスが独自のカテゴリー分けをして撮りためている写真アーカイヴ、ルクスが前提にする子どものイメージのアーカイヴ、このように、現実とイメージを媒介しているイメージのアーカイヴという視座は本展のもうひとつの軸になっているのではないだろうか。「現実とイメージの間」、そこに介在する無数のイメージ、これも、写真のそのつどかわりゆく「現在」を現実的に(アクチュアルに)検討する鍵になるかもしれないのである」。
http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/stereodiary81.htm
http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/
■再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071124#p2)
■アアーーカカイイブヴ
◇ papery 前田恭二 - off the gallery
10.18. アーカイブ2
写真・石井哲、文・大山顕『工場萌え』(2007年3月、東京書籍刊)をはじめ、ほかにダムや水門といった産業遺産の写真集が人気だそうだ。人気だということで、テレビその他のメディアで紹介されているのを時折見かける。コンビナートが風景として享受されるようになったのは端的に言って、風景として見ることのできる距離が生まれたことを意味しよう。柳田国男の言葉で言えば「要望なき交渉」、つまり果樹を生きる糧としてではなく眺めるのと同様の心理的な距離が、コンビナートの生産活動や労働との間にも生まれ、風景として眺められ、人気も博すようになった――というわけだが、しかし、それ自体は風景論の公式通りの話に過ぎない。興味を覚えるのは、すべてかどうか、ウェブ上のアーカイヴをもとにした出版が行われていること。デジタル写真の可能性ということが数年前、よく語られていたけれど、パーソナルで、趣味的な画像アーカイブが結局、果実の一つだったのかもしれない。
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/papery/main.html
◇ 再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061013#p4)
■たぶん誰もがウェブでの活動をリヒターの「アトラス」を薄めたりちょっとズラしたようなかたちのコンセプトで説明したくもなるのだけれど……
私もある部分では、さして考えることもなく
自分のWebでの活動(このブログ 「練習場[仮]」ではなく
メインサイトのほう http://www.nobuhiro-fukui.com/)を
そういうふうに位置づけていたのですが。。。*1
先日、akfさん(http://akf.readymade.jp/AKF)の考察を読んで、
その段階で思考停止していてはダメだと思った次第。「写真画像を使ったアーカイヴァルアートって最近いっぱいあるけど、それってどうして?何にみんな魅せられてるの?」という壮大な疑問だった。
それに対して交わされた様々な質疑応答の中で、そうか、アーカイヴァル・アートって、アーカイヴなんじゃなくって、作家が作戦としてアーカイヴ形式をあくまで「偽装」しているんだった、ということに今更ながら気づいた。だからこそ、今後の課題としては、アーカイヴァル・アートをリヒターとかボルタンスキーの比較考察などで収めるのじゃなくて、そういう欧米文化で培われてきた「アーカイヴの歴史」を偽装すらしようとしないアーカイヴァル・アート、気づいたら蹴散らしているようなアーカイヴァル・アートについても考えてみたい。露光集+「演習発表 その後」(http://d.hatena.ne.jp/akf/20060930#p2)より
■部分的に再録&一部引用を追加(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070227#p3)
■ミュンヘンのハウス・デア・クンストでアンドレアス・グルスキーが新作展を開催中
※『美術手帖』2005年11月号に掲載されている大森俊克氏のドイツ写真批判
「ドイツ写真とグローバリズム」を要再読。
部屋の中をちょっと探したんですが見つかりませんでした。引用する時間もなし。
http://www.bijutsu.co.jp/bt/0511/si.html
http://www.fujisan.co.jp/Product/2196/b/81750/
※深川雅文氏の「サイトグラフィックス考」
http://park14.wakwak.com/~pg-web/log_sg.html
※79 アンドレアス・グルスキー展 ニューヨーク近代美術館 深川雅文 2001/04/19 00:07
現在、ニューヨーク近代美術館でアンドレアス・グルスキーの大個展が開催中である。(キュレーターはピーター・ガラシ)期間は3/4/2001-5/15/2001まで。連休中にでもニューヨークに行かれる方は一見の価値があるだろう。カタログは、すでに本として出されており、たとえば渋谷パルコ下のロゴスの店頭に積まれていた。なお、同僚のシュトルートは、現在、日本での展覧会も一段落して休養中とのことだがすでに2年後、アメリカでの大個展の計画が決定したという。メトロポリタン美術館、シカゴ現代美術館などで開催される予定。ところで、杉浦邦恵さんと先月お会いしたときに、グルスキーの展覧会の話題が出た。面白かったのは、グルスキーの展覧会について、先生のベッヒャーが新聞で酷評していたということだ。このことは、ベッヒャーとその弟子たちの仕事の関係をどう評価するかという根本的な問題に深く関わっていると僕は思っている。そのうち、場所を見つけて書くつもりだ。
http://park14.wakwak.com/~pg-web/log1-100.html
※グルスキーの風景 - artshore 芸術海岸
http://artshore.exblog.jp/2535278/
※写真の現在 - ARTOPE
http://artope.seesaa.net/article/9850473.html
伊奈◆いやもう少し話そうよう。キミは今、西洋が内省して自身の腐敗を見出したけど、日本はそれ相当のことができていないというようなことを言ったけど、ひとつにはそれは、アジアあるいは日本と西欧という視点から見ているというのが問題なのかな。例えば、日本からは本当に死角になっているといってもよいイスラム文化圏があるよね。過激派が頻発させるテロ行為には弁解の余地がないとしても、西欧優位の図式のなかで、精神的な意味で学ぶことは少なくないというか、それこそたくさんある。
杉田●そう、それはテロリズムなどよりも、何気ないことで一気に感得される。例えば、スペイン南端のアルヘンシラスからフェリーに乗ってジブラルタル海峡を渡ってタンジールに入れば、きれいに偶像がなくなる。イスラム世界は偶像崇拝が禁止だからね。だから、コースを逆に辿ってスペインで宗教画でも見た日には、ポンチ絵に見えてしょうがないわけ(笑)。タンジールが政治的に特殊な状況下にあったということもあるけど、今世紀の初頭に、不良ヨーロッパ人はみんなあそこを越えていくわけじゃない?
伊奈◆キミの好きなボウルズも、コースは異なるけどランボーもそういってよいよね?
杉田●そうだね。しかも、これはあまり言及されることはないけど、写真の原型とも言われるカメラ・オブスキュラは、最初バクダッドのイブン・アル・ハイサムという自然科学者によって構想されてるんだ。
伊奈◆そうか、そういう視点から見れば、写真やアートについて評するということ自体がポンチ絵のような気もしてくるよね。ところで、いきなり写真に戻るけど、目の前にある若い女性が撮った山ほどの写真の中には、極めて禁欲的なものがあるような気がするんだ。禁欲的という言葉はおかしいかもしれないけど、例えばドイツではベッヒャー夫妻のタイポロジーのようなものには、ものすごく理性的にコンセプトを捉えるという一種の禁欲性がある。もちろん、それとはかなり趣の異なるフランス的な写真は、人間というものを中心に据えて、理性的過ぎないようなかたちで、別の抑制が効いている。彼らはそれを意識しているのだけれども、ここにある写真を見ていると、無意識のうちにさまざまな抑制が効いてしまっているような気がする。
杉田●ベッヒャー夫妻の写真は、ある意味では語りやすい。つまり、いまキミが理性的にコンセプトが練られているというようなことを言ったけど、そうしたコンセプトとか方法に関しては、少なくとも写真そのものについて語るのよりはたやすいんだよ。
伊奈◆コンセプトあるいは方法論的に特化しているという意味では、ベッヒャー夫妻の写真には写真的な快楽というのはまったくないのかもしれない。これは、フランス人のキュレータも同じようなことを言っていた。で、フランスは、そういったコンセプチャルなものだけであることから距離を置くために、身体性とか行為とか、現場というようなものに、より大きな意味を見出そうとする。
杉田●だけど、それがそれでまた、ドイツとは異なる形での不自由さを感じさせる。コンセプチュアルなものに溺れないために、それを突き詰めないようにするんだけど、それが微妙にブレンドされた程度でもと求められていて、外から見ているとその辺は不自由な感じがするわけ。そういう視点から見ると、今度はベッヒャーでさえコンセプトに関してはより自由だったのかなとか思えてしまったりする。彼らの弟子達になると、もう完全に快楽主義的なところさえある。
伊奈◆あるある。だってグルスキーなんてさ、フォトショップをあれだけ使って、もうあれはちょっと一種の工芸にも似た作業じゃない? 最近では、クリエティヴなものを感じないと、同じベッヒャーの弟子でさえ言うよね。何か自分がきれいなものをつくりたいというところで、本当に臆面もなくのめり込んでいる感じがするんだよね。工芸作品というか、平面構成をどうするかということだけへの拘りになってきてるよね。そういう意味では、ものすごく快楽主義的な感じがする。そして、その源にはやっぱりベッヒャーがいる。つまり、ベッヒャー夫妻の場合は堅苦しい不自由さだけが見えてたけど、ベッヒャーの弟子達を通して、ベッヒャーにもそういう類いの快楽があったんじゃないかというところまで見えてくる。
杉田●うん、それは言えると思う。それに対して、この女の子達の写真に戻ると、彼女達はHIROMIXとかによって、自由な写真というか、あんなものを撮ってもいいんだというようなことを教えられてた気になっているわけだけど、でも極めて不自由だよね。というのは、何か自分の生活のリアルな暗部というか、恥部というか、それを見せられなくなってしまっている。マイナスな部分を開けっぴろげに見せるという素振りを見せていても、ワイルドな感じだったり、スピード感があったり、グレてる雰囲気みたいな、ある意味ではカッコイイ虚構のストーリーになってしまっている。これは、かわいかったり美しかったりするものしか撮らないのと変わりない。さらに言えば、花鳥風月。これってある意味の去勢だとも思う。
伊奈◆そうだね。写真学校の18歳くらいの若者達もそうだよ。日常の風景ということで撮らせると、クラブの写真とか、60年代ぽかったり、カンウター・カルチャー系の写真をすごく模倣するわけよね。だから内実というか、彼等のリアリティというのは何も写ってこないわけ。そういう場所に出かけたり、そういう場所が好きだったりするというという一面は確かにあるのかもしれないけど、でも、何かすでに先行する理想的なイメージがあるような気がする。本当の部分は、つまり、ワイルドでも悪ぶってもいないような、マジでダサイ部分は隠蔽されちゃう。どうして隠蔽されちゃうんだと思う?
http://www005.upp.so-net.ne.jp/eiji-ina/files/taidan.html
2000年に行われた対談より
*1:「Webにアップするものは、展覧会で使うか使わないか微妙なカットです。あるいは、何かひっかかりがあって、その理由が自分でもわからないものです。何度も見直して自分で客観的に検討するために、Webにアップするようにしています。無条件で展覧会で使いそうなカットは、それとは別に寝かせておきます」(Every Sunday──福居伸宏 [Web写真界隈インタビュー記事より] http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto/2007/04/05/5996.html)