Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

火山に恋して – プレートテクトニクスの視点から考える、ミニマルアートの現在形 - Shinya Watanabe

http://www.shinyawatanabe.net/writings/content477.html


◇ キュレーターとアーティストが語るアートとアニミズム - しぞーかでアートざんまい

スノドカフェ - アートと学び - シリーズ vol.8
「富士山を眺める 富士山が眺める」
アーティストとキュレーターが語るアートとアニミズム


日時:2011年2月25日(金)開場19:30
   第1部 トークショウ 20:00〜21:50
   キュレーター 渡辺真也、アーティスト 宇治野宗輝
   第2部 ディスカッション 22:00〜23:30
   司会 柚木康裕(スノドカフェ)   

参加費:1,950円(1ドリンク付)

ゴッホの有名な耳を切った自画像「Self Portrait with Bandaged Ear」をご存知だろうか?耳に包帯をあてたゴッホが自らの隣に描いたのは、浮世絵に描かれた富士山であった。しかし何故、ゴッホは耳を失った自画像の中に、「富士山」を配置したのだろうか?
http://www.nationalgallery.org.uk/artists/vincent-van-gogh

ゴッホは、自然から切り離され、近代化された自己を見つめ続けた結果、自己の存在を否定しようとして、自らの耳を切り落としたのではないか?さらに、自己から切り離された自然との再接続を試みて、自らの隣に富士山を配置したのではないか?すると、これは単なる自画像ではなく、自然と繋がった近代的アニミズム絵画と呼ぶことはできないだろうか?

また、もの派のルーツとして知られるグループ「幻触」が生まれたのもまた、富士山のふもとである静岡であった。大陸プレートの接合点に生まれた富士山には、日本の近代化以降のアートとアニミズムの関係を読み解くヒントが隠されている。

「富士山を眺める」という、人間を主体、自然を客体に据えた近代的自然観と、「富士山が眺める」という、自然を主体としたアニミズムを軸に、静岡出身のキュレーター渡辺真也と、物質文明のリサーチから製作を続ける練馬出身のアーティスト宇治野宗輝が語ります。

         インディペンデント・キュレーター 渡辺真也

http://arts.eshizuoka.jp/e694811.html

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