Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

『セヴェラルネス+(plus)』へ - 中谷礼仁・記録・2004-, Nakatani Norihito's Blography

初版をようやく売り切ったということで、再版となりました。地味な本ですが、じわじわと売れ続けて本当にうれしいです。
さて、再版にあたり、当方の重要な論文である「先行形態論」を追加、書籍名も一新しました。
『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』から
『セヴェラルネス+(plus) 事物連鎖と都市・建築・人間』へ
序は田中純先生のまま、表紙装丁を、岡崎乾二郎さんに新装いただきました。きれいな赤になりました。3月初めには書店にならびます。

増補のための序文


とても簡単なイメージ。
私たちは辻で立ち止まる。目の前に異なった方向をもついくつかの道がある。体はひとつ。ゆえにそのうちのひとつの道しか私たちは選ぶことができない。だから確たる選択理由がない場合、そこに必ず偶然が介入する。
しかし私が進んできた道や生活をふりかえるとき、それはあたかもデザインされていたかのような理由があった気になる。ようは現在を認めることによって、現在を生み出してきた偶然が、必然的なイメージに変形されているのだ。


セヴェラルネスとはそのような、偶然と必然が交錯する人間特有の一瞬の判断の過程である。
似た言葉として「多様性」という言葉がある。しかしその言葉は世界の複雑さを事後的に表現しているだけである。便利ではあるが、なぜ世界が豊富なのか、その理由をひとことも語っていない。
それに対して、セヴェラルネスはむしろ有限から実に豊富なイメージが生成する過程を可能な限り丁寧に語ろうとした。ひとつでもなく、無限でもなく
いくつか
いくつかーあること
セヴェラル−ネス(いくつか性)とは、そんな世界の可能的様態に向けて開かれた言葉である。


第一章におかれた「桂の案内人」は、桂離宮を題材にしてセヴェラルネス的思考を事物の生成過程の推測に実際に用いた事例である。連載中は最後に書かれたもので、歴史的用語にややなじみにくいと思われたなら、第二章から読みすすめられたい。
この書物自体もセヴェラルネス的に書かれた。書くべきテーマは決まっていたが、書く行為によって途中からその答えが急に浮上する瞬間にいくども遭遇した。そして新たに浮かび上がったテーマは次の章に引き継がれている。


今回の増補にあたって、読者の理解を助ける図版を付け加えた。
また、セヴェラルネスを都市生成論へ展開させた「先行形態論」 を各方面の協力により掲載することができた。同時期に書かれたものであり、後半では史上類を見ない、人の手によって一瞬で空白化した都市・ヒロシマを扱った。この書物の構想を温めていた大阪市立大学建築学科時代での、ゼミナール全体の活動資料に多くの点を負っている。多くの友人に出会った偶然を必然としてここに記すことができた。感謝する。


2011年1月 インド・ボパールにて 中谷 礼仁

http://www.acetate-ed.net/blog/nakatani.php?itemid=1233


※過去の中谷礼仁さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%C3%E6%C3%AB%CE%E9%BF%CE