Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築 ラディカル・デモクラシー1(シャンタル・ムフ・他) - 版元ドットコム

第I章 はじめに


第II章 政治と政治的なもの
 敵対性としての政治的なもの
 多元主義と友/敵関係
 ヘゲモニーとしての政治
 民主主義政治にふさわしいわれわれ/彼ら関係はどのような形態か
 カネッティの議会制論
 フロイトと同一化
 闘技的な対決


第III章 対抗モデルを超えて?
 ベックと「政治の再創造」
 「サブ政治」の出現
 ギデンズとポスト伝統社会
 民主主義の民主化
 ポスト政治的ヴィジョン
 対話型民主主義 vs 闘技的民主主義
 近代化というレトリック
 ギデンズと第三の道
 新労働党による社会民主主義の「再建」


第IV章 ポスト政治的ヴィジョンに対する最近の挑戦
 右翼ポピュリズム
 合意型モデルの危険性
 道徳の作用領域における政治
 一極的世界の帰結としてのテロリズム
 リベラル民主主義の普遍性


第V章 どの世界秩序を目指すべきか――コスモポリタンな秩序か多極的秩序か?
 民主主義的な超国家主義
 コスモポリティカル民主主義
 民主主義とグローバルな統治
 マルチチュードの絶対的民主主義?
 多極的世界秩序へ


第VI章 結論
 多元主義の限界
 近代の多元性
 人権の混血的概念
 どのヨーロッパなのか?

http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7503-2819-5.html


シャンタル・ムフ『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序』 - 旋回する思考

 さて、本著の内容からムフの「政治的なるもの」と「闘技的民主主義」の概念について考えていこう。まず前提として、これが書かれたのが2005年であるということを踏まえる必要がある。2005年という時期は、1990年前後に東西冷戦の世界秩序が終わった後、世界が21世紀という時代に突入し、9.11同時多発テロ事件という新たな世界秩序の象徴的ともいえる事件を経験し、さらに続くアメリカによるアフガン、イラク戦争を目の当たりにした直後の時期である。いわば新時代のパラダイムシフトの地殻変動が起きつつある時期であった。


 また、そうした新時代のパラダイムシフトはいかなる方向に向かうのか、ということを分析が始められたころでもある。本作で批判の対象としてあげられるが、ウルリッヒ・ベックの「リスク社会」論やアンソニー・ギデンズの「ポスト伝統社会」論、さらにはネグリ&ハートの「〈帝国〉」論などが、現実の世界秩序を認識するうえで流布したころである。冷戦崩壊後からは「資本主義&福祉国家万歳!」「歴史の終焉」といった「勝利した秩序」が叫ばれ、「ポストイデオロギー」的な世界秩序となったと宣言されていた。左右の対立など有効な軸ではなくなったとされた。ネグリ&ハートの「〈帝国〉」論は置いておくにしても、多くの論者、とりわけ「リベラル」と呼ばれるような人々が、世界秩序における、そうした「一者」の「勝利」から世界秩序を、さらには「民主主義」を論じるようになっていたのである。


 そうした前提に立った上では、「政治」の領域において、今や対立軸というものは機能しなくなったという言説が常態化する。いわば「ポスト政治的」時代精神が現れているということだ。それに対して、ムフの狙いは、まさにその「一者」が「勝利」する「リベラル」による「ポスト政治的」世界秩序を批判することにある。そしてそのオルタナティブな世界観として「闘技的民主主義と多元的グローバル秩序の構築」を試みることである。「右派と左派を超えて」という言説に対して対抗しなければならないというのが、ムフが一貫して持つ問題意識である。

http://hidarisenkai.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-c366.html


◇ サブ政治 - 井出草平の研究ノート

 篠原一の『市民の政治学―討議デモクラシーとは何か』(ISBN:4004308720)を読んでいて「サブ政治」の解説部分が簡潔で分かり易かったのでメモ。「サブ政治」という用語はベックの『危険社会』(ISBN:4588006096)でも後半に頻出している。

 しかし、社会国家という形の公的介入が限界に達し、他方、経済的技術的発展が未知の危険をもたらすようになって、事態は変貌する。つまり一方では、これまで中央の政治システムによって行われてきた決定の有効範囲が狭められ、たとえば市民運動や社会運動や自発的結社など、外からの「入力」という形で政治参加をすることが必要になり、政治の境界線が曖昧になる。他方では、経済=技術が非政治としての性格を失い、そこから新しい政治と思われるような現象が生まれる。つまり新たなる社会の輪郭は議会の合意や行政府の決定によって決められるのではなく、むしろ電子工学、原子炉技術、遺伝子学などの発達によって決められるようになる。こうして、ペックのいうように、政治と非政治の他に第三の政治、いわば「サブ政治(亜政治・下位政治)」というカテゴリーが生まれる。
 一九七〇年代末に、イデオロギー政治と利益政治という、これまでの近代政治の形に対して、生と生活に関するライブリー・ポリティクスの時代が到来しつつあるということを示唆した政治学者がいたが(スーザン・バージャー)、サブ政治はこのライブリー政治と重なる概念である。「第三の道」のイデオローグの中には、ギデンズのように、これを生活(ライフ)政治とよぶ人もいる。(54-5)

http://d.hatena.ne.jp/iDES/20071008/1191871270