作品とは、作家の個性によって語られ、また見る側の自由な好みによる、自由な解釈によって成立するという、もっともらしい通念あるいは偏見に対して、私の作品解説は一つの挑戦である。それは見ることの自由を束縛する、と誰かが反論しそうである。しかし、見ることの自由とは何であったか。自らの嗜好(テイスト)にのみよりかかり、「圧倒的な迫力だ」などという精神の怠惰を拒否したいと思う。
(宇佐美圭司著 「絵画論 描くことの復権」より)
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「観察者の位置の集合は、スクリーンのように見られるものであり、同時に観察者の目の位置として見るものと規定された。このような見る位置と見られる位置の相互性が、場所のドラマを空間化する基本条件である」(宇佐美圭司「スペース・シアター―鉄鋼館がつくる“音場”」『美術手帖』1970年)