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水野亮さん(http://www.drawinghell.com/)のツイッターより「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」関連

◇ 水野 亮(3)(@drawinghell)/2011年05月08日 - Twilog

昨日オペラシティ・アート・ギャラリーの「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」を見に行ったんだけど、なんか「現代美術的なもの」への憧憬ばかりが見えてしまって無残な展示だった。展示全体の感想を一言で言い表せば「間違ってる」という感覚。

(ニュー・ドキュメンタリー)「美術館で写真の展覧会をやること」の意味を考えた結果、その意味においては「正しい」かたちの展示を導き出したのかもしれないけれど、自分の写真の提示方法としては間違っていたというオチ。学習と深い思考(言い換えれば考えスギ)が悪い結果にしか結びついていない。

(ニュー・ドキュメンタリー)『Tokyo and My Daughter』や『Widows』は既視感バリバリ、でもホンマの写真でやると違和感バリバリの「それっぽいスタイル」だし、『re-construction』は冊子としては面白いけど「展示」にする必要はマッタク感じられないし、

(ニュー・ドキュメンタリー)『Together: Wildlife Corridors in Los Angeles』はこれなら写真集で(のほうが)いいじゃんって思うし、ましてやシルクスクリーンの『M』や絵画と組み合わせた『Trails』の無様さと言ったらっ!

(ニュー・ドキュメンタリー)ただ、どの作品も写真集(冊子)というかたちで見れば、もっと違った見え方がするんだろーなーという予感はあった。それは取りも直さず、ホンマの写真には、今回の展示のような空間的な表現やマテリアル的な表現は不要であるということを意味しているのではないか?

(ニュー・ドキュメンタリー)だからこの「間違ってる」という感覚を逆照射すると、逆にそこからホンマタカシという写真家の個性と才能が見えてくるような気もした。しかし写真集、展覧会といったメディアの違いに障壁がある写真家とそうでない写真家がいるという事実は、なかなか興味深いな。

http://twilog.org/drawinghell/date-110508