Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

バーゼル - Wikipedia

バーゼル(独:Basel / 仏:Bâle(バール))は、スイスのバーゼル=シュタット準州の州都。スイス北西部、ドイツとフランスとスイスの3国の国境が接する地点に位置し、市街地はライン川をまたぐ形で広がっている。チューリッヒジュネーヴに次ぎスイス第3の都市。大型船舶が通航できるライン川最上流の港を持つ最終遡行地点である。ドイツ語圏に属するがフランス語使用者も多い。

位置は北緯47度34分0秒東経7度36分0秒、標高260m。近隣の都市としては、約75キロ東にチューリヒ、50キロ北にドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ、30キロ北西にフランスのミュルーズ、65キロ南にベルンが位置している。
市街地はライン川をはさんで展開しており、産業地帯である北岸(右岸)を「小バーゼル」(Kleinbasel)、行政や商業の中心である南岸(左岸)を「大バーゼル」(Grossbasel)と呼ぶ。

バーゼルという名称は、374年にバジリア(BasiliaまたはBasilea)としてはじめて史料上に現れたが、現在のバーゼル大聖堂付近には、ローマ人によるライン川流域支配が確立した1世紀以前からケルト人の集落が存在した。740年頃に司教座となった(近隣のアウグスタ・ラウリカから移転)後、1032年には帝国直属(ReichsfreiheitまたはReichsunmittelbarkeit)の司教領となった。1501年にスイスの原初同盟(Alte EidgenossenschaftまたはOld Swiss Confederacy)に加盟し、1528年には宗教改革の流れの中で司教を追放し、プロテスタント勢力の一員となった。1833年、3年間の内戦を経て周辺の農村地域がバーゼル=ラント準州として独立し、現在に至る。
バーゼルはいくつかの歴史上の出来事の舞台となった。バーゼル公会議(1431年〜1449年)は、コンスタンツ公会議(1414年〜1418年)で積み残されたカトリック教会の改革を討議したものの、公会議教皇の関係に対する考え方の違いなどを背景に分裂し(1438年)、バーゼルに残留した一派は目立った成果を残せなかった。1499年のバーゼル条約は、スイスの事実上の独立を認めた。時代を下って1897年には世界シオニスト会議が第1回の大会をバーゼルで開催している。
スイスの一州として神聖ローマ帝国の影響を離れ、宗教的にも急進的なプロテスタントではなかったことを背景に、15世紀後半に誕生した印刷・出版業が栄え、近世の多くの重要な著作の初版が出版されたことでも知られている。たとえば、ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』(Christianae Religionis Institutio、1536年)、アンドレアス・ヴェサリウスの『人体の構造』(De humani corporis fabrica、1543年)などである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB
現在は、バーゼル以南(というか東……上流)までタンカーが航行しているようです。その行き先は要チェック。
バーゼル付近のライン川の流れは人の走る速さよりも少し速いくらいで、けっこう流れが急です。


バーゼル=シュタット準州 - Wikipedia

バーゼル=シュタット準州(Basel-Stadt)はスイスのカントン(州)。人口は186,700(2003年)、州都はバーゼル。行政区はなく、3つの自治体に分かれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E6%BA%96%E5%B7%9E