Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

まもなくマル激・原発篇が上梓されます! - MIYADAI.com Blog(2011-05-18)

 震災と原発事故で日本人の自明性に亀裂が生じる可能性を直感した。日本には平時を前提にした行政官僚制しか社会を動かすものがない。民衆も政治家も行政官僚制を掣肘できない。そのことを意識しないまま民衆も政治家も行政官僚制に依存する。キーワードは依存だ。
 行政官僚は既存のプラットフォーム上で最適化の席次争いをするのが責務。そして本来の政治家は社会環境の変化で既存のプラットフォームが不適切になればそれを刷新するのが責務。行政官僚はプラットフォームが適切であれ何であれ、政治家による刷新に抵抗しようとする。
 ご存じの通り冷戦体制終焉後の急速なグローバル化=資本移動の自由化で、経済分野では、どのみち新興国に追いつかれる産業領域で平均利潤率均等化の法則で労働分配率の低下が起こるから、新興国との競争に耐えて経済指標を好転させることに成功すれば勤労者が貧しくなる。
 政治分野では、かつてあり得たような再配分政策は機能しなくなる。再配分の原資を調達すべく所得税率や法人税率を上げれば工場や本社が国外に移転する。もちろん税収が減って財政がいっそう逼迫し、生活の安定や将来に不安を抱く人々は貯蓄に勤しんで消費をしなくなる。
 かくしてデフレが深刻化すると購買力平価の均衡則によって為替レートが円高となり、企業は輸出競争力を低下させ、それに抗おうとすれば国外に工場や本社を移転するしかなくなる。かくして税収が減って財政がいっそう逼迫し、不安になった人々はますます消費を控える。
 こうした循環状況は、経済システムや政治システムがかつて前提とした環境がもはや存在しないという意味で「平時」ならざる「非常時」に近い。従ってプラットフォームが変わらねばならない。つまり、産業構造改革や、租税制度改革や、行政官僚制改革が、必須になるのだ。
 「平時」にしか働かないシステムに依存したヘタレな国が稀代の震災と原発事故に対応できるはずがなかろう。震災と原発事故で日本人の自明性に亀裂が生じと思ったというのはそういう意味だ。日本社会がそれなりのものだといった信頼が木端微塵になるということである。
 「平時」にしか働かないシステムへの依存。あるいは「平時」への依存。こうした依存がいかにもろい前提に支えられているかを震災と原発事故が暴露した。多くの人は津波が何もかも押し流す映像に現実感覚が湧かなかったと言う。「平時」に依存した思考停止のなせる業だ。
 震災と原発事故を契機に思考停止が若い世代に継承されなくなってほしい。可能性は辛うじてあろう。僕のゼミにもやむにやまれずボランティアに出かけ、遺体の数々が木枝に串刺しになっているのを見た学生らがいた。彼らが新たな前提の上で社会を再建することを切に望む。

http://www.miyadai.com/index.php?blogid=1&archive=2011-5-18