Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

笠原美智子『写真、時代に抗するもの』私は抗しつづける - 青弓社

 本当にわたしは怒っていた。美術館とはどんなものであるかもちゃんと調べずに美術館を作ってしまい、まっとうな組織構成も人事もせず、10年にも満たないうちに、入館者が少ないからといって予算を大幅に削減したり廃館をにおわす、東京都のいいかげんな文化行政に対して。自分の権利だけを主張して、義務をなおざりにする役人化した学芸員に対して。コンセプトだけ考えれば展覧会ができると思っている大学の先生に対して。展覧会を金儲けのイベントとしか考えていない一部の新聞社事業部に対して。普段美術館に興味もなく来もしないのに、海外旅行でたまたま立ち寄った美術館の聞きかじりをわけ知り顔で吹聴し日本の美術館をけなす政治家や一般の人に対して。自分の写真だけは美術館で取りあげられるべきだと信じ込んでいる写真家に対して。専門分化も役割分化もできていない日本の美術館に対して。貸館になっても専門家以外の館長が就任しても、異を唱えるどころかその問題点すらわかっていない写真界に対して。写真のことなど何の興味もなく勉強もしていないのに展覧会を企画する「現代美術」のキュレーターに対して。そもそも批評文化が成立しないこの国の文化的貧困について……。
 もちろんわたしは自分のことを棚に上げている。そんなことははなからわかっている。しかし、上は日本の文化情勢から、果ては日常の細々とした出来事まで、毎日毎日何かが起こり、怒りの種は尽きず、怒髪天を衝くような環境でわたしは暮らしていた。
 最近わたしは怒らなくなった。「大人になったね」ともたまに言われる。45歳の女をつかまえて「大人になった」もないもんだけれども、確かに大声を出すことも、怒りで身を震わすことも少なくなった。愚痴をこぼすのもめっきり減った。何が起こってもたいがいのことではあわてふためいたりはしない。状況が好転しているからではなく、むしろその逆で、美術館や写真を巡る状況は悪化の一途を辿っている。しかし経験とは恐ろしいもので、怒りのハードルはどんどん低くなっていく。めったなことでは動じなくなった。
 わたしは自分の身に起こっているこの変化がおそろしい。これは成熟と言うよりもむしろ、諦念が忍び寄っているのではないか。嫌悪してきた予定調和の世界に、知らず知らずに自分も身を浸しているのではないか。エネルギー値が落ちてきているような気もする。

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