■2005年11月のメモ(mixi)より
人生は飾り窓の外を流れてゆく。ぼくは明るい電光に照らされたハムのように横たわり、斧のふりおろされるのを待っている。実際のところ、何も恐れることはなかった、すべてが薄く切られ、セロファンに包まれていたからだ。とつぜん全市の明かりがいっせいに消え、警報が鳴りひびく。全市は毒ガスに包まれ、爆弾が炸裂し、ばらばらになった人体が飛び散る。
(講談社文芸文庫『南回帰線』ヘンリー・ミラー/河野一郎訳)
僕らには待つことだけしか許されないのだろうか。
待ちたくないと叫びつつも、ほんとうはどこかで
待つことを望んでいるのではないだろうか。
……──じゃあ言うが、ほんとに、いくら引っぱろうが、揺さぶろうがだめなんだな……どうしようもない……なにも伝わってこない。どんな電流も。こんなものはできるだけ早く厄介払いすべきだ。犬にでも投げてやって──ああ、犬にでも……しかし、ほんの少しだけ眺めさせてほしい、ここの、ほら、この線、うねりくねるこのセンテンス、すーっと落ちるその結び……ぼくはこれをほんとに大事に育てたんだ、手塩にかけたんだ……
(白水社刊『生と死の間』ナタリー・サロート/平岡篤頼訳)
いくら強弁しても、どうにもならないことはあるでしょう。
もういちど、そこに至る過程を辿り直してみる
そんな時間をつくるのも無駄にはならないでしょう。
(10)浴槽の縁に腰掛けて、エドモンドソンに、二十七にもなって、そのうち二十九にもなろうというのに、浴槽の中に閉じこもりがちの暮らしだなんて、あんまり健康とは言えないな、と話した。目を伏せて浴槽のエナメルを撫でながら言った、危険を冒さなきゃだめなんだ、この抽象的な暮らしの平穏さを危険に晒して、その代わりに。そこまで言って言葉に詰まってしまった。
(集英社文庫『浴室』ジャン=フィリップ・トゥーサン/野崎歓訳)
一昨日の夜、撮影に出て帰ったきり、引きこもり状態。
明日は予定があるので、あちこち外出します。
さて、風呂に入るとしますか。