Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060702#p2)

■2005年7月ごろのメモ(mixi)より

私にはなにも計画できないとみとめること。ある絵画を「構成する」ためにどんな考えをめぐらせようと、どれもまちがっている。そして、もしその考えを実行してうまくいったとしても、それはたんに自分の考えを一部放棄したためであるか、または目論見が、邪魔にならず計画されたようにはみえないように、うまく機能したからにすぎない。
こういうことをうけいれるのは、耐えがたいことであり、不可能ですらある。というのも、思考し、計画をたてる一人の人間として、自分がそこまで無力であるとわかるのは気がめいることだし、自分がどこまでやれるのか、自分のあらゆる造形能力が疑わしくなってしまうからだ。唯一の慰めといえば、それでもとにかく私は絵を描いてきた、と自分に向かっていえるくらいだ。 

(『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』淡交社刊より)


しおりの挟まっていたページを読み直してみました。
「邪魔にならず計画されたようにはみえないように」の部分で、
ベアト・ストロイリの映像作品を思い出しました。