Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

女と女の闘い - フランスアート界底辺日記

この何週間か、パリのアート界はある話題で大騒ぎです。


2,3週間前くらいに「これを読みなさい。」と渡されたある美術本のコピー。
それは、最近発売したばかりの写真家ジャン=マルク・ビュスタモント(2003年の第50回ヴェネチアビエンナーレでのフランス代表作家:Jean-Marc Bustamante )のモノグラフィー(Flammarion, la collection "La création contemporaine" (206 p., 38 €))の最後に「Discussion entre nous (ここだけの話(意訳))」というタイトルで掲載されている、ビュスタモントと、最近フランスで活躍している若手アーティスト、グザビエ・ヴェイヤン(Xavier Veilhan)、そして去年「Dionysiac」と題され話題を呼んだ展覧会のキュレーターであり、ポンピドゥー・センターの女性学芸員、クリスティン・マセル(Christine Macel)の3人の間の会話でした。


ここで彼らはビュスタモントがアーティストとしてここまで成長してきた経緯や、フランスアート界の動向などを気兼ねなく話しています。


しかーし!ひとつ気になるところが!!

http://kanaparis.blog59.fc2.com/blog-entry-6.html
このスキャンダルは初耳でした。


◇ 再録: ベイエリア写真談義 兼子裕代さんをお迎えして – marebito-school.com

□ 写真の仕事とライターの仕事をして、自分の作品も作っていたんです。ライターの仕事をするようになったきっかけは、作品制作以外に写真で仕事をしようと思うと、何もキャリアもない状態で出版社に行っても仕事にはならないので、何か自分のやりたいことを盛り込んでいった方が良いなと思ったんです。その頃写真を始めて海外のアーティストの活動に興味を持つようになって色々と見ていたので、そういう人たちのインタビューすることとその人たちの写真を撮ることを併せて企画を作って、出版社に持ち込んだりしていったんです。そういう仕事の中で、フランスのアーティストのジャン・マルク・ビュスタモントとかに実際会ってインタビューや記事を書くことが、自分にとってとても勉強になりましたし、作品を作る上でプラスになりました。

□ 日本では写真の勉強は全然していないんです。大学は仏文学科でしたし。1993年から1994年にかけて1年間ロンドンの小さなアートスクールで写真の基本的なことを勉強して、帰国後に自分なりに勉強したり、仕事を通して学んできたという感じなんです。自分でもラッキーだったと思うんですけど、『アサヒカメラ』の仕事で、ジャン・マルク・ビュスタモントやベアト・ストロイリ、トーマス・シュトルートとか結構すごい人の取材をさせてもらえたんですよ。ベアトとは、今でもたまにメールのやり取りをしています。そういう仕事を何年か経験した後、もっと本格的に写真を勉強して、自分の作品を重点的にやりたいなと思うようになって、大学院というアカデミックな環境で勉強してみるのはどうだろうと思って、留学したんです。

□ そもそもは、1996年に長崎の諫早市にいるすごく親しい友人を訪ねて、観光目的で行ったというのが最初のきっかけです。彼女の妹さんが島原に住んでいて、雲仙普賢岳の噴火で被災してそこから命からがら避難したそうなんです。そういう場所に連れて行ってくれたんですよ、観光地とかじゃなくて。その時点で、災害から二年ぐらい経過していたんですけれど、土地が自然災害によって変わっていくということを目の当たりにしたのが興味深かったんです。普賢岳干拓された諫早湾とかも見ることができて、いろんな理由や原因によって土地が変化していくというようなことが不思議な感じというか、面白いなと思って写真を撮り始めました。そういうことに加えて、長崎の地形は起伏に富んでいるので、4×5のカメラで撮るのに適していると思ったんですね。4×5で撮ると、土地の特徴というか、その起伏の層がよく見えてくるんです。この写真を撮り始める前の年に私、ジャン・マルク・ビュスタモントが日本に撮影旅行をした時に通訳兼アシスタントをしたんです。その経験から、大判カメラと空間の関係のことを学んでいたので、それで4×5を使って撮り始めた、というところもあります。

http://marebito-school.com/2009/11/05/kaneko-talk-20090927/