Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

NOTES on 『明るい部屋』再読(ヴィクター・バーギン)vol.1 - another field

『神話作用』(1956)(収録:『神話作用』):一人の黒人兵士がフランス軍式の敬礼をしている<パリ・ マッチ>誌の表紙写真
意味豊かな、重みのある、作り物でない、素朴な、否定のしようのない映像
植民地主義などと中傷する連中に対しては、彼らが言うところの圧政者たちに仕えるこの黒人が見せる熱意にまさる返事はないはずだ。


映像をその映像を流用する概念から区別する方法


『写真のメッセージ』(1961)(収録:『映像の修辞学』)
「なまの現実」=外示(デノテーション)= ex.「敬礼する黒人兵士」
外示に寄生するメッセージ=共示(コノテーション)= ex.「原住民は搾取されているのではない」


「共示の(あるいは、コードに組まれた)メッセージが、コードのないメッセージを基にして展開する」という「二つのメッセージの共 存」、つまり、「写真のパラドックス


外示は第一の意味ではなく、……それは、結局は共示の最後のも のでしかない(『S/Z』)しかし、それでもなお、文字通り意味作用をもたない「純粋な」事実という観念はしぶとくバルトの裡に生き続ける。(=鈍い意 味)バルトの言う「コードのないメッセージ」のもつ「写真のパラドックス」に関してわれわれが覚えておくことは、現実には何のパラドックスrもないという こと、パラドックスは現実が記述されるそのされ方によってのみ生じるだけだということである。つまり、パラドックスは、純粋に言語的(より厳密に言えば、 論理的)実体であるということである。

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