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文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『ロラン・バルト』 アレン (青土社)

 本書では時代状況に即すという点が重要である。バルトは変貌をくりかえし、「エクリチュール」のような基本的な語の意味も初期と後期ではずいぶん異なるが、時代状況を考慮しないとどのように変わったかが本当にはわからないからだ。

 『零度のエクリチュール』の頃のエクリチュールは選択不可能な二つの条件(国語と文体)と対比される選択可能な書き方、表現様式のことだったが、その背景には本書で詳しく解説されているようにサルトルのアンガジュマン文学論がある。初期のバルトはサルトルの圧倒的な影響下にいたのである(アンガジュマン文学論からはすぐに離脱するが、サルトルの想像力論の影響は最晩年の『明るい部屋』までつづいている)。

 若い人は内田樹氏の『寝ながら学べる構造主義』を通してバルトとエクリチュールを知るケースが多いようである。内田氏の解説は非常にわかりやすくすぐれているとは思うが、単純化しすぎている部分もあるのである。

 バルトがエクリチュールを選択可能な書き方という意味で使っていたのはアンガジュマン文学論の影響下にあった初期の話であって、ポスト構造主義の時代になると異なる意味あいがあたえられるようになるのだ(エクリヴァンスと対比されたエクリチュール)。またバルトは人間を「エクリチュールの囚人」ではなく「言語の囚人」と考えていたはずである。内田氏の影響はきわめて大きいので、あえて一言ふれておく。

 『ラシーヌ論』をめぐるレイモン・ピカールとの論争についてはカルヴェの『ロラン・バルト伝』の後に出たにもかかわらず、従来通りバルト側から挑発したような記述になっているのは残念だ。距離を置いてみればバルトが一方的に得をしたように見えるが、同時代的にはそんな甘い状況ではなかったようである。

 あるいはアレンはカルヴェの描きだした弱いバルトに反発したのかもしれない。カルヴェはバルトの亡くなった3週間後にサルトルが亡くなったためにバルトの死がかすんでしまったと書いたが、アレンは「しかしながらカルヴェの報告を額面通りに受け止めて、バルトの死を悲喜劇のアフター・ピースに翻訳してしまえば、わたしたちは間違いを犯すことになるだろう」と反論している。

 科学を標榜していた構造主義時代から、テクスト論を標榜するするポスト構造主義時代への変わり目は「物語の構造分析序説」と『S/Z』の間の時期とする見方が多かったと思うが、アレンは「物語の構造分析序説」の段階ですでにポスト構造主義への移行がはじまっており、『S/Z』はテクスト論の「もっとも完全な報告」と位置づけている。アレンが指標とするのは間テクスト性だが、この見方は十分説得力があると思う。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2013/06/post_350.html


ロラン・バルト(シリーズ現代思想ガイドブック) その1 - KnoNの学び部屋
(1)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/16/125805
(2)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/17/131018
(3a)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/21/121022
(3b)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/22/154008
(4)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/23/144052
(5)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/24/151122
(6)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/27/150900
(7a)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/30/131601
(7b)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/05/31/231906
(7c)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/06/01/151439
(8)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/06/04/150321
(9)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/06/05/185122
(終)http://knon.hatenablog.com/entry/2014/06/06/153828