目次
凡例
序論
第1章 「流行歌を叩き潰せ」
1 流行歌とプロパガンダ
2 文化産業──?類似性の殴打
3 音符の起源第2章 物象化と救済
1 たがいに引き裂かれた半身
2 暗号文字としてのオドラデク
3 無声映画の身振り
4 シヨック・哄笑・モンタージュ第3章 複製技術時代のファンタスマゴリー
1 ヴァーグナーの精神からの映画の誕生
2 文化産業──?偶像崇拝
3 ヒエログリフ文字としての映像
4 中間休止──映像から文字へ第4章 闘う映画音楽
1 ハリウッドのアドルノ
2 〈ロックフェラー映画音楽プロジェクト〉
3 ハンドルングの中断
4 新たな機能と素材
5 ウイット・幽霊・プラン
6 文化産業にたいするゲリラ戦補論1 啓蒙とプロパガンダの弁証法──一九四〇年代の社会研究所の大衆メディアとの取り組みをめぐって
1 批判理論の戦時動員
2 カウンター・プロパガンダの勧め──アドルノのラジオ・プロパガンダ論
3 『ビロウ・ザ・サーフェイス』──ホルクハイマーによる実験映画計画
4 終わりに──体制内での批判的実践補論2 楽園の黄昏──戦後のアドルノ、アイスラー、ラング
1 望まれぬ書物の運命
2 カバとアナグマの友情第5章 いかにテレビを見るか
1 テレビ──アウシュヴイッツのあとの表象メディア
2 ブラウン管の小人の男女
3 反転した精神分析──テレビとファシズム
4 テレビ視聴者への予防接種第6章 解放された映画
1 〈ニュー・ジャーマン・シネマ〉とアドルノ
2 映像・自然美・文字
3 イデオロギーとモンタージュ
4 幼年期の知覚の再生参考文献
あとがき
http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-1042-5
◇ 新刊紹介 - 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉
竹峰 義和
『アドルノ、複製技術へのまなざし――〈知覚〉のアクチュアリティ』
青弓社、2007年07月
複製技術メディアをめぐるアドルノの理論と実践とが本書のテーマである。このテーマについては、すでに紋切り型となったアドルノ像がある。複製技術メディアを積極的に評価していたベンヤミンに対して、それを文化産業の手段として退けていたアドルノ。モダニズムに極まる「自律的な芸術」だけを認めていたアドルノ……。こうした紋切り型にアドルノが収まりはしないことを本書は明らかにしている。これまで広く読まれてきたテクストが改めて綿密に読解されるとともに、最近公刊され始めた新たな史料がその読解作業を支える。この極めて正統的な研究態度でもって本書が浮き彫りにしてゆくのは、徹底的な批判のなかに複製技術メディアの積極的な可能性を認めていたアドルノの姿であり、それも、ラジオ・映画・テレビのコンテンツ制作に実践的に関わるなかで自らの理論的省察を練り直し続けていたアドルノの姿である。思えば、これまで「アドルノが何を考えていたか」はよく論じられてきたが、「アドルノが何をしていたか」はあまり論じられてこなかった。先行するアドルノ研究の積み上げに基づきながら、アドルノの実践からその理論を再検討し、また逆にその理論から実践の意義を照らし出すこと、ここに本書の画期的な意義がある。さらに本書は、最後の二つの章で、いわば「アドルノ以後におけるアドルノの可能性」を描き出してさえいる。すなわち、アレクサンダー・クルーゲを中心とする「ニュー・ジャーマン・シネマ」の理論と実践とである。本書でアドルノ研究に新たな一歩をもたらした著者・竹峰が今後このテーマをどう展開してみせてくれるのか。本書を再読しながら、刮目して待ちたい。(清水一浩)
http://www.repre.org/repre/vol4/books/02.html
◇ 第2回研究発表集会報告:レクチャー・セミナー - 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉
レクチャー・セミナー「現代文化理論の射程:竹峰義和『アドルノ、複製技術へのまなざし』を端緒に」
【著者】竹峰義和(埼玉工業大学・武蔵大学ほか非常勤)
【コメンテーター】清水一浩(日本学術振興会特別研究員)・杉橋陽一(東京大学)
【司会&コメンテーター】堀潤之(関西大学)
http://www.repre.org/repre/vol5/meeting02/lecture.html
◇ ハリウッドの精神からの全体主義の誕生──アドルノ「文化産業」論をめぐって (人間学ブログ NINGENGAKU Blog)
第3回 新潟哲学思想セミナー〔NiiPhiS〕
ハリウッドの精神からの全体主義の誕生
──アドルノ「文化産業」論をめぐって
講師: 竹峰 義和(日本大学法学部)
日時:2009年11月27日(金)18:15〜20:00
場所:新潟大学 五十嵐キャンパス
人文社会科学系棟 F - 161
ジャズやハリウッド映画を管理社会による大衆欺瞞の手段として容赦なく批判したアドルノの「文化産業」論は、エリート主義者によるポピュラー文化への侮蔑的反応として揶揄されてきた。だが、そこでアドルノが企図していたのは、実のところ「現代の野蛮」としてのファシズムという現象を、商品資本主義の必然的な帰結として説明することであった。とすれば、かつて全体主義を誕生させた諸条件は、〈アウシュヴィッツのあと〉の戦後社会でも、なおも密かに存続しているのではないだろうか。そして、現代においてもまた……。
第3回新潟哲学思想セミナーでは、講師に、竹峰義和さんをお迎えします。竹峰さんは、新進気鋭のアドルノ研究者として一昨年著書を公刊した後(本書は日本独文学会賞受賞)、文学、思想、映画、音楽、メディア論等の諸分野で幅広く活躍されています。本セミナーでは、難解なアドルノの思想を「文化産業論」という切り口から分かりやすく入門レクチャーしていただくとともに、竹峰さんとの討議を深めることを通じて、アドルノ思想の新たな可能性を探ってみたいと思います。
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/2009/11/post_42.php