Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ロザリンド・クラウスによる「タスクのパフォーマンス」の説明 - Blog: Sato Site on the Web Side

「ニューヨークのジャドソン・メモリアル教会に集まったパフォーマーたちによって水路が開かれ、ありふれた動作のダンスあるいは「タスクのパフォーマンスtask performance」というこの新しい概念は、「内面」をもたない身振りを作るというひとつの方途を活発に追求していった。バレエ的な身振りは、我々が感じるように、つねに内面に潜む意味を、音楽ないし身体の洗練された情念の意味を、現実の時間と空間が閉じ込められ既に確立された慣習によって構造化されている不可触的な領域の意味を表現する。ダンサーの身体は、決まって、これらの意味を外在化するよう働いている。従って、こうした意味がなければ、身体はありふれており、ジョガーや労働者やただ階段を降りるひとの身体と大差なくなるのである。
 「ありふれた動作ordinary movement」というダンスを考えることで、ジャドソンのダンサーたちは、いわば「日常言語ordinary language」という観念との連帯を宣言した。「日常言語」とは、言語についての行動主義的視点の内へ心/身の区別を解消させようとする哲学がもっていた観念である。語の意味はその使用である。彼らはこうしたヴィトゲンシュタインの思考をよく諺として引き合いに出したものだった(実際に読んでいたかどうかはともかく)。語の意味するところが何かを知ることは、ひとが言及するその語の「意味」の像を心の内にもつことではない。むしろ語の意味とは、その語を用い、その語を実際に運用するperformあるひとの隠れようのない能力が持ち合わせている機能にすぎない。もし心の内に想定されている像が全く主観的で私的で、私だけがアクセス出来る何かだとしても、その語が成就することは公的である。つまり、私はそれを正しく使用するか、そうでないかのどちらかでしかない。」(Rosalind Krauss, “The Mind/ Body Problem: Robert Morris in Series” in Robert Morris: The Mind/ Body Problem, New York, 1994, p. 6)

http://blog.goo.ne.jp/kmr-sato/e/55f9637fb7256863c34d990443ea409b
木村覚さんのブログより。