Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

モーパッサン 『オルラ』

http://www.litterature.jp/maupassant/conte/horla1886.html


◇ 自己への恐怖:日経ビジネスオンライン

自己への恐怖
モーパッサン「オルラ」を読む(11)
中山 元

http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20130126/242828/


モーパッサン 『水の上』
http://www.litterature.jp/maupassant/conte/surleau1881.html


モーパッサンとは ―モーパッサンを巡って

 モーパッサンは、師フロベールの教えに忠実に、自らの文学について語ることがほとんど無かったが、彼の文学観は『ピエールとジャン』の冒頭に置かれた「小説論」に窺うことが出来る。現代の小説について論じたこの小文の中で重要な点は、リアリズム批判にある。リアリズムとは現実の忠実な「再現」ではなく、「現実よりも、より完全で、より感動的で、より説得力のあるヴィジョン」を提示することだと規定した上で、現実をありのまま、客観的に描き出すことは不可能であり、作家は自らの主観を逃れることは出来ないと断言する。真のリアリストとは「イリュージョニスト」と呼ばれるべきであり、自らの「主観的世界観」の表明こそが作家の使命である、という宣言は、今日リアリズムないし自然主義の作家と目されるモーパッサン自身の文学観が、リアリズムを超えるところにあったことを示している。その意味でプルーストの先駆けと考えることも出来るであろう。
 また同論中で、フロベールの教えを披露し、観察の重要さを説いている。一つの火、一本の木さえ他と全く同じではなく、その違いをたった一語によって示して見せよというフロベールの指導は、物と言葉の絶対的な一致を求める、古典的かつ極めて理想主義的なものであるが、「文体論」の手本として、日本人の作家にも少なからぬ影響を与えてきたものである。

 病気が進行し、1890年以降、執筆が止まり、1892年初め、ピストルによる自殺未遂の後、パッシーにある、当時高名だったブランシュ医師の精神病院に入院。一年以上をそこで過ごし、翌年7月6日、そこで生涯を終える。享年42歳。パリのモンパルナス墓地に埋葬される。
 わずか十年の執筆活動の中でモーパッサンは300を越す中短編、6編の長編、3冊の旅行記、250に及ぶ時評文を執筆した(共作を含め2編の戯曲)。なお1870年代に取り組んだ詩作品の多くは1880年『詩集』に収められ、この時期に数編の戯曲も残している(『レチュヌ伯爵夫人』)。