オットー・ランク(Otto Rank、(Otto Rosenfeld), 1884年4月22日 - 1939年10月31日)はオーストリアの精神分析家。医師以外の精神分析家としては初めての人物である。
機械商として働いた。フロイトの著作に出会い精神分析に興味を抱いた。その後フロイト本人に出会い精神分析の道に進んだ。ランクは医師ではなかったものの、その才能をフロイトに評価され、20年間にわたりフロイトに最も近い存在の一人としてフロイト並びに精神分析を支えた。ランクの唱えた出産外傷説が、エディプス学説と排反するという判断をフロイトからなされたこともあり、1926年パリに移住する(この経緯の複雑さについては「フロイトとの決裂」の項を参照のこと)。その死までの14年間にわたり、フランス及びアメリカで、講義(講演)、著作、心理療法に充実した活動を行った。
◇ 【フロイト「不気味なもの」を読む(6)】オットー・ランクのドッペルゲンガー論(p26〜27): ぽん太のみちくさ精神科
ここでフロイトは、オットー・ランクの論文「ドッペルゲンガー」(1914年)を援用します。これも邦訳があります(『分身 ドッペルゲンガー』、有内嘉宏訳、人文書院、1988年)。出産外傷論で有名なオットー・ランクは、フロイトの弟子のひとりですが、例に漏れずのちにはフロイトと決別しました。
邦訳を読んでみると、全体が5章からなっております。そのおおまかな内容は、第一章が問題提起、第二章が文学に描かれたドッペルゲンガー、第三章が作家たちのドッペルゲンガー体験、第四章がドッペルゲンガーの民族学・文化人類学、第五章がドッペルゲンガーの精神分析、という感じでしょうか。
第一章から第四章までは、ドッペルゲンガーのさまざまな実例が、これでもかというほど挙げられています。そこで今回は、理論的解明を行っている第五章の内容だけ、簡単に要約しておくことにしましょう。
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◇ 『分身』
精神分析からみた分身
【書評】オットー・ランク『分身』有内嘉宏訳、人文書院、一九八八年
分身についての精神分析的な考察だが、ドイツの小説や民話などから広く例を集めて分析する。いろいろな例があげられているでわかりよいが、精神分析的な考察が最後の章だけになっていて、寂しい。もう少し深い分析が欲しいところだ。
ドイツの迷信では、肖像画を描かせると、死ぬというが(93)、日本の明治初期にも写真を撮影すると、魂を奪われるという迷信があった。天皇家についても、肖像画と写真についての長い迷信的な伝統があったはずだ。写真についても、おやこの人がというほどの迷信が満ちあふれている。どれも分身と魂を奪われることへの懸念によるものだと思うと、分身への恐れの深さが納得できる。鏡に布をかける風習も深いところに根差している。