Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

引用/転用/リミックス(映像) | 現代美術用語辞典ver.2.0

引用/転用/リミックス(映像)
Sampling/Detournement/Remix
既成の映像を引用して新しい作品を作る方法はファウンド・フッテージと呼ばれ、実験映画やヴィデオ・アートにしばしば見られる。そのようにある映像の断片を別の文脈に置くことは、必然的にその映像に対してなんらかの新しい視点を与えることになる。この手法では、元の映像への純粋なオマージュとして、単に映像に新しい意味を持たせて蘇らせることに重点を置く場合と、映像にまつわる制度的な問題に対する批判として行なわれる場合がある。後者の場合にも、映像が持つ機能や構造に注意を向けさせる作品と、その背後にある権力関係や政治的問題に対して注意を喚起しようとする作品がある。前者の傾向がよく見られる作家として、例えばアメリカのアンダーグラウンド映画のジョージ・ランドウやケン・ジェイコブス、60年代の飯村隆彦など、後者の傾向が強い作家としてシチュアシオニストギー・ドゥボールなど、また前者と後者を併せ持つ作家として、レトリストのモーリス・ルメートルアメリカ西海岸のブルース・コナーなどが挙げられる。特にフランスのレトリストおよびシチュアシオニストは、そのような批判的意図をもって既成の映像を引用することを「転用」と呼んだ。このような方法はヴィデオの時代になってさらに容易になり、多くの作品を生むことになる。例えばナム・ジュン・パイクによる初期のヴィデオ・アート作品には、TVの映像(ニクソンの演説など)を使用して、それを電気的に歪めた作品が多く見られる。また、ジャン=リュック・ゴダールによる『映画史』(1988-98)は、映画史全般にわたるラディカルかつ徹底的な引用の作品として知られる。ゴダールはこの作品で、一貫して映画的な視点からヴィデオを扱っているが、映画がすべてヴィデオ化した終局点を示すとともに、ヴィデオというメディアがいまだ映画の持つ映像美学を乗り超えられずにいることの象徴となっているともいえよう。現代ではこのような引用の手法は、クラブ・カルチャーにおけるVJ(ヴィデオ・ジョッキー)などを中心に、リミックスというかたちで受け継がれているが、その多くは単にエンターテインメント的な消費の目的でなされているにすぎない。
著者: 河合政之

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◇ ディスクレパン映画 | 現代美術用語辞典ver.2.0

ディスクレパン映画
Discrepant Cinema(英), Cinéma discrépant(仏)
「ディスクレパン」とは、1940年代後半から50年代にかけてパリを中心に興ったアヴァンギャルド芸術運動であるレトリスムの中心概念のひとつで、「矛盾した、食い違った」という意味。レトリスムのディスクレパン映画は、既成の宣伝映画やテキストの意味を組み替えた引用、映像と音声の非同期、フィルムへのスクラッチや直接的な彩色、フリッカーや静止画の使用、通常の上映形式の否定、哲学的ダイアローグ、映画についての自己言及的批判、観客への直接的な挑発など、さまざまに既存の映画的な文法を変革する試みを行ない、映像を使用した映像批判の先駆となった。最初にディスクレパンの方法を使って作られた作品は、イジドール・イズー『涎と永遠についての概論』(1951)で、同作品で助監督であったモーリス・ルメートルは、同年自身の監督作品『映画はもう始まったか』(1951)において、さらに徹底させたディスクレパン映画を完成させる。『涎と永遠…』はジャン・コクトーに支持され、それを見たギー・ドゥボールレトリスムに加入した。なかでもルメートルは数多くのディスクレパン映画を制作し、50年代から現代に至るまでフランスにおけるアヴァンギャルド映画のパイオニアであり続ける。その方法はスタン・ブラッケージなどのアメリカのアンダーグラウンド映画や、ジャン=リュック・ゴダールらのヌーヴェル・ヴァーグに影響を与え、今日ではVJ(ヴィデオ・ジョッキー)やヴィデオ・アートなどに見られる映像のリミックスやノイズ的手法の先駆けといえよう。ただ、それを単に先駆的なアヴァンギャルド運動としてのみとらえるのは皮相的であり、メディアを利用したメディア状況の批判という情報社会時代芸術の形式=方法を、初めて明確に示したものであった。
著者: 河合政之

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◇ ハードウェア・ハッキング | 現代美術用語辞典ver.2.0

ハードウェア・ハッキング
Hardware Hacking
ハッキングが一般的にはコンピュータのソフトウェアを対象とするのに対して、スコット・フラムは電子機器を中心とする既存の機器を改造して、機能を向上させたり、その機器に本来なかった機能を生みだしたりする実践をハードウェア・ハッキングと呼んでいる。一方、ニコラス・コリンズは電子工学の専門知識を前提としないDIY電子工作をハードウェア・ハッキングと呼ぶ。両者の定義には共通点も相違点もあるが、ここでは現代芸術をより参照する後者を詳述する。 コリンズの『Handmade Electronic Music──手作り電子機器から生まれる音と音楽』(元になったテキストのタイトルは『ハードウェア・ハッキング』)はこの実践の手法を紹介しながら、60年代以降の実験音楽やヴィデオ・アートにおけるハードウェア・ハッキングの歴史についても概説している。その流れをたどると、60年代にデヴィッド・チュードア、ゴードン・ムンマといった実験音楽家が始めた実践をきっかけに、70年代にはコンポーザーズ・インサイド・エレクトロニクスという電子工作を手がける作曲家の集団が形成された。80年代には安価なシンセサイザーやコンピュータの登場でいったん下火になるが、90年代になるとリード・ガザラがサーキット・ベンディングの手法を提唱するなど、デジタル・メディアに対するカウンターとして再度注目を集めた。コリンズがハードウェア・ハッキングの文化的性格として強調するのは、電子音楽における作曲家と技術者の分離の解消や、デジタル化によって減退した直接性と接触性の回復などである。
著者: 金子智太郎

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◇ モワレ | 現代美術用語辞典ver.2.0

モワレ
Moire/moiré(仏)
干渉縞。細かい規則的なパターンを複数重ね合わせた際に視覚的に生じる縞模様、もしくはその現象。もとは平行の繊維を複数重ねた時に現われる模様を指す繊維業の用語が一般化したもの。日本語では「モアレ」、仏語でアクサン付きのmoiréと表記する場合もある。模様の一定周期が重なりによってずれることで発生し、印刷物の網点やモニタ上の画素などさまざまなメディアで見られる。図像を再現する場合はそれを阻害するため一般にはノイズとして避けられる対象であるが、あえて模様として活かすこともある。美術においてはオプ・アートにモワレを用いた作品があるほか、網点や画素で成り立った既製の大量生産イメージのコピーを利用した作品において、その複製性をモワレによって自己言及的に示すものもある。チープな日用品とともに縞模様を反復させてモワレの錯視効果を用いる東恩納裕一は、後者の好例であろう。
著者: 成相肇

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