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冨井大裕(MOTアニュアル2011:Nearest Faraway|世界の深さのはかり方) 住友文彦(キュレーター):学芸員レポート|美術館・アート情報 artscape

 まず彼の作品は、使われている素材が日常のありふれた物であるため、〈自然〉ではなく〈文化〉を扱う20世紀後半の美術史における大きな転換以降の文脈にすぐ結びつけられる。もちろん、美術の歴史的な経緯を無視したとしても、それが特別な素材ではなく、どこでも手に入る大衆的なもの、という直感は誰でもおぼえるはずだ。その大きな流れは、ポップ・アートから、マッピングやドキュメント制作的な手法を多用するアーティストの民族誌家的な身ぶりへと展開してきた。そうした1990年代以降の多文化主義的傾向において強調される「日常」は、インスタレーションによる作品展示に結実することが多い。しかし、日本で冨井の作品に関心が向けられる理由は、作品を構成する素材が「日常」に位置するものであるにもかかわらず、モダニズム形式主義が亡霊のようにまとわりついた彫刻を想起させてくれるからではないだろうか。シュルレアリスムの最盛期に他者性よりも「物(オブジェ)」を重視し、行為や知覚との関係から「もの」の概念を掘り起こし、ニューウェーブによって「日常」と結びついた日本の戦後美術の歩みを引き継いでくれるような存在として受容されているようにも見受けられるのだ。
 とっくの昔にメディア=スペシフィックな作品からディスコース=スペシフィックな作品へ移行してしまった同時代的な美術の動向に同調しきれない国内の美術関係者にとって、ある意味で中庸作用を持つ対象と見なすこともできるが、はたしてそれでいいのだろうか。むしろあえて、「彫刻的」な作品として解釈することを積極的に回避することを考えてみたい気がするのである。

 現代へと至る芸術の歴史はアートをテクネー(技術)と切り離し、自然や神を描き出す技術や新しい技術を重視するのではなく、固有な考え方の交換を重視する。そのために芸術に自立的な場を用意したのがモダニズムだったが、それを批判的に乗り越えてきた現在のアートは写真や映像を使って生を直接的に扱おうとする傾向が圧倒的に強い。そこには、ハル・フォスターが論文「民族誌家としてのアーティスト」(1996)で指摘したように、アート・ツーリズムとの親和性や、対象への過度な同一化などの問題点が存在する。そのとき、フォスターは旧来の専門領域の記憶を霞ませないようにと警告をするのだが、冨井はメディウム間に生まれる距離や、生が基盤を置く日常と芸術との距離を独自の方法で獲得することで、歴史的に積み上げられてきた言説(ディスコース)にも居場所を持ちえているように思える。
 もちろん、こうした欧米で積み上げられてきた言説に対応した美術のあり方を拒否して地域に固有の表現を称揚する傾向が、国内には強くあり、また多文化主義の名のもとで欧米にも存在する。それは、伝統芸術に通じる細かい手仕事的なテクネー、あるいは「メディア芸術」と呼ばれているもののことだが、それが美しいとか、凝っている、面白い、と感じることは私も含めておおいにありえても、ファインアートが出発点においてアート=テクネーとは切り離されたことと、その後の言説の積み重ねに背を向けることはできないはずである。なぜなら私たちはそこに西欧の芸術固有の問題を見いだすだけではなく、芸術の感性的な媒介作用を通じて他者との共存に向けた人類の挑戦を見いだすことができるからであり、それゆえに同時代の美術作家の実践をそのなかへと差し向けることには大きな意味がある。
 メディアや美術の歴史といったコンテクストに冨井の作品を置き直す可能性をここでは挙げてみたが、批評はもっと別の方向へ彼の作品を誘うことも可能だろう。冨井の作品をどのようなコンテクストに置くと考えるかは、当然語り手が自覚的にせよ、無自覚にせよ、自分の立場に引きつけることになりがちである。そのときに、共有しえる議論の基盤として、こうした内外の言説の積み重ねがある。しかし、現在は圧倒的にその力が失われてきているように思う。その貧弱さには致命的な問題を感じることがあり、理由はおそらくジャーナリズムの問題だけでなく、批評すべき人がみな、美術館や大学で働いているためとも考えられ、そうすると関係者の多くが公的機関に属して議論が起きづらくなった原子力村と同じ構造にみえてくる。冨井をはじめ、多くの人が関心を持つ作品が、こうした閉塞的な状況を打ち破り、多様な解釈の重ね合わせを産み出していくことに期待したい。

http://artscape.jp/report/curator/10005008_1634.html