Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

大坪砂男 - Wikipedia

日本における鉱物学の先駆者である和田維四郎(東京帝国大学教授、八幡製鉄所長官、貴族院議員)の三男(姉妹を含めて六番目の子)として東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷薬王寺町に生まれる。東京府立第四中学校から東京薬学専門学校(現在の東京薬科大学)を卒業する。このときの同級生に映画評論家の岩崎昶がいた。
同校を卒業後、たまたま知り合った谷崎潤一郎兵庫県武庫郡本山村(現在の神戸市東灘区岡本)に居住していたため、そこを訪ねて住み込みの書生となる。このとき谷崎夫人(のち佐藤春夫夫人。心理学者佐藤方哉の母)千代と密通[2][3]。『蓼喰ふ虫』の阿曾のモデルとなる[4]。小谷野敦は「千代が和田の子を妊娠していたのを(谷崎が - 引用者註) 中絶させたのではないか」と推測している[5]。
その後、陶工を志したり、株に手を出したりした後、警視庁の吏員として鑑識課に勤務し、8年間在職する。1932年には玉ノ井バラバラ事件を担当した。このとき上司の妻と恋仲になり、そのことが原因で退職したと伝えられる[6]。のち画商に転ずるも、不注意で贋作を販売した責任を取って廃業し、長野県南佐久郡野沢町(現在の佐久市)に疎開、ここで終戦を迎える。
戦後の預金封鎖で一般の生活費は月500円と決められていた時期、自由業者の場合は別に500円が追加されることを知る。美術商時代の知人の佐藤春夫が佐久に疎開していた縁で佐藤に頼んで弟子の証明を受ける。これ以後、佐藤に師事。
一人の偏執狂が些細な理由から殺人を行うまでを、飛躍に富んだ文章で描いた『天狗』を佐藤の推薦で『宝石』誌に発表。これが代表作となる。香山滋、島田一男、高木彬光山田風太郎と共に、江戸川乱歩から戦後派五人男と呼ばれた。1950年、『私刑(リンチ)』他で探偵作家クラブ賞(現在の日本推理作家協会賞)受賞。日本探偵作家クラブの運営資金を私費する醜聞を起こし、また寡作ゆえに貧困に苦しみ、柴田錬三郎のアイデアマンに身をやつした。1965年、肝硬変と胃癌で死去。
門人に都筑道夫がいる。澁澤龍彦と都筑の編集と解説による『大坪砂男全集』全2巻(薔薇十字社)がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%AA%E7%A0%82%E7%94%B7


◇ 抜打座談会事件 - Wikipedia

抜打座談会事件(ぬきうちざだんかいじけん)は、博友社刊行の雑誌『新青年』の1950年4月号に掲載された「探偵作家抜打座談会」によって、日本の推理小説界の本格派と文学派が対立を深めた事件。

経緯
1950年、大坪砂男と宮野村子が幹事役になって新年会を開いた。集合場所は東京都新宿区揚場町の博友社。出席者は木々高太郎大坪砂男、永瀬三吾、宮野村子、岡田鯱彦氷川瓏、本間田麻誉の7名である。出席者のほとんどは文学派をもって自任していたが、ただ一人岡田のみが本格派の孤塁を守っていた。
やがて出席者は神楽坂の小料理屋"喜らく"に案内され、速記者に引き合わされた。そこに『新青年』編集長高森栄次が現れ、出席者に「非常に突然で恐縮ですが、速記をとって本誌に掲載させていただきたいと存じます。抜打ち座談会という形です」と告げた。
この座談会の席上、文学派をもって任ずる出席者たちが、本格派の探偵作家たちを強い調子で非難した。たとえば大坪は「低級な探偵小説を発行部数の多い雑誌に載せるが、それを支えている唯一のものは経済的根拠ですね」「その人達(本格派の諸作家─引用者註)の誇っているところはいかに儲かるかということですよ」と発言している。


反響
この座談会を読んだ江戸川乱歩は即座に『宝石』の編集部に電話をかけ、『「抜打座談会」を評す』という一文を同誌の1950年5月号に発表した。乱歩の反駁文そのものは穏健な内容だったが、氷川の回想によると、乱歩は岡田から座談会の模様を逐一伝えられて感情を害していたという。横溝正史高木彬光も激怒していた。特に高木は大坪の発言に猛反発し、大坪の作品が載った雑誌や単行本を風呂の焚きつけに使って溜飲を下げていた。本格派を熱烈に支持していた宝石社社長岩谷満は、この座談会を『宝石』への挑戦と解釈し、出席作家たちの原稿を『宝石』でボイコットすると発言した。これに対して文学派の諸作家も反撃し、騒ぎはますます大きくなった。
しかし、本来売れ行きの芳しくなかった『新青年』は赤字から脱することができず、抜打座談会掲載から3ヵ月後の1950年7月号を以て休刊を迎えた。これに伴って文学派は萎縮と沈黙を余儀なくされ、事態は沈静化した。
このときの座談会で文学派が真剣に語り合った新しい推理小説の方向と可能性の諸問題は、松本清張の出現で一挙に解決を見たと考えられている[1]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%9C%E6%89%93%E5%BA%A7%E8%AB%87%E4%BC%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6


創元推理文庫版〈大坪砂男全集〉全4巻刊行記念 和田周インタビュー(聞き手・日下三蔵)[2013年2月]|国内ミステリ出張室|Webミステリーズ!

 このたび、創元推理文庫大坪砂男全集〉(全四巻)の刊行開始を記念して、大坪氏のご長男である俳優・演劇家の和田周さんにお越し頂き、編者の日下三蔵さんに思い出を語っていただきました。
 佐藤春夫の弟子、都筑道夫の師としても知られ、高木彬光山田風太郎らとともに、江戸川乱歩より「戦後派五人男」の一人に数えられた短篇の鬼才・大坪砂男。「天狗」に代表される奇想と凝りに凝った文体で、多くの人の心をとらえながらも、谷崎潤一郎の「妻譲渡事件」への関りや、「抜打座談会事件」「魔童子事件」など多くのスキャンダラスな事件と共に時代を駆け抜けた、孤高の天才作家の知られざる側面に光を当てる、貴重なお話を伺うことが出来ました。(編集部)

http://www.webmysteries.jp/japanese/wadakusaka1302.html