Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

HIKARU FUJII » Archive » No.65 2010-10-20

1. SILENT LINKAGE(サイレントリンケージ)

身体、精神、欲望に深刻な影響を与える強いメディアの言説を弱める個人
の力が、エレクトロニクス技術の進展と共に増大していることは確かなよ
うだ。与えられた情報を一方向的に受け入れるのではなく、一次情報に直
接アクセスし、多くの人々の議論と精査を通過させ、その集合知を自分た
ちのメディアで公開する。
今年、国内外のアートシーンで公共圏の問題がクローズアップされたのも、
この集合知の生成における社会構造の変化に敏感に応答した結果と言える
。しかし、そこで議論されたのは、芸術を、社会的であるとか、政治的で
あるとかいった領域に囲い込むこであり、芸術の可塑性と公共性が結合す
る核心ゾーンである「公開性」の問題にまで美学的議論が発展することは
なかった。
ハイパーローカルな生活世界、都市空間、雑多な現実の領域から生まれで
る人間の一回性の意識を記録し痕跡を外在化したいという芸術の繰り返さ
れる暴力性。そこに生きる人々はデータベースを求めていない。「起源」
を彫刻しようとするアーカイブの欲望は、根源的に悪である。

http://silentlinkage.com/

http://hikarufujii.com/archives/151


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.52 2009-11-13

メディアと芸術:構成(状況により変更する場合があります)
01. 二つの「戦争画」聖戦美術展(1939年)ベイルート空爆(2006年)
02. 日展的な価値と北海道アンデパンダン展(1946年)または九州派
03. 具体美術協会とTV
04. 万博芸術/「一般市民を”巻き込む”」垂直的ゲリラ戦(1970年)
05. フルクサス/E.A.Tから「芸術家=市民」水平的関係性の美学
06. 中谷芙二子水俣病を告発する会 テント村ビデオ日記」(1972年)
07. 個人を発信源とする表現の時代へ「国立ビデオひろば」小林はくどう
08. ポスト68年代、大きな物語から小さな物語へ「障害者アート」
09. 阪神・淡路大震災と主体化する「在日外国人」(1995年)
10. コミュニティーアートとコミュニティーメディアの胎動
11. 新しい政治化時代
12. 芸術家のストライキ(2003)
13. クリエイティヴ・シティー論と246表現者会議
14. 集合的身体と映像「麻生邸リアリティーツアー」
15. インディーメディアと日常に経って
16. クレメント・グリーンバーグの亡霊たち
17. 恊働的創造のプロセス、あるいは「宮下公園ナイキ化問題」

……………………………………………………………………………………………………………………

メディアと芸術は一部の人々に独占されてきた歴史がある。特に社会の中
で不可視化、周縁化されている人々にとってそれは生活から遊離したもの
と考えられてきた。
しかし、長年のメディアと芸術の民主化運動により、現在では生存のため
の不可欠な要素となった。ここでは世界中のさまざまな路上からの表現の
現在を紹介しつつ、誰もが表現者となる時代をイメージする。

http://hikarufujii.com/archives/477


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.54 2009-12-20

プロダクトからプロセスへと美学的実践を拡張させたフルクサスと、芸術
と技術の前衛グループE.A.Tの美学は、東京・国立市の市民に受け継がれ、
市民が主体的に制作した映像表現が市民の意見として行政にフィードバッ
クされる(国立ビデオひろば/1978年-1993年)。
2009年には「横浜国際映像際」のラボスペースで民衆による民衆のため
のメディアが可視化され、「今後のICT分野における国民の権利保障等の


在り方を考えるフォーラム」では、総務大臣津田大介がコミュニケーシ
ョンの権利や市民メディアの実践必要性をツイッターでつぶやき始める。
人種差別や女性の権利が100年の抵抗を経て、脱・構築され始めたように
、一部の人々に独占され続けた映像表現が、その発信と制作の権利を分有
しようと政府レベルで議論され始めた2009年。
生存の危機に瀕し、生活保護の申請をしたにも関わらず、追い返えされ、
ビデオカメラでその不透明な行政システムを記録して逮捕って何だよ?!

http://hikarufujii.com/archives/469


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.56 2010-02-13

「映画を作るとき、わたしは、いつも何かに復讐する、報復するという感
情を持っています」ペドロ・コスタ『UP』2004

映画監督ペドロ・コスタ蓮見重彦との対談で、「私が撮っているものは
裁判ではなく、価値判断を下すことではない」と断りながらも、「今の世
界が正しくない、うまくいっていないということを語らねばならない」、
その世界に対し「詩的なやり方で報復する」と言っている。

現代の危機に対し、仕返しの概念を創り出していく。ペドロ・コスタのア
チチュードを私は全面的に支持する。

水戸芸術館で開催されている『リフレクション/映像が見せる”もうひとつ
の世界”』展に出展した新作『ソーシャル・レイバー(社会的労働)』は、
公園でテント生活をする青年と恊働で生成させた。その過程は、何かが失
われ、壊されてゆくさなかで、他者の感情に関わる問題、つまり政治に対
する報復という意志を共有しながら、文化生産という装置の中で、お互い
が新たな関係に参入していく過程、お互いが今の自分とは異なる「なにも
のかになる」経験でもあった。私には何か、その関係性の経験こそが「詩
的なやり方で報復する」という事のような気がしてならない。

http://hikarufujii.com/archives/334


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.60 2010-05-17

3.  映像を用いた“もうひとつ”の美術史  藤井光

リフレクション展のカタログに寄稿しました。水戸芸術館ミュージアム
ョップで購入(税込2000円)できます。

1971-2010 個と個をつなぐメディア

20世紀に展開された芸術の長い歴史は、“決裂(rupture)”の道を求めるこ
とによって作り手と観客を換えていった。国内においては、美術家の中谷
芙二子が1971年当時、市販されたばかりの個人用小型ビデオカメラを水俣
病の加害企業に向けた時、戦後現代美術のひとつの再フォーマット化が始
まっている。アートの実践領域をプロダクトからプロセスへと転換させた
フルクサスの芸術運動を継ぐニューヨークのテクノロジー・アートグルー
プ「E.A.T」の活動に参加し、アートという言葉すら使う必要のない、新し
いコミュニケーションの可能性を探求していた中谷は、今現在ディスコミ
ュニケーションの起っている場所、すなわち三菱重工ビルの前で、水俣病
患者と抗議活動を続ける「水俣病を告発する会」の支援者たちと合流する

http://hikarufujii.com/archives/306


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.63 2010-09-05

2. AAF学校〈アーティストの労働と権利を考える〉

2003年アヴィニヨン・フェスティバル(仏)がストライキで中止されたこ
とは記憶に新しい。このとき大きな争点となったのは、アンテルミタン―
自営でもなく、有期/無期の給与所得者でもない、断続的intermittentに雇
用される労働者―に関する制度の変更だった。その多くがアンテルミタン
である 舞台芸術に携わる芸術労働者(アーティストや技術者など)がその
制度変更に反対し、ストライキやテレビの生放送をジャックするといった
大規模な労働運動を 巻き起こしたのである。この運動を期にパリでは、従
来の労働組合とは異なる形で、個人の権利意識や自らを守る智恵やスキル
を共有するための芸術労働者の連帯が生まれ、活動拠点「CIP」も創設さ
れた。
今回のAAF学校では、旧来の雇用形態にとらわれない多様化する働き方や
ライフスタイルを選択した芸術労働者たち(アーティストやアートプロデ
ューサー、 アートNPO、技術者など)が、個人の権利意識を自覚し、自
らを守るスキルを共有するための方法、また組合にとどまらない連帯や運
動の可能性などについて 考察する。


対談:吉澤弥生 × 藤井光


【日時】2010年9月13日(月) 18:30〜20:30
【場所】アサヒ・アートスクエア
【参加費】2000円(学割:1500円)
【申し込み】氏名・連絡先(e-mail/電話)を明記の上aafs@arts-npo.orgまで
【主催】アサヒ・アート・フェスティバル実行委員会
【詳細】http://arts-npo.org/aafschool2010.html


吉澤弥生(よしざわ やよい)
大阪大学大学院GCOE特任研究員/NPO法人地域文化に関する情報とプロジ
ェクト[recip]代表理事、1972年生まれ。

http://hikarufujii.com/archives/205


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.66 2011-1-17

4. 映像とワークショップのあり方を考えるシンポジウム
「映像の強度〈マグニチュード〉へ」

ニューヨーク世界貿易センタービル崩壊という強烈な視覚的・同時代的経
験により幕開けを迎えた21世紀も、はや10年。20世紀前夜リュミエール
兄弟らの「発明」以来、映像の記録・再現技術が一般化した100年を超え
て、わたしたちは映像のますます氾濫する時代をどのように舵取りできる
でしょうか。

おそらくは、そのような問題意識を背景として、とりわけ携帯端末の動画
撮影機能や動画共有サイトの普及した今世紀にはいり「映像ワークショッ
プ」といわれる様々の試みが全国各地で広く行われるようになりました。
しかし、デジタル編集・制作システムを学ぶ技能講習から、映像の読み書
きをまなぶメディア・リテラシー教育、子どもたちによるストップ・モー
ションのアニメーション作りに至るまで、ひとくちに「映像」ワークショ
ップといえども、その目的も方法にも様々なかたちがみられます。

remoでは本年度、こうした時代に能動的な行為として映像にかかわる身体
づくりの方法=映像ワークショップという手法に着目して調査研究を行っ
てきました。その結果、たんに映像制作が可能となるような撮影や編集と
いったスキルの向上を図るだけではない、根源的な映像の〈強度〉ともい
うべき力に価値をおいた試みの意義を再発見するに至りました。

そこでこの度、とりわけ現代美術におけるワークショップ事業において
〈映像の強度〉を根底にすえた事業を企画・実践してこられたアーティス
トやキュレーターが一同に会し、それぞれの取り組みを共有し、各々の試
みを再考し、今後より精度・効力を高めつつ相互協力を深め、ますますひ
ろく社会に還元してゆくプログラムづくりにいかす機会として、映像とワ
ークショップのあり方を考えるシンポジウムを開催いたします。凍返る春
節に工場跡地での会場となりますが、みなさま是非ご参集ください。

話者:藤井光(美術作家)
会田大也(YCAMミュージアムエデュケーター)
清水建人(メディアテーク学芸員
櫻田和也(Un*xサーバ技術者)
進行:久保田テツ(NPO remo 代表理事

http://hikarufujii.com/archives/137


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.68 2011-06-23

大惨事や事故は、隠されたものを、発見するという意味で一つの発明であ
る(ポール・ヴィリリオ)。被災地となった東北は、戦中と戦後の東京市
場の膨張、食糧増産政策によって、熱帯原産である米が移植され「米どこ
ろ」として書き換えられている。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度
成長期末期には、原発交付金が誘致され、東北は電力供給地として開拓
されるようになったと言われる。原発推進派を当選させたた東京都知事
のすぐ後、私は福島にいた。そこで知り会った人々の東京に対して敵対の
感情を忘れることが出来ない。それと同時に、震災以前から東北の美術関
係者が地域主権を強く訴えていた記憶が蘇る。復興とは、一度衰えたもの
が再び勢いを取り戻すという意味ならば、21世紀のグローバル経済の中で、
過疎化という問題を抱える東北への打撃は計り知れない。その再生は、ベ
ンヤミンが言うように「あるべきであった過去が未来によみがえる可能性」
を丁寧に読み解くことなのかもしれない。

3.11以降、これまで、自分の考えを反証することもなく、何度も被災地を
訪れ、目の前の出来事に対応しながら3ヶ月が経過してしまった。ここで
は、震災直後のこともあって告知ができなかった映像祭(監修:藤井光)
について記載しておく。

http://hikarufujii.com/archives/437


◇ HIKARU FUJII » Archive » No.71 2012-8-22

メディアと活性―What’s media activism?
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細谷修平編/インパクト出版会

【論考1】自分たちのメディアを創る 映像を用いた“もうひとつ”の美術史
【論考2】福島から発信された情報は、福島へとフィードバックされる
──ドキュメンタリー映画『プロジェクトFUKUSHIMA!』

抜粋:低線量放射線による決定不可能な被ばくリスクを抱えながらも「福島を生きること」
を選択した人々を表現することの意味と効果を私は判断できなかった。避難・保養を選択し
ようと思案している人が存在する現実世界で、福島の厳しい現実を生きる人々を表現するこ
とは、「福島で生きないこと」の自由を拘束してしまうかもしれない。「福島の声を、福島
から届ける」そのポジティブな行為の中の暴力性。「自分たちのメディア」が形成する内と
外との隔り(論考2)…

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ソーシャル・ドキュメンタリー :現代日本を記録する映像たち
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萩野亮+編集部編/フィルムアート社

【論考】集合知の時代
──ソーシャル・ネットワークにおける映像の在り方

抜粋:映像メディアはたとえ歴史の構築から消されていく者であろうとも、その人の身振り
や声を記録する。複製技術である映像は、公共世界においてあらかじめ私的領域に除外され
てしまうものでさえも、現実世界の証拠とする。それはひとりの人間にとって、「わめき声
のようなもの」が、そこに存在したことを証明するための唯一の道具であるということだ。
デモクラシー〔民主主義〕とは、本質において、統治者にとって有用でない、聞く必要のな
い、「わめき声のようなもの」によって、自明性そのものが中断されることであり、物事の
正統性を多数者が決定していくプロセスではない。これまで安定的に維持=管理されてきた
アーキテクチャに裂けめが入り、不安定性が生まれる瞬間、不合意が表面化する瞬間を言う。
映像は二重化するデモクラシーを表象する。統治制度としてのデモクラシー〔民主制〕が、
観念としてのデモクラシー〔民主主義〕を閉ざしていくリアルを映しだす…

http://hikarufujii.com/archives/710