Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

吉増剛造「疾走詩篇 」(現代詩文庫41『吉増剛造詩集』より)


ぼくの眼は千の黒点に裂けてしまえ
古代の彫刻家よ
魂の完全浮游の熱望する、この声の根源を保証せよ
ぼくの宇宙は命令形で武装した
この内面から湧きあがる声よ
枕言葉の無限に岩バシル連祷のように
梓弓、オシテ狂気を蒸発せしめる
無類の推力を神ナシに保証せよ
容器は花の群衆の
そのもっとも濡れた中点を愛しもしよう
ああ
眼はもともと数百億の眼に分裂して構成されていたのに
そしてそれぞれの見方があって
半数には闇が繁茂し、半数には女陰が繁茂し、半数には
 海が繁茂し、半数には死が繁茂し、すべての門に廃墟
 の光景が暗示され、すべての眼が一挙に叫びはじめる
 一瞬を我々は忘却した
なぜ!
そのゆえに詩篇の行間に血が点線をひいてしたたる
この夜
ああ
鏡にうつる素顔に黄金の剣がせまる
性器も裂けよ、頭脳も裂けよ
夜も裂けよ
素顔も裂けよ
黄金の剣も裂けよ
この歌も破裂航海船、海という容器もない
文明も裂けよ
文明は地獄の印刷所のように次々に闇の切札を印刷する
 が、それは太陽の断片であって、毒蛇の棲む井戸であ
 って、虎の疾走であって、自然のなまぐさい香気によ
 って権勢をふるっていることをぼくは知っている
男大蛇が月を巻く、まさに虚空!
光も裂けよ
光、影像人間の幻想に関する魔術的予言にも、その中心
 に光に対する深い狂測が発見される
ああ
ぼくの眼は千の黒点に裂けてしまえ
ぼくの眼は千の性器に裂けて浮游せよ
円球内で肉を食うタマシイ
このとき
出口を失って世界が腐りはじめている
眼の回転
夢の墜落
ふたたび
眼の回転


朝だ!
走れ
窓際に走りよると
この二階の下に潮が満ちてきている
岩バシル
影ハシル、このトーキョー
精神走る
走る! 悲鳴の系統図
この地獄
新宿から神田へ
ぼくは正確に告白するが
この原稿用紙も外気にふれるとたちまち燃えあがってし
 まう
<青ノ容器>ニ桜ガ散ル、下北沢ノ
貝類の論理が頭上を通過する
<海の断片>がぼくをひっぱる、首綱つけて
ぼく濡れた飛火の原罪、珈琲皿のヘリで燃える
月の内部を徘徊するその速度が痛い
ああ
金色球場をオーバーラン
貨幣の中心を破って顔を出すと幣の風が激しい
走る
言葉はぼくを残して行ってしまう
噛みついたまま蒸発する鰐が早朝のイマージュだ
いま東北旅行から帰ってきて
闇をぬって
朝に立った
下北沢の火器の階段をおりる
走る
凝視する白いビンの森を疾走する
左手に彫刻刀三本、うち輝く一本を自殺用と意志する
ああ
言葉袋はひとりでに裂け
通行人を驚かす
なんという
神の印璽は、飛ぶ鳥の
女神の小便をぼくは茫然と見た、聖なる新宿の新式の迷
 路で
ふと
涙ぐんで長安をおもい
唐詩をくちずさむ
珊瑚ノ鞭ヲ遺却スレバ、白馬驕リテ行カズ
章台楊柳ヲ折ル、春日路傍ノ情
それが黄金の便器に人生の大半を吐瀉する、壮大なスク
 リーン
走る
経験や感受のためでなく
また
メルシュトレエムの渦巻にのまれるためでなく
曲射砲の砲弾に爆死する
そんな希いは校正せよ! 星のしるしに
走る
悲鳴の系統図
影ハシル、このトーキョー
精神ハシル
岩バシル
走ル
青の破滅
おお 狂気は永遠にひた走る、文明にあとおしされて、
 笑いながら、泣きながら
青の破滅
本能的臀部ハタダ卑猥
映画館ハ古代ノ静寂ヲ保存スル
いつしか
ぼくの乗る想像の馬は
想像も馬も裂けて別々に走っている
燃えろ! 分裂魔術疾走律
燃えろ! 快楽狂気淵少女、クチビル
燃えろ! 太陽ヲマワス劣悪棍棒
神、燃えろ、ほら眼のまえに、皮膚ガソリン!
しかし何故か説明のつかない推力が背後にあって
この疾走(遁走?)
街角で日記帖をひらくと
次のような一章
「雨の否定、風の否定、朝の否定、見る否定、書く否定、
  生きる否定、哲学の否定、自殺の否定、神秘の否定、
  宇宙の律動の否定、音楽の極点に棲む青い衣装をつけ
  た美しい少女の否定、思考と行動の完璧な一致を熱望
  する魂の、意志の、生活の、生成の、絶対の、魔術
  の、……
否定の括弧がかき消えて
突然、否定の鏡面へ、渚、打ちかえす波のように振りか
 える、ぼくの顔
貴女の花模様のスカートが大腿にまつわる
街角で
濡れて通るゼノンの矢を追いこしたぞ
ああ
日記もすててしまおう
ああ
地獄の印刷所では終末は誤植される、まあ終電ぐらい
なんで
この生命の急上昇
街角の一瞬の崩壊
ぼく、歌、中空に浮かぶ?
またふり返る
飛来する言葉は幻の水滴、ここ神田から二分、まるで渾
 沌鳥の舞いこんだ緑の納骨堂のようだ、ここは
ぼくはどうやって信じたらよいのか
まちがいというまちがいがぼくにふりそそいで
ああ、眼ばかりではなく耳も腕も自由も
バベルの塔も、薬師寺の塔も裂けてしまえ
この都市も
それが避けがたい運命なのだ
疑いなく一つの狂気詩篇が我々を襲っている
中央アジアを一人で旅したい
そんな夢もたちまち消えて
言葉の突端から波打ちだして、ゆらぐ肉体の中心が傷ひ
 らくように、痛恨をこめてまなざしをかえす
運命は永遠の狂気への門をひらく
ここは明るい!
街角または
ワクのはずれた一篇のロマン
濡ればしる、赤・バガボンド
魂ハシル
ああ
影ハシル、このトーキョー
地下鉄はこの爛漫の春、樹皮からふくらはぎを出す
この
我々にとって運命的な
変身譚をイマージュにかえる必要はない
おお
名づけられないもの
みえないもの
影ハシル、我々を
火星の極冠のように白くつつむ
街角のむこうに
霞にとざされているが
もしや
貌! 気配が
ア──


青のモノローグ
卑金属猥雑劇は完了した
家路につくぼくの胸中に
崇高性が静かに回復してくる
都市よ
きみはきみの秘教を守るべきである
ここに
ふたたび
太陽は復活してはならない
ここに記録した
悲鳴の系統図はやがてみずから燃えるであろう
すべてを愛して
さらに千の黒点に裂けて


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