Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

「今日の写真2009 第5回 写真が建築において果たす役割の大きさ」より

ホンマ かと思うと、こういう写真もあるんです(図版(10))。リカルダ・ロッガン(※8)というドイツの写真家で、いま、ちょうど個展をやっています(2月3日〜4月25日、アンドーギャラリー)。彼の「Baumstück」というこのシリーズは木の表面。建築で言えばファサード(正面)だけ撮ったような写真。木の表面だけ撮る人ってあんまりいないなって。展示を見たんですが、120×150センチの、ドイツ写真らしいすごく大きなプリントでした。ギャラリーに展示してあるとアートですけど、旅館に1点だけ飾ってあったら花鳥風月の写真にも見えるし。不思議な感じでしたね。
倉石 いろんな写真家やアーティストが森を撮りたがってる。そういう時期なんじゃないですか。
ホンマ 僕もそう思って、気になっているんです。ロッガンは旧東ドイツに住んでいるんですが、歴史の遺産をテーマにして撮っていて、作品集のタイトルも「20世紀に生まれたもの」。05年に東京国立近代美術館で展示された「ドイツ写真の現在」のなかにも入っていました。そのとき紹介されていたデビュー作は取り壊されるビルから家具だけを持ってきて、同じようにスタジオに置いて、また撮った写真。ほかにスクラップになった車をスタジオに持ってきて撮影したシリーズもあって、その三つがどういうつがなりなのか、わかるようなわからないような。

『アサヒカメラ 2009年5月号』所収 ゲスト/五十嵐太郎さん レギュラー/ホンマタカシさん&倉石信乃さん
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10341
この記事ですが、ホンマタカシさんが
リカルダ・ロッガンの「樹木(樹塊?)」シリーズを
批判しているのだと思っていましたが、
必ずしもそうではなかったのかもしれません。


私も実際にロッガンの展示を展覧会場で見ましたが、
しかし実物を見る限り、「花鳥風月の写真」に見えるような写真だとは感じませんでした。
おそらく、旅館に1点だけ飾ってあっても
そんなにも印象が変わることはないのではないでしょうか。
いわゆるネイチャー写真的なものではなく、
不可思議で異様な写真だと私の目には映ると思います。


「ギャラリーに展示してあるとアートですけど、旅館に1点だけ飾ってあったら花鳥風月の写真にも見えるし。」
というホンマタカシさんのコメントですが、どういう見地からの発言だと考えればよいのでしょう。
たとえば、今はなき月刊誌 relax(リラックス)の特別編集版として出版され、
のちに写真集にもなったホンマタカシさんの「ハワイの波」のシリーズ「NEW WAVE」は、
旅館に1点だけ飾ってあったとしてもアートになるんでしょうか?
花鳥風月の写真に見えてしまうということは、ありえないのでしょうか?
ロッガンの「Baumstück」と比べてみると、
むしろホンマさんの「NEW WAVE」のほうが危ういのでは?
と、私には思えるのですが。。。
おそらくホンマさんにも、そうした問題意識があったからこそ、
ロッガンの個展を通して自分の作品に重ね合わせて、
ああいった歯切れの悪い物言いになってしまったのでしょう。


あと、ロッガンのこのシリーズの写真は、
街路樹ないしは幹線道路沿いの樹木を撮ったものだと
どこかで読んだように思います。
そうだとすれば、重要なサブテキストになりうる情報なんですが、
ウェブ上にそうした記述は見あたりませんでした。
ひょっとすると会場にあったリリースか何かで読んだのかもしれません。


◇ リカルダ・ロッガン - ANDO GALLERY
http://www.andogallery.co.jp/jp/gallery/exhibition/past/ricardaroggan/
http://www.andogallery.co.jp/jp/gallery/artists/ricardaroggan/
「Baumstück 7」は、小部俊裕さんの作品(http://tcp.typepad.jp/expo/2007/03/phase_cb66.html)を思わせます。


◇ リカルダ・ロッガン 展 - 現代美術のウェブマガジン カロンズネット
http://www.kalons.net/j/news/articles_312.html


◇ Frieze Magazine | Archive | Archive | Ricarda Roggan
http://www.frieze.com/issue/review/ricarda_roggan/
KWで開催された個展「Still Life」(http://artnews.org/gallery.php?i=621&exi=12335&KW_Institute&Ricarda_Roggan
のレビュー。


◇ Ricarda Roggan at Kunst-Werke, Berlin - disorientations.com
http://disorientations.com/2008/09/02/ricarda-roggan-at-kunst-werke-berlin/
同上。


◇ Ricarda Roggan: Galerie Eigen + Art. - Free Online Library
http://www.thefreelibrary.com/Ricarda+Roggan%3a+Galerie+Eigen+%2b+Art.-a0161857222
『Artforum International』(April 1, 2007)の掲載記事から。


◎ Ricarda Roggan - EIGEN+ART: EIGEN+ART
http://www.eigen-art.com/Kuenstlerseiten/Ricarda_Roggan/Roggan_EN.html
http://www.eigen-art.com/

『THE SIGN OF LIFE』の清野賀子さん死去!?

◇ 写真家・清野賀子の死 / Yoshiko Seino - Riwkakant
http://riwkakant.blogspot.com/2009/07/yoshiko-seino.html
このブログの記述には「ちょっと違うんじゃないですか?」と言いたくなるような箇所が散見しますが、とりあえず我慢。
清野賀子さんのご冥福をお祈りいたします。


◇ 清野賀子写真集『THE SIGN OF LIFE』 - Osiris

『THE SIGN OF LIFE』は、写真家・清野賀子による新作60点を集成した写真集です。彼女の活動を雑誌などの仕事を通して目にしているファンも多いことかと思いますが、まとまった形での作品の発表は、本書が初めてとなります。これまで写真家、編集者、美術関係者など、写真好きの人たちの間で話題になっていた彼女の写真の魅力を十分にお楽しみいただける、待望の写真集です。中型カメラで撮影された写真のディテールや微妙な色彩は、Web上ではとても再現できないのですが、ご参考までに収録したいくつかの作品をここにご紹介いたします。


『THE SIGN OF LIFE』に収録された写真は、千葉、茨城、青森、愛媛、高知など、すべて日本国内で撮影されています。にもかかわらず、ここには日本の風景として類型化しているような写真は一点もありません。普段私たちが繰り返し目にする、絵葉書的な日本の風景写真は、残念ながら、決して現代を代弁はせず、21世紀を生きる私たちにフィットする感覚からはほど遠いものです。しかしなぜか、人影もなく、一見何の変哲もない静謐な清野賀子の写真には、私たちが共有できる現代の感覚が記録されています。彼女が本書で提示した60の場所は、それぞれに日本のどこかで見たことのある、けれどもあらためてその魅力について思考されることのなかった場所と言えるでしょう。


……一般に西欧言語のなかでいう意味でのアイデンティティ、つまり自己と歴史と民族と国家のきしみのなかで個としての自分の根拠を発見する、といったアイデンティティのありようとはちがうものが、清野賀子の写真にはある。ほとんど無人の風景を撮った写真に、アイデンティティという言葉を使うのは奇妙にきこえるかもしれないが、ウィリアム・エグルストンの撮ったアメリカ南部の写真についてユードラ・ウェルティが述べたように、これらの風景写真は私たちのポートレイトでもある。……ここにあるアイデンティティのありようの新しさは、これらの写真の、ひたすら胸に迫るような美のなかに含み込まれてあるために目につきにくいかもしれないが、とても革命的なものなのだ。
――本書収録の今枝麻子「すべての創造の回路をショートさせる」より抜粋

清野賀子(せいの・よしこ)略歴

1962年、東京生まれ。1995年より写真を本格的に始める。以降、独自のスタンスで写真家として活動を継続し、国内外で注目されている。1999年にギャラリー小柳(東京・銀座)にて、シリーズ「Emotional Imprintings」を発表。横浜美術館ほか、内外のグループ展に参加。2000年から2001年にかけて撮影された新しいシリーズ「The Sign of Life」を集成した本書は、写真集として第1作目。

http://www.osiris.co.jp/sol.html


◇ 今福龍太が読む 21 / 清野賀子『THE SIGN OF LIFE』 - Cafe Creole / カフェ・クレオール
http://www.cafecreole.net/corner/essays/reviews/r21-seino.html


◇ 清野 賀子 a good day, good time - PUNCTUM プンクトゥム
http://www.punctum.jp/seinoyoshiko_jp.html


◇ 商品詳細|反記憶/現代の写真 II ― ANTI-MEMORY : Contemporary Photography II - MILBOOKS -online book seller-
http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK080277
※このページの目次には誤植あり。
 ×「Taime After Time 清野賀子の二つの連作」 倉石信乃
 ○「Time After Time 磯田智子の二つの連作」 倉石信乃

the music live - MySpace

毎月,新曲を発表していきます。

大島輝之 Oshima Teruyuki
http://www.myspace.com/oshimateruyuki
カイドーユタカ Kaido Yutaka
http://www.myspace.com/kaidoyutaka
岸田佳也 Kishida Yoshinari
http://www.myspace.com/ksdysnr

http://www.myspace.com/tmlelectric


◇ 黒い大島輝之の日記
http://d.hatena.ne.jp/oshimateruyuki/


◇ 『かゆいかたどう?』◆カイドーユタカ◆kaido yutaka
http://yaplog.jp/kaido-yutaka/


◇ ( ( ( ((( ))) ) ) )
http://d.hatena.ne.jp/ksdysnr/

sim + otomo『Monte Alto Estate』

大島輝之(guitar, composition)、大谷能生(computer, electronics, etc.)、植村昌弘(drums)の三人からなるユニット = sim に大友良英(turntables, self-made symthesizer)が加わった話題作。大島の作曲による緻密なリズムを寸分の狂いなく叩き続ける植村のドラミングを軸に、ミニマルなビートを刻む大島のコード・カッテイング、大谷の爆音圧のエレクトロニクスという sim の独自のサウンドに大友のノイズが鋭利に切り込む。一部アナログに落としたマスタリングやかなり特殊なジャケットもこの特別なサウンドを象徴しているかのようである。

http://www.doubtmusic.com/dmf-127.html
http://diskunion.net/jazz/ct/detail/DMF127
http://www.amazon.co.jp/Monte-Alto-Estate-sim-otomo/dp/B001VAD1AE


◎ doubtmusic
http://www.doubtmusic.com/

まだ、ATAK013を聴けてませんが、リリース・ラッシュ。

ATAK | info

09.09.11(Fri) 09:11

New release

ATAK015 for maria Keiichiro Shibuya

on sale.


09.08.28(Fri) 08:28

New release

ATAK014 "SATION IS ROOM 3.064" PARTS 1-5 Mika Vainio

on sale.

http://atak.jp/info/
http://atak.jp/


◇ i8u + Tomas Phillips『ATAK013 ligne』
http://cart02.lolipop.jp/LA08128271/?mode=ITEM2&p_id=PR00101716903
http://www.amazon.co.jp/ATAK013-ligne-i8u-Tomas-Phillips/dp/B002C58954


◇ diary/2009/07 - ATAK

スペインに行って実感したんだけどヨーロッパはCDからレコードに回帰しようとしている。
__
CDのバイヤーやオーガナイザーなど多くの音楽関係者になぜヴァイナルでリリースしないんだ?と聞かれて驚いたんだけど
__
確かにレコードのほうが音もよくジャケットのデザインの可能性もあり、DJにも使えてモノとしての愛着を生成しやすい。が、どうしても違和感を感じてしまう。
__
単純に言うと人類の進化と逆行していないですか?ということなんだけど
__
コピープロテクトやデザインの可能性、不可視なものに愛着を持てるかなどといったデータにまつわる問題は、人間がまだ出会っていなかった問題で、そこには解決するに値するものがある。

だからまずやってみようと思う。配信がメインになりCDやレコードがマルチプルになる時代は近い。014はその実験として最初のものになると思う。

http://www.atak.jp/diary/2009/07/21.html
渋谷慶一郎さんの日記より。