Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

レナート・ニルソン(Lennart Nilsson)の胎児と宇宙飛行士・エドワード・ホワイト(Edward Higgins White, II)

◇ 胎児と宇宙飛行士 - mikakobayashi.com

写真史という研究分野の片隅に身を置いてきた立場としてみれば、Google Booksでパブリックドメイン化されているグラフ雑誌「ライフ」のバックナンバーのデータは、雑誌というメディアの歴史を知り、伝える素材として重要なものです。もちろん、実際の印刷物に触れて、その大きさや手触りを実感するのが一番良いのですが。
写真家、主題、編集方法など、さまざまな切り口からバックナンバーを拾って見ていくと、興味深い発見があります。以前にも何かの本で指摘されていたように思うのですが、1965年に掲載された2つの記事が、内容、編集方法という点で比較して見ると、非常に印象深い。

一つは1965年4月30日号に掲載された、スウェーデンの写真家、レナート・ニルソンが内視鏡を使って撮影した胎児の生育過程を追ったDrama of Life Before Birth

もう一つは1965年6月18日号に発表された1965年6月3日にアメリカ人初の宇宙遊泳を行ったエドワード・ホワイトをフィーチャーしたThe Glorious Walk in the Cosmos

http://www.mikakobayashi.com/2010/05/18/life-1965430-618/
小林美香さんのウェブサイトより。


◇ LIFE - Google ブックス
http://books.google.com/books?id=N0EEAAAAMBAJ&source=gbs_navlinks_s#all_issues_anchor


◇ LIFE magazine now available on Google Books (Wednesday, September 23, 2009 at 7:20 AM) - Inside Google Books
http://booksearch.blogspot.com/2009/09/life-magazine-now-available-on-google.html


◇ List of all magazines now available in Google Books - Inside Google Books
http://booksearch.blogspot.com/2009/11/list-of-all-magazines-now-available-in.html


>>>チャールズ&レイ・イームズパワーズ・オブ・テン」とダン・グレアム「1966年3月31日」
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100524#p3

正:The Photograph as Contemporary Art / 誤:Photograpahy as Contemporary Art

◇ Mika Kobayashi: 原題はPhotograpahy as Contemp ... - Twitter

原題はPhotograpahy as Contemporary ArtではなくThe Photograph as Contemporary Art。この文脈でPhotography とThe Photographの違いは大きい。http://tinyurl.com/2chcgrz

http://twitter.com/marebitoedition/status/14612978727


◇ Mika Kobayashi: @kachidehi photographyだと、写 ... - Twitter

@kachidehi photographyだと、写真術一般を指しますが、the photographというのは特定の写真、できている「もの」を指します。この場合だと、現代美術分役で制作、受容されている写真のことを指し、邦題のように「現代写真論」と包括すると誤解が生じるかも、と。

http://twitter.com/marebitoedition/status/14614296730
以上、小林美香さん(http://www.mikakobayashi.com/)のツイッターより。


>>>Charlotte Cotton "The Photograph As Contemporary Art" (Thames & Hudson)
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100107#p2

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◇ 『現代写真論』リーディング・クラブ開講のお知らせ - G/P gallery

『現代写真論』リーディング・クラブ申し込み受付け中!
2010年6月7日受講スタート

毎週 月曜日19:00-21:00
講師:後藤繁雄 ゲスト作家:緒方範人、小山泰介、細倉真弓
主催:G/P gallery
受講費:15,000円(ドリンク付き・全10回)
定員:15名程度
このたび、G/P galleryでは2004年に発売されたシャーロット・コットン著『Photography As Contemporary Art』を現代写真における1つのアンカーポイントととらえ、本著日本語版『現代写真論コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』(大橋悦子・大木美 智子訳/晶文社刊)の読み合わせ会を全10回コースで開講します。一章ごとに、論点や作家のストラテジーを丁寧に読み進めることで、現代アートの観点から 始まる、新しい写真のフェーズへとみちびきます。
本コース受講の方には、本著定価2,600円(税抜き)を特別価格2,400円でご 購入頂けます。

http://gptokyo.jp/blog/article/『現代写真論』リーディング・クラブ開講のお知らせ
単なるタイプミスか、書名の記憶違いかと思いますが。。。


◇ 現代写真論: シャーロット・コットン, 大橋悦子, 大木美智子 - Amazon.co.jp
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4794967500/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
書影はこちらを。
邦訳版も「The Photograph as Contemporary Art」となっています。

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それはさておき、シャーロット・コットン『現代写真論 コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』(訳:大橋悦子・大木美智子 晶文社)の
プレスリリースらしきテキストを読むと、

内容紹介
写真は単なる記録媒体を超え、あらゆる価値を貯えこんだアートとして、表現の幅を広げている。
イメージを精緻に構成したタブロー写真。建築や風景を超然と高度な画質で写し取るデッドパン写真。凡庸な事物を視覚に訴える被写体に変容させる表現があれば、日常のスナップのような写真から深い感情が際立ってくる私写真もある。世界の証言としての写真、ポストモダニズム的写真、その先の新世代の表現まで……。
世界の現代アーティストによる作品243点を収め、歴史的にも美術的にも正しい解釈をあたえる無類の写真評論。


内容(「BOOK」データベースより)
写真は単なる記録媒体を超え、あらゆる価値を貯えこんだアートとして、表現の幅を広げている。イメージを精緻に構成したタブロー写真。建築や風景を超然と高度な画質で写し取るデッドパン写真。凡庸な事物を視覚に訴える被写体に変容させる表現があれば、日常のスナップのような写真から深い感情が際立ってくる私写真もある。世界の証言としての写真、ポストモダニズム的写真、その先の新世代の表現まで…。世界の現代アーティストによる作品243点を収め、歴史的にも美術的にも正しい解釈をあたえる無類の写真評論。

http://www.amazon.co.jp/dp/4794967500


と、なっていますが、
「歴史的にも美術的にも正しい解釈」
というふうな物言いには注意する必要があるでしょう。

id:heliographさんのはてなダイアリーより+α(インターネットの仕組み)

◇ 西井一夫と藤原新也 - Heliograph(太陽の描く絵)

 本人が削除したので、西井一夫についてのどのように書いたのか、よく覚えていないのでやめますが、藤原新也のモノクロ写真に対する見方、マグナム的なフォトジェニックに対する批判的な見方について、西井一夫が『20世紀写真論・終章ー無頼派宣言』西井一夫著(青弓社)で藤原新也についてどう書いてたのかを一部引用しておきます。

 入院中に雑誌「フォーカス」が休刊し、私の友人がメールで次のように言ってきた。

「ところで、先日、朝日新聞藤原新也とかいう男の“フォーカス廃刊にあたって”という評論が載っていたが、俺はじつにくだらないと思った。どうして、あんなのが威張っているんだ。フォーカスが商業写真雑誌として破綻していったことと“白黒写真にこだわる写真家集団のひとりよがり”と、最近の若者の私的写真嗜好とどういう関係があるっていうんだ、とクダをまいておりまする。早く、退院しろ!このあほんだら」

 彼は、センシブルなやつで、私は、やつのセンスを信じているので、さっそく「あんなの」が書いたコピーを送ってもらい読んでみた。結果、そのとおりじつにくだらなかった。ストレスが内向したために、いささか攻撃的に姿勢が傾いている。が、だめだぁこりゃあ。藤原が書いていることはその論理に従えば、「フォーカス」という雑誌が、「LIFE」と同列の“大論”を背負った雑誌であり、マグナムと「フォーカス」の写真もやはり同列で語られる、芸能スキャンダルさえ“大論”の範疇に入るらしい。あきれかえって言葉がない。ここにあるのは、“現在写真に興味を示す新しい世代”への全面降伏にすぎない。つまり、これらは唯一信じることのできる“個人の日常”にレンズを向ける子どもたちに受けない、というただの消費社会の市場原理からすると、当然の帰結といえる “旧世代”の退場になんの留保もなく塩を投げ、“大論”が何であったかを問いもせずに、ヒキコモリを前提なしに肯定していく若者への過度の“おもねり”であるように思えた。私自身は、別段“旧世代”とやらを擁護したいとは思っていない。ただ、藤原さんよ、これじゃあまりに論理が破綻しています。“大論”時代が終わり、利益だけが求められる<市場>がひとり勝ちしたと現状追認してるだけ。「LIFE」は「フォーカス」と同列に語りえぬ“大義大論”をもっていた。“ヒューマニズム”“人道”……。タイトルにLIFE=命と銘打っている、それなりの歴史的必然を背負った時代がたしかにあったのだ。その命がじつはアメリカ人のための命のことにすぎなかったという事実が「LIFE」の命取りとなったのだ。「軒並み休刊に追い込まれている」「写真雑誌」は、出版不況=<市場>の波をいち早く被った「大きな流れのなかの一点景にすぎない」というが、ここでご自身が使用している“大きな流れ”そのものが、若者がまったく興味を感じえない“大論”にすぎないのではないか。はっきり言えば、私は、若者が興味を感じようが、感じまいがどうでもいい。そんな<市場>はほっとけばいい。私は私の道を行く、友達ならそこのところうまくつたえてぇ……??

大義大論”はいま必要だ。個人など、もっとも信じるにたりない卑怯者にすぎない。芸能スキャンダルにさえまったく興味を感じえない“新しい世代”とやらが小泉構造改革とやらにバカな興味を感じているのは、では、なぜか?

 私の推察では、写真雑誌にかぎらず、たいていの雑誌や書物、メディアつまり言論が表向きには“理性の声”でしか語られてこず、私的な“呟きの響き”はつねに排除されてきた、その絶えることのない呟きが聞き届けられないという諦念が、おそらく呟きそのものを大切にしたいと思う、弱々しいが、絶対的確信に満ちた呟きの連合をつくっていて、そういう人たちは言葉を駆使できないから、畢竟カメラという手軽な自動表現装置に飛びついてただけのことだ。「フォーカス」には「報道写真家の集団マグナムに代表されるような深刻ぶったモノクロ写真」などは一度も掲載されたことはなかった。はっきり言えば、「ドロドロドキドキした誌面」もなかった。最終号の“密会大全”なるページでも、噂の二人は、ぜんぜん無関係な二人として、互いにそっぽを向いているのに、キャプションだけが、ふたりの“ドロドロの人間関係”を“愛人”だの“朝のゴミ出し”だのと騒いでいるだけだ。藤原は、たしかに最初から素人の旅行者としてカラー写真に文章を添える手法でデビューした。だから、モノクロに対するあからさまな蔑視は素人ゆえに問わないが、マグナムを「深刻ぶった」とは許せない。深刻だったのだ。キャパが命を落とすほどには。新しい世代は、キャパにもどうせ興味を感じえないだろうが、知ったことか!キャパは写真を言葉で解説したり、説明したりする愚はしなかった。『ちょっとピンぼけ』は、写真ではなく人生を語ったものだ。ノルマンディー上陸のDデイでキャパの撮った写真はブレている。あまりの恐怖に手が震えて、フィルム交換さえできなかった、彼は怖さであとずさり、上陸用舟艇に引き返している。写真論とは、写真を解説する言論のことではない。写真評論も、写真説明ではない。写真、そして写真家というものが、この世界でこの同時代にどのように在るのか、なぜそうなのかを批判的認識によって論ずるものだ、と私は思っている。これ以上突き詰めると嫌味になる。話題変更。

http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20100524
この引用は、「付録「フォーカス」の休刊と藤原新也」から(当該箇所はP302-305)。
末期がんによるホスピス入院中に書かれた、西井一夫さんの最晩年の文章のひとつです。
ただし、309ページからの「さらなる後記」も併読すべきだと思います。
また、260ページを読んでみれば、西井一夫さんが藤原新也さんの『東京漂流』は評価していたことがわかります。


◇ 20世紀写真論・終章――無頼派宣言 写真叢書(西井 一夫・著) - 青弓社
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-7144-0.html
http://www.amazon.co.jp/dp/478727144X

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あと、藤原新也さんはインターネットの仕組み(アーキテクチャ)をよくご存知ないのかもしれません。
それに、藤原新也さんには加筆変更癖がありますし、
ウォッチャーが少なからず存在しますから(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070404#p4 http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081031#p7)、
センシティブな問題に言及したときは毎回魚拓くらいはとられてるでしょうし。


>>>所幸則氏というコマーシャル・カメラマンの方のブログが非常に香ばしいです。切込隊長山本一郎さん的な意味で。

おわかりではないのかもしれませんが、基本的に一度ウェブ上にアップした文面は完全に消去することはできません。
どこかのキャッシュに保存されてますし、見てる人は見てるので、

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090103#p2


>>>mixi掲示板より抜き書き

“しかも、今の時代はその形跡を消去することは不可能です。
つまり、ことWebにおいては「はかなさの獲得」など
幻想にすぎません。Web上に存在した時点で
どこかだれかのハードディスクなりサーバなりに、
その情報は格納されてしまいます。 ”
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=7694259&comm_id=500838&page=all

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061123#p3


>>>東浩紀「情報自由論」(全文)

http://www.hajou.org/infoliberalism/

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070621#p4
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%BE%F0%CA%F3%BC%AB%CD%B3%CF%C0

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◇ 伊兵衛賞はその都築響一を受賞者にしたあたりから様相が一変した(実は写真家とみなされていなかった都築を伊... - f0.7
http://seiichirou.tumblr.com/post/626436481


◇ つまり一体に言えることは要するに”社会と切り結ぶ”ユージン・スミスやキャパや、難民をまるで泰西名画のよ... - f0.7
http://seiichirou.tumblr.com/post/626438241


◇ 伊兵衛賞はその都築響一を受賞者にしたあたりから様相が一変した(実は写真家とみなされていなかった都築を伊... - ふろねこノート
http://furoneko.tumblr.com/post/628084755


http://www.fujiwarashinya.com/talk/ - Page2RSS
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Qmp2Ps3GhrYJ:page2rss.com/


◇ Shinya talk - Page2RSS
http://page2rss.com/c/8bebe90ee44610a7c51a23f5276e41e4/4942786_4943091/

かつてあった言論封殺(倫敦橋さんの2007-01-25の記事より)+α

◇ 本家凍結のお知らせ - 倫敦橋の番外地

FC2 blogのコメント欄にGmailアドレスを公開していたのだが、そこにこんなメールが届く。 (一応、一部伏せ字。)

kankan kankan <***********@yahoo.co.jp>

こんなメールがありました、とエントリーで報告して寝る。

25日昼頃アクセスすると、blogが凍結されてた。 管理画面に入れない。

FC2のお問い合わせのページを見てみた。

「ブログ凍結の理由については回答致しませんのでご了承下さい。」

ということらしい。 問い合わせは、まだしていない。

 

経緯はこんな感じです。

 

面倒くさいなぁ、というのが実感。

  

通報の書式を整えて、FC2の「TB・コメントスパム・不適切ブログ連絡フォーム」に通報し、FC2側が機械的に凍結させたのでしょう。

 

「私自身は、上記教団の関係者ではありません。」と書く人が、損害賠償請求などの法的措置を言い出すのには、素朴な疑問があるけれど。

http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070125


>>>ロンドン橋は落ちていません

◇ 倫敦橋の隠れ里
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/


(参考)
◇ 本家凍結のお知らせ - 倫敦橋の番外地
http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070125

◇ ロンドン橋おちた?
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070205#p7

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070404#p4


>>>「言葉が生まれるとき」藤原新也(Shinya talk

藤原新也 - 倫敦橋の隠れ里
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Category/12/


◇ 「藤原新也」の検索結果 - 倫敦橋の番外地
http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/searchdiary?word=%c6%a3%b8%b6%bf%b7%cc%e9

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081031#p7


>>>「ロンドン橋おちた?」を思い出す一件
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090325#p5

再録2題(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090210#p5 http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090210#p6)

■「雲泥」「月鼈」あるいは「天と地」? もとい、「成層圏マリアナ海溝」?
荒木経惟「日本人ノ顔」プロジェクト
http://www.j-face.info/


◇ 〆切迫る!!!荒木経惟が撮る「青森ノ顔」モデル募集 - 1010 Radio
http://blog.goo.ne.jp/masaki7/e/dacd5f234dc3a8f26ec7ce9d9a88f10f


◇ ハマの美人をアラーキーが激写! 茂木健一郎、はな、角田光代らも参加「4人が創る『わたしの美術館』展」 - webDICE - 骰子の眼
http://www.webdice.jp/dice/detail/500/


アラーキー、命を撮る 母子モデルを募集 - asahi.com朝日新聞社
http://www.asahi.com/culture/update/0518/SEB200805180001.html
下記商業カメラマンの所業と比較するための例は
石内都さんでも良かったのですが、
ウェブへの情報の露出具合から
とりあえず荒木経惟さんを。
















◇ 覚醒したよぼく。1secシリーズも - CHIAROSCUARO 所幸則

モデルは本当はただでもいいぐらいだ、だけどお互い真剣にやるなら
そこに多少の保険はほしい。


3万円は振り込んでもらって、で、プリント代は別サイズは大四つ切り〜A2
で5000円〜10000円でわたす。
最高級の紙にプリントする。


これ、イタリアやパリでも発表したい。
ヨーロッパのアート雑誌にのせる、次回はzoomだ。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3965498
EYEMAZINGは3月1日締め切りの号で14pの巻頭特集される。
まにあうならそれにも乗るかもしれない。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3960063


男でも女でもいい。年齢とわない。
とりあえず急いで撮りたいので、至急めっせください。
アート作品になるよ。


いろんな本に載るよ。
掲載してもらえる写真雑誌2つもう決まってるます。


練習撮影とか記念のじゃなく。
アートフォトになり雑誌載る可能性もあれば、個展に出る可能性もある。
肖像権でもめる人は遠慮したい。

http://tokoroyukinori.seesaa.net/article/113818367.html
“モデルは本当はただでもいいぐらいだ、だけどお互い真剣にやるならそこに多少の保険はほしい。”
“3万円は振り込んでもらって、で、プリント代は別サイズは大四つ切り〜A2で5000円〜10000円でわたす。”
“アート作品になるよ。いろんな本に載るよ。掲載してもらえる写真雑誌2つもう決まってるます。”
すごい展開です。
まさかお金まで取るとは。。。
これがいわゆる「デウス・エクス・マキナ」か!(←違う)


さすが、コテコテのコマーシャル・カメラマン(コマーシャル・フォトグラファー)。
ツボを心得てます(笑いの?)、というか、ここまでくると眩暈がしてきますね。
これも、錯覚を利用した、新風舎=アートボックスインターナショナル(ARTBOX International)的商法の一種でしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%a5%a2%a1%bc%a5%c8%a5%dc%a5%c3%a5%af%a5%b9
マリアナ海溝チャレンジャー海淵的手法。
いやむしろ、その性質から考えれば、
ヴィチャージ海淵的手法とでも呼んだほうが的確かもしれません。


この御仁が指向*1しているデコラティブ・アートの世界ではアリなのかもしれませんが、
ファイン・アートの世界では有り得ないやり方だと思います。
まあしかし、だから*2「とやかく言うな」ということなんでしょうけども。


>>>所幸則氏というコマーシャル・カメラマンの方のブログが非常に香ばしいです。切込隊長山本一郎さん的な意味で。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090103#p2


■J文化人の効用と限界:アート資本主義 - CNET Japan(2006/11/14 11:31)

少しでも多くの写真論に触れたいと思って、いまさらのように『ART IT』創刊三号『特集 日本の写真』を買ってくる。たまたま読んだ浅田彰の『中平卓真という事件』を読んでガッカリする。


中平卓真を称揚するのはいいと思う。彼の写真も、彼の言葉も、日本の写真を読み解いていく上で大切な歴史の一部だし、その解読を通じて見えてくることもとても多いと思う。


ただ、その称揚のためのテコ入れについては、余りに図式的過ぎて平凡だと感じた。


“中平卓真の写真をイノセントとみなすことは誤りだ”


この指摘は、そのまま浅田彰的『J文化人』の紋切り型な価値観を反映している。

http://japan.cnet.com/blog/takahito/2006/11/14/post_75f1/
井口尊仁*3のブログ「アート資本主義」より。
本文中の「中平卓真」は「中平卓馬」のタイプミスですね。
それはさておき、効用と限界を考えるべきなのはご自身のブログなのでは?


【参考】『論座』も必ずしも読むところがないわけではないこと。(2007/09/04)  山形浩生

しかも批判している構図に自分の文がまさにぴったりあてはまるという自覚を徹底的に欠いただらしない代物。

http://cruel.org/other/tateishiobata.html


ガンダム世代が知ってて損はないハズ 日本の現代美術家10人 【ポスト村上隆】:アート資本主義 - CNET Japan(2007/12/12 21:30)

野口里佳は1996年に写真新世紀グランプリを受賞しているのですが(同じ96年に蜷川実花は優秀賞を獲得)、他の女の子写真家(と、当時呼ばれていた)作家達とは異なり、淡々と静溢な作品を撮り続けています。いわゆる商業カメラマンとしてではなく展覧会中心で活動している点や、撮影技法やプリントにもこだわっている点などが目立った違いかも知れません。ただ、その作品には芸術的な高尚さよりも、もっと知的好奇心にあふれた愉快さ、愉悦のようなものが強く感じられ、そこに換え難い魅力を感じるのです。

http://japan.cnet.com/blog/takahito/2007/12/12/entry_25002934/
“いわゆる商業カメラマンとしてではなく展覧会中心で活動している点や、
影技法やプリントにもこだわっている点などが目立った違い”???

*1:こういうふうに見えて、実のところ「ファイン・アートを志向しているつもり」という可能性も、なくはないのですが。。。

*2:クリスチャン・ラッセンヒロ・ヤマガタ、トーマス・マックナイトみたいな「アート」の写真版だから)
  http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081031#p4

*3:盲導犬クイールの一生』の石黒謙吾氏と組んで『ぞりん』という本を出版している方です。
  「jpeg girls」なる企画モノ(http://mixi.jp/view_community.pl?id=168736)に挫折したのか、
  アート、アート、言わなくなったようですが、相変わらずバズワード多めです。
  最近は「セカイカメラ」なる本業のほうでの企画モノで
  新しい世界観(セカイ観)を提案しようとしているようです。