Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

James Turrell: Sensing Space - YouTube

To learn more, visit http://www.guggenheim.org/turrell


In this half-day symposium, scholars presented on topics that cover the range of James Turrell's work including the nature of perception, conditions of site-specificity, and the philosophy of aesthetics. Individual presentations by Thomas Crow, Miwon Kwon, and Mark Taylor were followed with a conversation moderated by Nat Trotman, Associate Curator, Guggenheim Museum.


"The Young Turrell: War Resister and Reluctant Artist," Thomas Crow, New York University


"Light is Material," Miwon Kwon, University of California, Los Angeles


"Refiguring Vision," Mark Taylor, Columbia University, New York


Presented in conjunction with James Turrell, on view at the Solomon R. Guggenheim Museum, June 21-September 25, 2013.

http://youtu.be/2vNcxq1aO2M

Lessons Learned | Tate

Landmark Exhibitions Issue
By Hans Haacke
1 October 2009
Tate Papers Issue 12


The artist Hans Haacke presents a career overview of his involvement with recurring exhibitions, from documenta 2 (1959) via the Venice Biennale (1993) to the 7th Gwangju Biennale (2008). Citing examples of his own contributions to major museum exhibitions (including Information at the Museum of Modern Art, New York, in 1970), he explores the complex relations an artist has with institutions and their curators.

http://www.tate.org.uk/research/publications/tate-papers/lessons-learned

「哲学の再開」を宣言〈インタヴュー〉 アラン・バディウ - PR誌「機」 | 藤原書店

http://fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2004/03/post_914.php


アラン・バディウ - Wikipedia

アラン・バディウ(Alain Badiou,1937年 - )は、モロッコ・ラバト出身のフランスの哲学者である。高等師範学校で哲学を学ぶ。パリ第8大学教授、高等師範学校哲学科教授などを勤めるかたわら、ジャック・デリダが初代院長をつとめた国際哲学学院においても教鞭をとる。現在(2013年末)は高等師範学校の名誉教授であり、月に一回水曜日に同校にてセミナーを開催している。スラヴォイ・ジジェクらとともにlacan dot comでも活動。

政治思想においてはマルクス主義を基盤とし、初期はアルチュセール派だったが、後に袂を分かつ。1968年の五月革命においては積極的に活動し、当時パリ第8大学教授であったジル・ドゥルーズを糾弾したという[1]。学生時代から毛派に属した。のちジャック・ラカンのゼミに参加し、近年の著作にみられるがごとく、精神分析学の理論を独自に発展させ、思考している。真理の政治学を名乗ったり、数学(集合論代数幾何)を研究したり、小説、戯曲を執筆したりするなど、その活動は広範に渡る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6

ジュディス・バトラー - Wikipedia

ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956年2月24日 - )は、アメリカ合衆国ポスト構造主義思想家。現在、カリフォルニア大学バークレー校修辞学・比較文学科教授、同学科長。フェミニズム、クイア理論、政治哲学、倫理学の分野で広く活躍している。

1956年、オハイオ州クリーブランドに生まれる。ヘーゲル研究の道を進み、1984年にイェール大学で博士号を取得。同博士論文は1987年に、『欲望の主体――20世紀フランスのヘーゲル哲学的省察(Subjects of Desire: Hegelian Reflections in Twentieth-Century France)』として出版された。
1980年後期から西洋フェミニズム理論のポスト構造主義的再定式化の流れに加わり、従来のフェミニズムで用いられてきた言葉の規定性、硬直性を問題にして、そのパフォーマティブな構築性に注目し始めるようになる(パフォーマティビティ論)。
レズビアンであることを公言しており、2006年1月に来日した際には、講演会場はさながらレズビアン・コミュニティーの祭りと化した[1]。ユダヤ教改革派の熱心な信者でもあり、ユダヤ系の出自であることを強く意識しており、近年の研究では、ユダヤ哲学に関心を持っている。

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リュス・イリガライ - Wikipedia

リュス・イリガライ(Luce Irigaray、1930年5月3日 - )は、ベルギー出身の哲学者、言語学者。専門は、フェミニズム思想、精神分析学。
60年代初頭に渡仏し、パリ第8大学でジャック・ラカンに師事する。1964年から、フランス国立科学研究センターで研究生活を行う。2004年から2006年までノッティンガム大学客員教授

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ガヤトリ・C・スピヴァク - Wikipedia

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak, 1942年2月24日 - ガヤトリ・チャクラヴォーティ・スピヴァクとも。)は、インド東部ベンガル出身のアメリカ合衆国の文芸評論家、理論家、比較文学者。コロンビア大学の教員としては、最高位のUniversity Professorの地位にある。
インドのカルカッタに生まれ、カルカッタ大学(University of Calcutta)で英文学を学び、首席で卒業後に渡米して、1960年初コーネル大学大学院に留学。そこでポール・ド・マンの指導を受け、イェーツに関する博士論文を書き英文学の修士号を取得。
1976年にはジャック・デリダの『グラマトロジーについて』を英訳し、長大な序文をつけたことで、注目された。この序文については賛否両論ある。
アメリカ人タルボット・スピヴァク(Talbot Spivak)と結婚し、すぐ離婚。ただし、今でもスピヴァク姓を使い続ける。
その後、マルクス主義フェミニズムポストコロニアル批評の脱構築的読解などをすすめる。
2012年に、思想・芸術部門で第28回京都賞を受賞。

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ミハイル・バフチン - Wikipedia

ミハイル・ミハイロビッチバフチン(Михаил Михайлович Бахти́н , Mikhail Mikhailovich Bakhtin,1895年11月17日 - 1975年3月7日)は、ロシアの哲学者、思想家、文学理論家。
オリョールに生まれ、ノヴォロシースク大学から転学、ペテルブルク(ペトログラード)大学を1918年に卒業。以後さまざまな教職を続けながら文学研究を続けるが、世界的に知られるようになったのは1970年代からである。1975年モスクワで病没。

ドストエフスキー詩学」初版において、バフチンは、それまでのドストエフスキー研究を、登場人物の思想や心情と研究者が対等にたって、実在の人物のように批評・批判するものや、逆に、登場人物の思想や人格を、作者の思想や人格の「表現」として分析したものであって、どちらのやり方も、小説のテキストをそれ自体として捉えたものではないとして批判した。
すなわち、登場人物を実在の人物であるかのように扱い、それと対等の立場で論争・批評してしまうような研究では、作品全体の構造を捉えることはできず、また、その分析の内容も、文学作品としての固有のものではなく、歴史学社会学的なイデオロギー分析にとどまってしまう。
他方で、そうした諸人物や事件を、作者の思想の「表現」として捉える研究では、畢竟、作者のイデオロギーの分析になるか、あるいは、伝記的な研究へと分析は逸らされ、そのような登場人物の、作者とは異なる固有性は捉えられず、また、登場人物の間の関係も、特定の登場人物(あるいは、その思想)を引き立て、あるいはけなすという機能からしか把握されない。
バフチンドストエフスキーの小説の画期性を、その登場人物があたかも独立した人格のように多面性を持ち、解釈の主体として振舞い、時には、独自の思想の主張者として振舞うことで、人物相互の間に「対話」が成立し、そのような対等かつ劇的な対話性において、小説以外のジャンルでは表現困難な、現実の多次元的・多視点的な表現が可能になっていることであるとした。
このような視点は、バフチン自身の、哲学的・言語学的な対話主義の思想に裏打ちされている。バフチンは、真理は、特定の視点によっては表現することはできず、どれほど複雑かつ高度なものであっても、つねに複数の認識の視点と、ひとつの視点との相違は還元不可能なままに残ると考えた。この相違を還元不可能なものと見る視点からは、複数の限定的な視点を、より高次の複雑かつ総合的なひとつの視点によって完全に汲みつくし、代替することはできないことになる。

文学におけるカーニバル性とは、国王の戴冠と奪冠、地位や役割の交代や変装、両義性、シニカルで無遠慮な言葉、などに見られるものである。価値倒錯の世界を創り出す効果を持つ。また、中世によく見られた笑いを隠れ蓑にしたパロディーにも、強いカーニバル性が見られる。中世においても笑いによってならば、聖なるものを俗的に扱うことが許されたのである。聖と俗の交わりや交代、否定(嘲笑)と肯定(歓喜)、死と再生、などが笑いの中で行われた。笑いは社会風刺のために、無くてはならない要素であった。カーニバル文学においても、笑いは極めて重要な要素である。
カーニバル文学の代表例としては、フランソワ・ラブレーセルバンテスの著作がある。特にバフチンは、ドン・キホーテをカーニバル文学屈指の名作として、高く評価している。そして、ドストエフスキーの文学は、古代より続くカーニバル文学の系譜に忠実であり、同時に進化させたものであるという。いわばドストエフスキーの文学は、現在までのところ、カーニバル文学の最高峰にあるということである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%95%E3%83%81%E3%83%B3


ポリフォニー - Wikipedia

ポリフォニー (polyphony) とは、複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと。ただ一つの声部しかないモノフォニーの対義語として、多声音楽を意味する。
西洋音楽史上では中世〜ルネサンス期にかけてもっとも盛んに行われた。ただし、多声音楽そのものは西洋音楽の独創ではなく世界各地にみられるものであり、東方教会においてもグルジア正教会は西方教会音楽史とは別系統にありながら多声聖歌を導入していた。
ポリフォニーは独立した複数の声部からなる音楽であり、一つの旋律(声部)を複数の演奏単位(楽器や男声・女声のグループ別など)で奏する場合に生じる自然な「ずれ」による一時的な多声化はヘテロフォニーと呼んで区別する。
なお、西洋音楽では、複数の声部からなっていてもリズムが別の動きでなければポリフォニーとして扱わないことが多く、この意味で対位法と重複する部分を持つ。
また、とりわけ西洋音楽において、主旋律と伴奏からなるホモフォニーの対義語としても使われる。ポリフォニーにはホモフォニーのような主旋律・伴奏といった区別は無く、どの声部も対等に扱われる。
文学においては、ミハイル・バフチンが『ドストエフスキー詩学』において、ドストエフスキーの作品を「ポリフォニー」の語を用いて分析している。

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ジェローム・ブルーナー - Wikipedia

ジェロームシーモアブルーナー(Jerome Seymour Bruner, 1915年10月1日 - )は、アメリカ合衆国の心理学者。ニューヨーク市出身。一般には教育心理学者として知られているが、認知心理学の生みの親の一人であり、また文化心理学の育ての親の一人でもある。その生涯を通して20世紀心理学の歴史を体現する巨人である。
ハーバード大学のカール・ラシュレーのもとで動物心理学を学び、1941年に学位を取得。戦後まもなく、欲求や動機づけが知覚に影響を及ぼすことを示す一連の研究を行い、ニュールック心理学を主導する。その後、思考方略や教育方法の研究に進み、1959年には教育方法の改善に関するウッズホール会議の議長となって、その成果を『教育の過程』として出版した。
1972年にはイギリスに渡り、8年間に渡ってオックスフォード大学教授を務め、主に乳幼児発達に関する研究を行った。その後、アメリカに戻り、文化心理学やナラティヴ研究への理論的貢献を行っている。ニューヨーク大学法学部に勤務した。
発見学習の提唱者であり、教科の構造化の提唱者である。
「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる。」という仮説を提示した。

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バジル・バーンステイン - Wikipedia

バジル・バーンステイン(Basil Bernstein, 1924年11月1日 - 2000年9月24日)は、イギリスの社会学者、言語学者。言語コード論に基づいた独自の教育社会学理論で知られる。

言語コード
バーンステインにとって「記述」とは、経験的な諸関係とみなされるものを構築するとともに、そうした諸関係を概念的な諸関係へと翻訳する営みを指す。そして、この営みそれ自体を「記述」することが社会科学には求められているのである。バーンステインは、従来の社会言語論、たとえば、ピエール・ブルデューハビトゥス論に対して、この課題に答えるものとなっていないことを批判している。
ハビトゥスは、それがうみだすもの、もたらすもの、あるいはもたらさないものによって記述される。それは、それが規制し外部に存してそれを類推できるものによって記述される。しかしそれは、特定のハビトゥスの形成をもたらす特定の秩序化の原理や戦略によっては記述されない。……ハビトゥスがいかに発生するかは記述の構成部分を成してはおらず、ただそれが行なうことのみが記述されるのである。[1]
かくして、バーンステインは、言語コードを「暗黙の内に獲得され、適切な意味(認知ルール)、その実現の形式(実現ルール)、よびだしの文脈を選択し統合する規制原理」[2]と規定し、その規制メカニズムを説き明かしていく。


限定コードと精密コード
バーンステインの理論のなかでも、最もよく人口に膾炙しているのがこの限定コード、精密コード論である。バーンステインが明らかにしたところによれば、家庭生活のなかで中産階級出身の子どもは精密コードと限定コードの使い分けを身につけ、労働者階級出身の子どもは限定コードのみを身につけ、結果として、精密コードを用いる学校教育では、低労働者階級出身の子どもが落ちぶれてゆき、「身分にふさわしい労働」へと身を投じていくのである。
簡単に言えば、精密コードは、物事を客観的、抽象的、人格的に述べるコードであり、限定コードは、物事を主観的、地位的に述べるコードである。たとえば、子どもを寝かしつける際に、「どうして早く寝なければならないの?」と尋ねられた場合、「早く寝ろと言っているのだから、早く寝なさい。親の言うことが聞けないのか」と応じるのが限定コードであり、「早く寝ないと、朝起きるのが大変でしょう。今朝も眠いと言っていたじゃない」と応じるのが精密コードである。


教育コードの支配性
バーンステインの実証例では、子どもたちに、いまが昼食時であると仮定して、24枚の食べ物の絵を好きに分類させたところ、労働者階級出身の子どもたちは、「朝食べたもの、母ちゃんが作ったもの、好きじゃないもの」といった具合に属人的な文脈(仲間内の論理)で認知ルールを働かせて選別したのに対して、中産階級出身の子どもたちは、「海のもの、山のもの」といった具合に物質を抽象化させて選別した。
さらに、子どもたちに、もう一度同じことをやらせたところ、労働者階級出身者は同じ分類を繰り返し、中産階級出身者は労働者階級出身者の分類に合わせたという。ここから、バーンステインは、中産階級出身者の間では、二つのコードがヒエラルキー的に位置づけられており、つまり、身の回りの生活よりも、公式的な教育学(ペタゴジー)的実践/意味が支配的となっていることを指摘している。
バーンステインの以上の論述は、非常に単純化されたものであるとして批判されることにもなったが、バーンステインの本来の意図は上に見たとおりであって、通俗的な階級還元論ではなく、労働者階級出身/中産階級出身の区分は単に傾向性を示すものであるに過ぎない[3]。

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ジョン・デューイ - Wikipedia

ジョン・デューイ(英語:John Dewey, 1859年10月20日 - 1952年6月1日)は、アメリカ合衆国の哲学者、教育哲学者、社会思想家。チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズとならんでプラグマティズムを代表する思想家である。また米国では機能主義心理学[1]に貢献したことでも知られている。20世紀前半のアメリカ哲学者のなかでも代表的且つ進歩的な民主・民衆主義者(ポピュリスト)だった[2]。
ローティは「最も敬愛する哲学者」として評価し、「われわれをプラトンとカントの呪縛(ドグマ)から解放した[3]」と指摘したうえで、17世紀の哲学者がスコラ哲学に対して「革命」を興したように、「正確な表象」というそれまでの知識理論を拒絶した点でヴィトゲンシュタインハイデガーに並ぶとしている[4]。またパトナムもデューイをヒーローとしている[5]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4

A Selection Of My Favourite Images Found In 2014: 75 Photos By 75 Photographers - BOOOOOOOM! - CREATE * INSPIRE * COMMUNITY * ART * DESIGN * MUSIC * FILM * PHOTO * PROJECTS

http://www.booooooom.com/2014/12/12/selection-favourite-images-found-2014-75-photos-75-photographers/
1点だけでの判断のし難さもありますが、すでに著名な作家も含まれているので、それは別にして、たぶん10年後くらいにはこの半分以上が消えてしまっているのではないかと思われます。

【柔らかな光と瑞々しい空気感】撮影監督“篠田昇”の映画7作品 - NAVER まとめ

篠田昇(しのだ のぼる、1952年2月21日 - 2004年6月22日)は、日本の撮影監督。埼玉県北葛飾郡(現:三郷市)出身。日本大学芸術学部卒業。
映画番長の愛称で多くの映画人に愛されたカメラマン。『ラブホテル』(1985年)監督:相米慎二が、劇場用の最初の作品。
2004年6月22日、肝不全のため死去。享年52。
遺作となる『世界の中心で、愛をさけぶ』で、日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞。
実兄はJR三郷駅前の美容室『EMU』(現在はグリューネに改名、実兄の妻が経営)のオーナー。そんな縁もあり、同美容室で映画の撮影も行われたことがある。

http://matome.naver.jp/odai/2136775517960829901
故・篠田昇さんがつくり出してきた映像と90年代的なJ写真との影響関係の有無が気になるところ。


篠田昇 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E7%94%B0%E6%98%87


◇ カメラマン篠田昇の残したもの
http://web.archive.org/web/20110819003139/http://channel.slowtrain.org/shinoda/