だが、鈴木宗男氏の発言を受けて、「板挟みになったのだから、松岡大臣は彼なりに追いつめられていたのだ」と同情や理解を示すむきもあったようだ。では、何の板挟みになっていたのだろう? それは、釈明したい自分と、内閣を守るためにそれを許さない自民党との間で、ではないか。そこには、大臣という職が最も責任を負うべき、日本社会の住民に対して、という観点が抜けている。遺書でも、国民に宛てたとしておきながら、「安倍総理、日本国万歳」という、きわめて異様な言葉で最後が結ばれている。首相と国家しか言及されていないこのフレーズの中に、個々の国民に対する意識は見いだせない。
それなのに同情したり理解を示せるのは、よっぽどのお人好しか、この日本の成人男性社会の風土のいびつな点についてまるで無自覚な人間か、どちらかだろう。